千鳥橋チャリ走
僕はよくチャリを漕ぐ。
時間がない時、お金がない時、車がない時、チャリはある。
今1番チャリを漕ぐのは千鳥橋に向かう時間が1番チャリを漕いでいる。
仕事終わりの0時過ぎから30分、僕の家からだと約1時間
漕いで行ったその後チャリはそのまま置いて”じゃあバイバイ”とも言えないから、往復2時間ひたすら漕いで、ほぼ毎日往来している。
“いつも自転車で来てるの大変そう”
“自転車で来てもらってる分なんか出します”
“今から自転車で帰るんですか?”
言わずもがな、自転車で来るのは大変だし、置いて帰るわけにもいかないから乗って帰る。
気を遣ってもらえるのは嬉しいので、すんなりその言葉に甘える。
そりゃあ電車で来た方が良いに決まってるし、タクシーなんか使えたならきっと僕の顔色は、みんなが普段見る100倍くらい良くなる気がする。
前述したみたいに、僕はタクシーに乗るお金も、自家用車もないし、電車になれば終電の時間を気にする必要が出てくる。
でもチャリに乗ると大体の事は解決する。
乗れば乗るほどたった片道1時間、麻痺はどんどん加速してる気がする。
そもそもなんで1時間もかけて千鳥橋になんか行っているのかという事。
千鳥橋は僕が産まれた訳でも、暮らしている訳でもなく、本来縁もゆかりもない場所なのに。
簡単な話、縁もゆかりもない場所だった千鳥橋に縁とゆかりができてしまったからである。
始まりこそ今回企画しているニュ〜パライソの第1回目の開催の時、さらに遡って準備の段階、僕にとって千鳥橋チャリ走の序章とも言えるもの。
僕が働くライブハウスで仲良くなった友人が、千鳥橋に住み出してからのお話。
”来てくださいよ”的な軽いノリで、最初の方は千鳥橋に誘ってきたりして、その時は殆ど行く事もなく”住む場所が決まって良かったな”って程度で正直興味はそこまでない。
全く知らない町に友達が住む事になって「うおー!マジでか!!やったー!いくわいくわー!!!」ってテンションが僕にはカケラも無い。
そんな千鳥橋にめっちゃほそい縁が出来てから暫く、千鳥橋に住み出したやつから千鳥橋に住む人を紹介してもらう。
“僕の彼女なんすよ〜”
前々から彼女ができたという話は聞いてはいたが、まさかここで遭遇するとは。
彼がやっているバンドのライブにその彼女も来ていたのである。
当時彼は”彼女を自分のバンドのライブに呼ぶバンドマンきしょい”って言ってた気がするしそんなマインドだったと思うが忘れた。
この時に初めて、千鳥橋に住んでいる人と僕は縁が出来た。
この日のライブ終わり僕と2人と他数人で、ファミリーマートに寄ってアイスを食いながら帰った夜を僕は中々忘れない。
“こんな人なんだ〜”
確かそんな風な事を思ったり感じた気がする。詳しくは覚えていないが。
僕と千鳥橋が絡むか絡まないか、ここで1つとっかかりが出来る事になる。
しかしここ迄で、僕が尼崎から千鳥橋迄をチャリで往来する理由はまだ1つも出来ていない。
それから月日が暫く経って、変わらない関係と日々ばかりが続いてふわっとしていたが、彼の方から急に連絡が来た。
“今イベント考えててハジメさん参加してもらえないですか?”
