![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/70370541/rectangle_large_type_2_68eaa62e469213d8787ba402729d4c28.jpg?width=1200)
すごい遠回り。申命記1章より。
『申命記(しんめいき)』って、そもそも、このタイトルの意味を知りませんでした。(または聞いたことはあったかも知れないけれど、忘れていました。)
「申命」は、漢語で“繰り返して命じる”という意味だそうです!
繰り返す・・・何を?
申命記の1章には「モーセはイスラエルの人々にむかって、主が彼ら(イスラエル人)のため彼(モーセ)に授けられた命令を、ことごとく告げた」とあります。
荒野の旅の終盤で、モーセがイスラエルの人々に向かって、もう一度律法を語ったのが、『申命記』です。
なぜもう一度語る必要があったかというと、最初に律法を与えられた人たちはみんな荒野で死んでしまったからです。ここでモーセが語っている相手は、“新しい世代のイスラエル人”で、約束の地に入る前にもう一度律法の確認をする必要があったのです。
イスラエルの民は、十一日で行ける道のりを四十年かけて旅をしました。遅延にしてもほどがありますね!!
①神様の思いをわたしたちが知り、理解し、神様と近づくための“近道”はないのかも知れません。しかし神様は、わたしたちが失敗するたびに許し、教え、導こうとされています。
②“約束の地”への旅は、自分がそこに入るだけでなく、“信仰の継承”もセットで含まれているのだと思います。