『涙は目覚めの後で』(崩壊:スターレイルVer2.2)
BLACK HOLE:EXTRA 2024年5月
RPGのプレイヤーとは、主人公がとりうる選択の可能性にほんの少しの指向性だけ与えることができる妖精のような存在である、という思想があります。
おそらく大空スバルの『ドラゴンクエストⅧ』実況で聞いた言葉だったと思うのですが、「DQ8は記憶喪失で自我の薄弱な主人公をプレイヤーが導き誘う物語だったから、自らの正体を知って『自分』を取り戻した彼がプレイヤーをもはや必要としなくなったことで物語は終わる」という趣旨の話がめちゃくちゃ好きだったんですよね。
翻って、「選択肢」は『崩壊:スターレイル』というRPGの楽しみの一つである、と言ってもまず間違いはありません。
道傍のNPCとの些細な会話でも、あるいは物語が山場を迎えたシリアスな一幕でも、とにかく主人公/開拓者がふざけまくる──ふざけさせる、ことができる。あるいはプレイヤーの思想を反映して、ある事物に対する応答を両極端に変貌させる、ことができる。
それは一種の遊び心であると同時に、星核を宿した記憶喪失の開拓者には明確な意志がないことの裏返しでもあります。ゲームの序盤で操作可能になる、「壊滅」の運命に踏み入れた開拓者の、少し曇った表情が象徴しているように。
ところで、『崩壊:スターレイル』というRPGの大きな魅力の一つはサブクエストです。一応は運営型ソーシャルゲームに分類される作品だとは思いますが、物語の傍流に登場する他愛のない人々の人生を垣間見ることの楽しさは、買い切り型のコンシューマーゲームにまったく見劣りしないと言い切ることができます。
物語の進行によって訪れる、さまざまな星をめぐるサブクエストでは、時にその地に生きる人々の命運が開拓者に/プレイヤーの手に委ねられてきました。それはつまり、来訪者であり部外者でしかない開拓者の身でありながら、他者の運命を「選択」することの「責任」が幾度も問われてきた、ということです。
それはおそらく『崩壊:スターレイル』の物語に通底する重要なテーマの一つ、なのだろうとは思います。しかしながら、サブクエストで左右されるのはあくまでどこにでもいる平凡な人々の運命であって、世界の命運ではありませんでした。
宇宙ステーション「ヘルタ」では、記憶喪失から目覚めたてで、状況に流されるままただ戦いました。星穹列車に乗って「開拓」の道を歩むという選択は、開拓者自身の運命を変えるものでしかありません。
吹雪に閉ざされたヤリーロ-VIのベロブルグにとって、開拓者は停滞した状況を一変させる「変数」ではありました。しかしあくまで主体はその地を生きる人々にあり、都市の未来を変える選択の責任を負うのは「存護」の役目。真実と嘘の選択は、大勢に影響するものではありません。
仙舟「羅浮」における開拓者は、「巡狩」と「豊穣」と「壊滅」という三つの勢力をめくる戦争に巻き込まれただけの存在でした。銀河を渡る星穹列車のナナシビト、という立場ゆえに戦術的に運用される、「奇兵」に過ぎません。
世界の命運を左右できるほどの確固たる自我は、これまでの主人公にはありませんでした。
しかし、「宴の星」ピノコニーをめぐる『崩壊:スターレイル』Ver2.0以降の物語では、少しずつ話が変わってきます。
舞台となるピノコニーは「憶泡」の影響が色濃い地。その悪影響を受けた開拓者は、不思議な夢を見ます。どこかで会ったことがある気がするような女性との会話、赤い文字による不気味な演出。残酷な運命に対する選択を迫られるような、不可解な夢。
これまで訪れた星において開拓者は、星穹列車の乗員という集団の一員であり、変数で奇兵でした。しかしピノコニーでは、ひとりのナナシビト個人として、ある少女と出逢います。夢のように儚く美しい、特別な時間を過ごし──そして、凄惨な事件に遭遇します。
デフォルトネーム:「星/穹」という、開拓者の、主人公自身の意志を問うような「選択」がこの先に待っているのではないか?
そんな期待にこれ以上ない展開で応えてくれたのが、『崩壊:スターレイル』Ver2.2「涙は目覚めの後で」でした。
実際のところ『崩壊:スターレイル』は魅力的なキャラクターが数多登場するゲームであり、同時に非常にハードなSFでもあります。キャラの容貌や性格によって軽薄な歓心を惹くこともできますが、その重厚な世界観の全貌を把握することは極めて難しいです。もちろんキャラ萌えの観点について、あるいは膨大なフレーバーテキストが表現するセンス・オブ・ワンダーの視点について、もっと掘り下げることはできるのですが、本稿は敢えてそれらを省いています。
重要なのは一点。
台詞の選択肢によって主人公の心情に指向性を与える、RPGという表現形式において、『崩壊:スターレイル』は一つの到達点にある。
それだけです。
ゲームであることに限りなく意味を持たせた物語を表現するゲームとして、至福の体験であることを保証できます。
(うつろなし)
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