正確にはこんな誘い方ではなかったと思うが、これから開催を予定している音楽サーキットフェス”ニュ〜パライソ2021”の音響担当権主催の1人をやってほしいと声をかけてくれたのである。
これはとても嬉しい話、サーキットイベントができるワクワクと、音響や主催という立場から学ぶ事も多いだろう環境に飛び込める事。
この事についてはただただありがとうな!って今でも思う。
僕は音楽を通しての縁というものが自分の人生において何よりも広く大きい。
ライブハウスの仕事がきっかけで出会った人は数知れず、今回のニュ〜パライソ2021も音楽に関係していないと来なかった話だ。
“ハジメさんに音響お願いしたいです”
当時彼が誘ってくれたこのイベントについては、以前に紹介してくれた彼の彼女が本主催で始まろうとしているものらしかった。
きっと彼女の想像するイベントの形、実現の為に必要な事や人、そして人柄というか(自分で言うのもなんだが)価値観とか表現とか感覚を等しく共有出来そうな人物である事とか、選んでくれた事にはきっとたくさん理由はあるんだろうな、と思った。(特に無くて音響出来るし仲良かったからでも別に構わないが)
でも外部で音響が出来ること、僕の好きなバンドも出て、より非日常に持っていけそうなイベントに僕は特別魅力も感じた。
僕以外の主催メンバーもそういう事が出来たら面白いよねって気持ちはみんな持ってて、ニュ〜パライソを開催する事は僕らにとってのトリガーでもある様に今は感じる。
以前から出来始めたほそい縁が、この頃から絡みつく人が増えて強度を増していく。
主催メンバーは当時5人
僕と、僕を誘った彼、千鳥橋に住んでる彼女、千鳥橋の他の住人×2
聞けば4人は千鳥温泉という銭湯で働く風呂仲間らしい。
僕はひっそりと疎外感をそりゃあ感じる(今は仲良くなってる)
この4人のうち2人は音楽の繋がりと言ってもよくて、他2人は音楽以外でほぼ初めてじゃないかな?と思う繋がり。
1人はこの第1回目から抜けてはしまうけど、この数年後には一緒に北海道へ行き、モルック世界一を目指すチームとして協力し飛躍していく事になる(それはまた別のお話)
そしてもう1人は現在もニュ〜パライソの主催の1人、とんでもない能力を秘めた自称一般人の”いしかわ”
ここから僕らのニュ〜パライソが始まって
そして僕の”尼崎⇄千鳥橋”のチャリ走ライフスタイルが始まるのである。
最初にも書いたが尼崎から千鳥橋までは片道30分、これは僕の職場からの距離で、家からスタートすると片道1時間は余裕でかかる。
始まった頃は、全員が日中のスケジュールを合わせるのは難しいという事もあって、そら家で寝てる以外に予定は立たないであろう、ほぼ深夜から話し合いがスタートする。
僕は大概仕事終わりチャリに乗って、向こうについてミーティングをして、元気ならばそのままチャリで帰る。
もしくはミーティングをするメンバーの部屋に寝泊まりがザラ。
そして朝になって眠い目を擦りながら帰る。
僕以外のメンバーはみんな千鳥橋周辺なので、最後僕は孤独を引き連れて(大袈裟)チャリを漕ぐ。
いつしか千鳥橋迄のチャリ移動が苦ではなくなる1歩目になった。
ニュ〜パライソ2021が終わってから、畳み掛けるようにすぐに2022の準備やミーティングも始まる。
2021と2022の会期の間は、半年位は空いていたと思うけど、それでもサーキットフェスとしては異常な速さでの開催ではないかと思う。
その速さに引きずられるように、僕のチャリ移動期間も自ずと伸びるし増えていく。
昔住んでいた長居から尼崎まで自転車で来た事もあったな〜とか、思い出したりしながらチャリを漕いでいた気がするのもこの頃。
通れば通るほどコースは最適化されて、段々とお馴染みの道へ変化していって、最適化される事でさらにチャリ移動が苦ではなくなっていく。麻痺だな。
2022迄の期間もチャリ移動がとても続いた、そして僕の中で他の移動手段がほぼ消えた。
千鳥橋まで行くのにチャリが普通になったのである。
深夜帯でもないお昼の移動、お金もあるがチャリで移動、車は相変わらずないのでやっぱりチャリで移動になる。
ひどい時はイベントなんて関係なくただモルックをやりに行く為にチャリを漕いでいた。
チャリで移動を続けていくと千鳥橋迄の道のりも、段々と景色がよく見える様になったり、次第に愛着が湧いてきたりもする。
