『絆光記』(アイドルマスター シャイニーカラーズ)
BLACK HOLE:EXTRA 2024年5月
アイドル育成ゲームに登場する46歳の名前のないおじさんがやたらと魅力的なイベントシナリオこと、『絆光記』の話をします。
物語の表の主人公であるアイドルユニット・イルミネーションスターズは、往年の名作をリメイクしたある映画作品の宣伝大使に任命されることになります。映画の魅力を伝えるためのイベントの一貫として、イルミネの三人は同年代ながら全く異なる仕事をしている少女たちと交流することになります。キャリアデザインの交流、ってやつです。
このイベントの模様を記事にする仕事を任命されたのが、物語の裏の主人公である「ルポライター」くんになります。
彼はアイドルを嫌っています。明るくて前向きな人たちは苦手で、見てると体力を持っていかれるから。昼の光に夜の闇に深さがわかってたまるか、と。言葉で真の炙り出すような傑作を夢想する彼は、しかし今もなお、持たざる者の側です。
彼がアイドルに向ける眼差しは皮肉に満ちています。仕事として付き添ってこそいますが、イベントの内容も茶番だと思っていたのかもしれません。
なぜなら、持たざる者に対して、持てる者の言葉が届くはずもないからです。「都会の人で、綺麗で、全部持っていて、変える場所がある」、そんな相手と仲良くできるはずがない。眩い光は影を傷つけるだけであり、役立たずの光には、影の形などわからないのだから。
ところが、対話を通じて、時には運動という肉体言語を通じて、少女たちは互いが人間であることを知りました。自分の当たり前と相手の当たり前が違うこと、互いのことがわからないということをわかり、理解不能な互いのことを少しだけ知りました。
そしてルポライターは、少しだけアイドルのことを知りました。彼女たちがずっと言葉を探していたこと、届けたい人に伝えたいことを届けるための言葉を探していたことを。
キャリアデザインの交流は、無事に幕を下ろします。
イベントをルポタージュする記事のライターに彼を指名したのがイルミネの「プロデューサー」であったことを、ルポライターは知ります。
実際のところ、ルポライターがどのような人生を過ごしてきたのか、具体的に読者が知ることはありません。あくまで断片的に配置される言葉たちが、彼の前景を想像させるのみです。
「暗くて、惨めで 希望のない言葉が」
「不愉快で、否定的で 思いやりのない言葉が」
「誰かを救ったらいけないのか」
悲鳴のようにも受け取れるそんな文言が、どのような過去を経て記されたのかを明確に知ることはできません。「言葉」に対する彼のこだわりがどれほどのものであるのかはわかりません。
他人を知ることはできません。
他者を理解することはできません。
夜の闇の住人として、彼は「言葉」に矜持があったのかもしれません。昼の光の住人に自分の気持ちはわからないと思っていたのかもしれません。
だから、どれほどの衝撃があったのかはわかりません。
あのアイドルが、誰かに届けるための言葉を探し求めていたこと。もしかしたら、夜の闇の中の誰かより、誰かなんかより、ずっと真剣に言葉と向きあっていたこと。
理解不能だと思っていたはずの他人が、自分と同じように思い悩んでいたということ、そして──
深く悩んで選び抜かれた言葉たちを、無遠慮に容赦なく打ち砕く世界。
イルミネーションスターズは映画の宣伝大使でした。
往年の名作映画を改変して、本来の良さを損なったとされるリメイク映画を、宣伝した罪はアイドルにはないはずです。
しかし、SNSに押し寄せる大衆の言葉たちは、肯定も否定も毀誉褒貶も変わることなく、無理解な暴力のように押し寄せてきます。
それは、よくあることです。
もしかしたら、名もなきルポライターの過去にもあったことなのかもしれません。
実際のところ、『絆光記』はアイドルという鮮烈な光を中心とする物語です。残酷な現実に傷ついた少女たちがそれでも進んでいく先に見える光景のことを、闇に生きるルポライターがどれほど知っているのかはわかりません。
同じように、彼が諸々の出来事を経て、どのようにイルミネーションスターズを物語ったのかは──どんな言葉を選んだのかは、読者に語られることはありません。
これはありふれた物語です。
言葉は言葉です。
言葉に込めた気持ちがそのまま届くことはありません。時には思いもよらない誤解を招くこともあります。
けれど逆に、書き手が思いもよらない場所にまで、知らないうちに届いてしまう言葉もあるのだと思います。
たとえば、あるルポライターは知らないことでしょう。
彼があのアイドルについての記事を任された理由のことを。
誰よりもアイドルと真摯に向きあっているように見えた彼の本が、あるプロデューサーの心を、ちょっとだけ救っていたということを。
言葉が紡いだ人の思いどおりに届くことはありません。
だからこそ、本気で向きあった言葉が、思いもよらない人に、時に、届くことがある。
暗くて、惨めで、希望がなくて、不愉快で、否定的で、思いやりのない言葉でも、ひとりのプロデューサーを救ったことがある。
そのことをきっと、ひとりのルポライターは知らないのでしょう。
そのことこそが、『絆光記』という物語のテーマの表現として、最も美しいと思っています。
『アイドルマスター シャイニーカラーズ』は、理解不能な他者を理解するための言葉について、ずっと向きあってきた物語群です。そのなかでも『絆光記』は、間違いなく一つの到達点であると思います。
これは言葉の限界の物語です。
時には、言葉ではなく運動によって人が通じあうこともあります。時には、言葉を必要とせずに何かが他者に伝わっていることもあります。
言葉が思いどおりに届くことはありません。
しかし、それでも、だからこそ、生きていく限り、われわれは言葉を探し続けなければならない。
それは、だれかのための言葉を探す、あらゆる人間に捧げられた讚歌であるのだと思います。
(うつろなし)
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