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夫婦、家族、家庭、パートナー。人生の行く末。
昔、新婚の友人を
内心バカにしていた時期がある。
今考えるとあの時の私は相当病んでた。
旦那大事にするより自分の人生を生きれば?
旦那なんか大事にしてダッサイなぁ
青いなぁ。そんなものは長くは続かねーよ
ってマジで思っていた。
あの頃これっぽちも気づいていなかったけど、
私の精神状態も家の中も。
今にも壊れそうなくらいガタガタだったろうと思う。
パートナーとの関係が上手くいっていないから
他人の家庭を見てバカにしていたし、
「自分の人生を!自分で稼ぐ!」とかほざいて
目の前の現実から逃げていたのだろうと思う。
離婚を経験して
そしてまた一緒に生きて行きたい人を目の前にした今、
やっと自分が何を大事にしたかったのかに気づかされる。
一度目で気づけなかったのは、
自分が貰う事に精一杯で
その癖受け取ることはしない
赤ちゃんみたいな奴だったからだろうと思った。
それぞれに課題があった。
なぜ一緒になるのか。
一緒にいる意味はどこにあるのか。
これは至ってシンプルで、
ただ「愛しているから」だと思った。
あの頃新婚の友人が
旦那さんを大切に思っていたのは
とても自然なことであったし、
自分たちの巣を愛しく
大切に思う事がとても温かいことだと
今は深いところで納得できる自分がいる。
よくあるセリフで
「夫婦長くしていると、そんなこと思わなくなるよ」みたいなのも聞くけど。
それは、、、?
私にも分からない。
確かに、そんな感情もきっちり経験した。
だからと言って、
そんな冷めきった言葉で表現するのを
この先自分が望んでないのは確か。
あの頃、
「外」に逃げる事に
「外」で何かを掴むことに躍起になっていた。
「外」で成功を手にすれば
もっと自分が幸せでいられると勘違いを起こしてた。
「成功者」と呼ばれる人を見ては
自分もそうなれるなど狂ったハイテンションで (爆)
団体の中に紛れてみたり現実逃避にも程があったと思う。。
全ては「内」がグチャグチャだから
本当に心から繋がりたい人と繋がれていない
自分の本音も分かっていない虚無感からだった。
外で稼ぎ、別の遊びを覚えたり
「家庭」が眼中にない男の人。
今でもいっぱい知ってる。
家庭内がグチャグチャで、
「外」に出ようとしていく女の人(男の人も)。
これが多いことも経験したから分かる。
「内」を直視できないが故の
「外で満たされる、外で成功」は本当に、
お先真っ暗なんよ。。男も女も。
はたまた、
「家族の為に頑張る」
「生活の為に働く」という言葉。
一見とても苦しくて、
逃げ場が無いことのように思えるけれど、、
人間故の温かく純粋な思いだと思う。
帰る場所が同じ
お互いの巣を大切に思うこと
ちっぽけだけど何にも代え難い幸せを
人はあまりにも簡単に見失ってしまう。
家庭とか旦那とか家族、家、子供とか
そういうのがマジでどうでもいい人は、
この文章も序盤でスルーしていると思うけど。
何が大切で
誰と生きて
誰と笑って死にたいのか
そんなことを考えた時に…
パートナーや家族、大好きな家の中が浮かぶ。
ま、正直なところ家事育児、
そんな美しいもんじゃない日常だって沢山沢山、あるのだけど。
それでもここに来て、
自分の土台にようやく気づけたそれを俯瞰しては
今、とても安心して微笑ましく眺めている。
これからの人生は、
どれだけ見失わずに生きられるか
それだけ頑張れれば、まずは上出来だと思った。