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京極夏彦〈百鬼夜行シリーズ〉全レビュー|第3回:『狂骨の夢』

2023年9月、京極夏彦の〈百鬼夜行シリーズ〉最新作『鵼の碑』が、17年の時を経てついに刊行された。第1作『姑獲鳥の夏』刊行からおよそ30年、若い読者には、当時まだ生まれてすらいなかった者も多い。東大総合文芸サークル・新月お茶の会のメンバーが、いま改めて〈百鬼夜行シリーズ〉と出会う連載企画。毎週火曜更新予定。

 恥ずかしながら京極堂シリーズを読むのは今回の『狂骨きょうこつの夢』が初めてだ。なので、本当にその分厚さは必要なんかと斜に構えながら読み始めたが、すぐに圧倒された。流麗かつ豊富な蘊蓄を備えた文章で世界の確かさが描出される一方で、記憶の中の記憶、口伝に次ぐ口伝といった枠物語の構造を取って変容していく怪異譚が不安を煽る。そうして大風呂敷を広げに広げた結果、ラストの謎解きでは想像を超えるスケールの奇想がこれでもかと浴びせられ、効果的な演出も相俟って物語は美しい幕切れを見せる。会話の符合と首切りの理由が特に鮮烈で、幾度も天を仰がされた。とても面白かった。

 感想はこのくらいにして、レビューに移ろう。出だしからこんなことを書くとファンの方々には「判り切ったことを」と鼻で嗤われるかもしれないが、本作(シリーズ?)の眼目は、「憑物落とし」という儀式に象徴される謎解きの意義にあると私は考えている。

 『狂骨の夢』を推理小説と捉えて読み進めるならば、いくつかの仕掛けには容易に気付くことだろう。登場人物にとって隠蔽の意図がない事柄の情報はそのまま提示されるため、神仏や怪奇に造詣がなくとも事実の一端を予想することは決して難しくない。しかし最終的に、そうした表層的な推測は何ら意味を持たないことに気付かされる。

 本作では過去と現在の二つの時間軸において、立場や信念を異にする様々な人間の思惑が入り乱れる。その過程で生じたいくつもの軋轢が事件全体に張った根を病的なまでに深く、また幾筋にも枝分かれさせている。その中で今起きている事件の真相だけを声高に暴いたところで、関係者が裡に抱えている問題や感情を真に理解することは叶わないだろう。また、仮に全ての真相を明らかにすることができても、病根を取り除かなければ本質的な解決にはならない。だからこそ「憑物落とし」が必要となるのだ。

 さて、ここで「憑物」とは何か考えてみたい。作中でそれぞれの事件が纏う雰囲気は幻想的であったのに対し、全ての謎を解いた先で明らかにされたのは怨嗟、信仰、妄執といった人間を人間たらしめている最もリアルな感情、あるいは性質である。これらを憑物と称するならば、そのような存在は誰にとっても普遍的であり、かつ自分では気付けないものだ。ゆえに「憑物落とし」は見せかけの怪異だけでなく、関係者ひとりひとりの内面を解体する作業でもあるのではないだろうか。そのために使える知識を総動員しながら徹底的に対話を試みて、必要とあらばそれっぽい演出で誤魔化したりもする。それはきっと見た目よりはるかに地道で、地に足の着いた繊細な営みだと思う。

 最後にテーマとなった「骨」にも触れておこう。作中で言及されていたように、骨は人体の中で唯一、火に焼べても海に流しても残り続ける部位である。ならば故人の魂は、周囲にいる人々の感情は、その中に宿り続けているのだろうか。答えを知る術はないが、上述の解釈を踏まえるとどうにも認めたくないような気分になる。その意味で、感慨も不穏もまとめて袖にするようなラストシーンの描写は極めて爽快だった。

(燦)


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