3つ、超巨大な川も含めて中規模な川が2つ道中に存在する。
長いなだらかな坂を登って、超巨大ウナギの様な高速道路を横目に、巨大な川を渡す長い橋を渡ってその先が千鳥橋。
僕はこの3つの橋にちょっと特別な思い入れも感じる様になった。
1つ1つ乗り越えて行く事に”よっしゃー超えたぞ!”という多少の達成感だったり、眠くて眠くて”いつまで続くねん!”と憤怒したり、これ迄でも何度も感じたり考える時間はいくらでもあったわけなので、まあそれはそうだろうという感じ。
何度も下る橋の坂で、僕のチャリの前輪と後輪はいつか外れて火花を散らし、僕の体ごと転げ落ちるのではないかと1人でヒヤヒヤする事もあった。
街灯で薄らと見える波の動きが、真っ黒な布に風が入り込んで抜けていく様にも見えた。
最後の川はとても長い川なのだが、千鳥橋と尼崎の国境の様なものだなと考えながら通り抜けていく。
僕は今千鳥橋国に入ったぞ! とか思いながら、僕はこの千鳥橋迄の道中がしんどくもそこそこ気に入ってきている。
2022年、2回目のニュ〜パライソが終わり、終わった後も僕は暫く千鳥橋に通っていた気がする。
でもそれも長くなく、やっぱり自然と頻度は落ちていき、たまに現れるだけのやつになった。
その間に千鳥橋周辺の環境も変わっていったみたいで、特別疎外感を感じる事もなかったが、知らない人もどんどん増えて、主要メンバーに会いに行く事もたくさんあるけど、その会ってる中で新しく知り合った人と2%位の関わりを持っている様な状態が続いた。
それから約2年が経って、今回開催するニュ〜パライソ2025 別世界篇が動き出す事になった。
いつもの千鳥橋主催メンバー同士で、前々から来年はやるという話だけが上がっていて、遂に来たかという感じ。
2年空いてはいたがもうやらないなんて事は全く思っていなかったので、これから出来る事がまた楽しみな気分になっている。
ただ今回のイベントは過去2回やったイベントとはかなり内容が変わるので、詳しくはホームページやSNSの告知等をチェックして頂けると嬉しい。(こんなコラムを読んでいる人は既にチェック済みだと思いますが…)
ニュ〜パライソが再び動き出す事が決まった。
という事はつまり僕の千鳥橋迄のチャリ走生活も再び戻ってきたのだ。
しかも今の所前回、前々回とは比にならない位千鳥橋に来ている。
今の所週4,5位で通い続けている。
(そうしないと規模的にもまとめられない気がして…)
このコラムを書いている時期はもう12月の末、ちょうど年の瀬の前の内容なのでこの先ニュ〜パライソがどんなイベントになっているのかは想像もまだできない。
本当に良いイベントにできればなとは考えて、毎日通い続けている。
そして2%の知り合いの方々ともっと深く関われる様になってきて、また僕の中で千鳥橋との深い関係性が築かれていくのも感じている。
僕がこの町に特別な思いを抱く事になったのは、会いたい人がどんどん増えるからで、そんな人がたくさんいて町を作っていってるわけで、何が言いたいかというと僕はこの町と人に生かされる事が増えて、千鳥橋を第3の故郷位に思える様になってきた。(第2は尼崎)
一緒にニュ〜パライソを始めたメンバーと、今回のニュ〜パライソから加わった新メンバー、手伝ってくれる友達に会いに行く。
みんなで作るニュ〜パライソをみんなが楽しみにしている。
僕もそう思うから、千鳥橋迄何度も通い続けようとフワッと考える。
でもやっぱり2年前と変わらず
僕には時間がなく、お金がなく、車もないので、今年もひたすらチャリを漕ぐ。
今はとっても寒空だけど、深夜の時間からでも構わずに、ひたすらチャリを漕ぎ続ける。
うっかり忘れかけてた感性が、また同じ景色に干渉されて、この前思った悪くないなって気持ちも湧いてくる。
僕はこのチャリ走でしか見れないものを見れる立ち位置にいるのだと思う。
そう思えばこの馬鹿げた走行も、ちょっとはカッコついたりするのかもしれん。
そうなれば良いなと思って、こんな事も書けるしなと。
ちょっと長くなったけど、ニュ〜パライソと千鳥橋と、千鳥橋で出会った好きな人達のお話でした。
そして走り続けて良かったなと、これからも走りながら思い続ける事にする。
千鳥橋チャリ走
藤原 一