ドラマ『高嶺の花』石原さとみ主演を観て
お疲れ様です。Monicaです。
今日は、ドラマ『高嶺の花』をアマプラで一気見をした感想を記したいと思います。
ぷーさんこと、なおと氏(39)はひょんな出逢いからもも(29)と恋に落ちます。
恋愛をしてきていないぷーさんにとっては、ももの言動はすべてが新鮮です。
初めての恋愛でも、ぷーさんには心強い味方がいました。
それは、亡くなった母が語ってくれた父への愛、そして、女とはどういう生き物であるかの指南でした。
中学2年生の頃に父親を亡くしたぷーさんはそれ以降、何かを求めることを諦めたのだと思います。
他人に期待したり、他人に求めたり、恋愛には少なからず、相手への期待という要素があるのかもしれません。
しかし、偶然、自転車の修理に現れたお客としてのももは手助けが必要なほど、泥んこでした。
幼き頃に母に読んでもらった『どろんこハリー』をも彷彿とさせる汚れ具合でした。
近所のコスプレーヤーの年頃の女の子も、この物語において非常に重要な役割を担っています。
女の子の両親は離婚しており、旦那は妻の営むバー(カフェ)に毎晩、足を運んでいるのです。
不倫が原因で離婚したことが物語の中で示唆されています。
女の子は、少なくとも、ぷーさんのことが嫌いではなく、自転車屋になぜかいつもいるのです。
それは、ぷーさんの人柄、優しさ、許容の広さ、心の広さを示しているのかもしれません。
仕事場でありながら、商店街という近所づきあいがあった時代にとっては当たり前の後継なのかもしれない。
近所の子供、まだ成人していな為、敢えてここでは、子供という表現を使うが、女の子は年齢を推測するに高校生だと思われる。
ぷーさんとももの間に、関係性の発展に、女性を代表して、【女性としてどう思うのか】をぷーさんが意見を求めるのだ。
ぷーさんは、彼女を一人の女性として、認め、助言をもらうという素晴らしい関係性を見せつけてくれる。
弱音、痛い部分、かゆいところ、そんな人には見せない部分を商店街の仲間たちには素直に正直に、見せることができるのだ。
それは、幼いころから知り合いであるという、時間経過に伴う信頼度合がそうさせているようにも見受けられる。
私事ではあるが、幼少期に父の転勤によって、地元で仲良くずっと一緒のメンバーというのがいない。
故に、故郷で育ち、地元を愛し、地元に育てられてきて、地元に恩返しをするために働き続ける姿に異様に恍惚とした羨望を抱くのである。
兎に角、ぷーさんには気心知れた商店街の仲間たちがおり、ももは彼らに出逢い、もう一人の自分、居場所を見出すのである。
華道のお家元の娘としての重圧に耐えて育つ過程で、失ってきた空白の時間を埋めるかの如く、ぷーさんとの非日常の世界を楽しむのだ。
ぷーさんに近づく理由は、最初は、破談になった結婚に対する腹いせもあった。上書きしたい下心もあった。
しかし、ぷーさんは、そんなももの想いをすべて受け止めたうえで、また、ももも純粋で初心なぷーさんだからこそ、心を許した部分があったのだろう。
あるがままで、受け入れる。受け止める。全力で愛する。
そうした芸術家を愛するぷーさんの姿は、私の目には美しく映った。
恋愛は、決して、経験の数ではない。
それは、出逢いであり、時間の濃さ、なのだと教わった。
ぷーさんの母親は、恋愛の指南を沢山、ぷーさんの記憶と心に刻んでいる。
自身の経験から語られる、【女として】の心情の描き方はクールである。
ぷーさんは、自身の言葉で「女性はみな、芸術家である」と表現している。
怒ったり、泣いたり、笑ったり、表情豊かに変貌する姿が新鮮に映るのである。
私自身の経験を振り返っても、ももの言葉を借りるならば、「自分の庭」の話ができることが重要だと思う。
「自分の庭」の話題になった際に、カフェでぷーさんは「自分の庭を持つこと」は「責任を持つこと」だと悟る。
スポーツの応援をしに海外に出向く人が描かれているが、その人も家に帰れば、家庭があり、家族があり、責任を負っているのだと悟るのである。
話の流れ上、「自分の庭」があたかも【恋愛】に限定して聞こえてくる節も否めないが、あくまでも【自分の人生】に対する責任をもって生きているかを問われているようにも感ずる。
心理療法に「箱庭療法」なるものがあるが、どのように表現するか、描くかは当事者によって様々である。
人生を「庭」としてとらえた場合、そこには、イメージとして、やはり植物があるように思う。
そして、このドラマの主題ともなる、華道は、【花、華】がモチーフである。
ある時、ももは気付く。亡くなった母親の言葉を聞いて、「私自身が花である」と。
「花」を活ける、のではなく、「花」として、飾り、生けるのだと。
この物語は、非常に多くの伏線とストーリーが盛り込まれている。
ももは実子として育てられているが、父親だと思って育ってきた人が父親ではなかったこと。妹だと思って育ってきた人が、血の繋がりのない赤の他人であること。
事実に直面した際に、衝撃を受けるももに対して、実の父親がさらなる追い打ちをかけ、ももは自室に逃げ出してしまう。
ぷーさんは「アイデンティティの危機」と表現したが、まさに自身のルーツに関して根幹を揺るがす事態が起きてしまうのである。
その夜、ももはヤケ酒を浴び、キャバクラでホステスをしながら、ぷーさんに辛く当たる。
感情を吐き出せる相手がいる、というのは素晴らしいことである。
ももにとって、最初はぷーさんは恋愛感情など一切なかったのかもしれない。
だが、時間経過と共に、ぷーさんの優しさに触れるに従って、ももの凍り付いた心の壁は見事に溶かされていくのである。