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電子スピンと“パウリの排他原理”

前々回では“電子のスピン”という概念について(*1)、そして前回の記事では“上向き/下向き”の2値しかとらないスピンが“古典物理の確率論に従うのか”、それとも“量子力学という古典物理学の通用しない新たなルールに従うのか”、について考察しました。前回の話の通り、原子核 (Atomic nuclei) の周りに存在する電子 (electron) のスピンが上向き (spin up)か下向き (spin down) かは確率1/2ですが、これらはランダムに決まっているわけではありません。

今回も「量子力学の不思議な世界」について探究を深めていきます。過去の宇宙論とは反対に、「意識」を小さく小さく「原子 (Atom)」よりも小さい「量子 (Quantum) 」レベルにまで縮小してその姿を想像していきましょう。


・電子の軌道
原子核の周りには原子軌道 (Atomic orbitals) があり、その軌道に沿って電子が配置されていくという概念があります。中学高校の理科でも習うように、原子核の周囲にただ電子が存在しているわけではなく、一定の法則をもって電子が並んでいます。その法則を物理学の書籍 "Atomic Orbital Theory (*3)" に基づいて深く掘り下げていきます。

電子には“量子数 (Quantum Numbers)”という概念が存在しています。そしてその量子数に基づいて電子の位置情報(座標)や性質が定義されていると言えます。表記の一つの方法として、電子の量子数は [n, l, m]と表すことができます (Figure 1 right)。


・主量子数 (Principal Quantum Number):n
この中で“n”は主量子数 (Principal Quantum Number) と呼ばれる値で電子の位置の基本的な情報を表しています。わかりやすく言うと、電子にはK殻、L殻、M殻、、、というように内側から電子殻の名前が定義されているのはほとんどの人が習ったことがあると思います

この電子殻がそれぞれK: n=1, L: n=2, M: n=3....というように主量子数と対応しています (Figure 1 left)。

ここまでは学校で習ったという読者も多いと思いますが、ここからさらに複雑な構造になっていきます。


・方位量子数 (Azimuthal Quantum Number):l
電子の量子数 [n, l, m]の2番目の量子数“l”方位量子数 (Azimuthal Quantum Number) と呼ばれるもので電子軌道の大まかな形状を表し、主量子数よりも細かく電子の軌道を分ける数値になります。Figure 2に示すように様々な軌道の形がありますが、この図では同じ段にある軌道が同じ方位量子数に属する軌道になります。そして量子数nとは異なり、“l”は「0, 1, 2......, n-1」というように0から始まり n-1 までの値をとります。

Figure 2の図の横に示されているように s軌道 (l=0)、p軌道 (l=1)、d軌道 (l=2) ... と続いていきます。図のように同じ段にある軌道は同じ方位量子数“l”に属しています。


・磁気量子数 (Magnetic Quantum Number): m
電子の量子数 [n, l, m]の3番目の量子数“m”磁気量子数 (Magnetic Quantum Number) と呼ばれるものです。これは同じ方位量子数“l”の電子軌道を磁場の中に置くと、さらにいくつかの軌道に分離されます。これによって分かれる軌道が磁気量子数“m”に割り当てられ、方位量子数“l”のグループをさらに細かく分ける数値です。

この磁気量子数“m”は -l から +l までの整数値をとります。例として l=2 (d軌道)の場合には m= [-2, -1, 0, +1, +2] の5つの値をとり、これはこのd軌道が5つの軌道からなることを示しています (Figure 3)。

・電子の量子数 [n, l, m] と電子の数
これまで電子の3つの量子数 [n, l, m] について説明しましたが、これらから電子の数を次のように求めることができます。内側から[n]番目の電子殻には[ 0〜l (n-1) ]までの軌道の形状があり、それぞれの軌道は磁場によって[m (2l+1) ]個の軌道に分けられます (Figure 4)。

具体例を挙げると、内側から3番目[n=3]の電子殻 (M殻) には[ l = 0, 1, 2 ]の軌道の形状が存在し、[ l =0 ]のとき軌道の数[ m=1 ]、[ l =1 ]のとき軌道の数[ m=3 ]、[ l =2 ]のとき軌道の数[ m=3 ]なので、合計の軌道の数は 1+3+5=9。そしてこれらの軌道に2つずつ電子が入るのでこの電子殻 (M殻) に入る電子の数は9x2=18個という計算になります。

覚えている人も多いと思いますが、各電子殻に入る最大の電子の数は 2, 8, 18, 32 ... という法則があり、このような方法で求めることができます。

1800年代後半から1900年代初頭にかけて原子核とその周囲に存在する電子の構造は徐々に解明されていきました。1913年にはスウェーデンの物理学者リュードベリ (Rydberg) によって電子殻に入る電子の数は内側から2 (2x1^2), 8 (2x2^2), 18 (2x3^2),,,, 2xN^2 というようにある程度の法則が発見されていました(*4)。


・物理学者パウリの疑問
この法則にさらなる疑問を抱いていたのがヴォルフガング・パウリ (Wolfgang Pauli) という有名な物理学者です (Figure 5)。パウリ氏は量子力学の発展において欠かせない進歩をもたらした科学者ですが、1920年代まだ若かった彼は電子の配置に関して不可解な点を感じていました。

彼は解明されつつある原子レベルの物理学において、従来の古典物理学では解明できない新たな発想が必要であることを感じていました。そして当時解明されていた電子の量子数に関しては理解しつつも「なぜ2, 8, 18 ... 2×n^2なのか?」「1, 4, 9 ... n^2 の方が自然ではないだろうか?」という疑問を抱いていました。

彼は「なぜ2つずつなのか?」「古典物理学的に記述できない2つの値 (classically non-describable two-valuedness) があるのではないか?」「4つ目の量子数があるのでは?」という想いを巡らせていました。


・シュテルン=ゲルラッハ実験と電子スピンの提唱
1922年、前々回の記事で紹介したように、シュテルン (O Stern) 博士とゲルラッハ (W Gerlach) 博士が銀原子を用いた実験で電子の性質に何らかの「量子化された状態」が存在することを証明しました(*1, *7)。

さらにウーレンベック (GE Uhlenbeck) 氏とゴーズミット (S Goudsmit) 氏によって“電子スピン”という概念が提唱されます(Figure 6)。

・第4の“量子数” (4th Quantum Number)
これらの研究成果がパウリ氏の疑問を解く鍵となりました。「なぜ1つの軌道に2つの電子が入るのか?」「全てが最小単位の量子で分割されるはずであるのに、2つの電子が入るのか?」「この2つの電子はこれ以上分けられないのか?」このような疑問を説明するために[n, l, m]に続く第4の量子数が必要でした。

そしてその4番目の量子数が“電子スピン量子数 (Electron Spin Quantum Number): s” でした (Figure 7)。この量子数は他の量子数と異なり、[-1/2, +1/2]の2つの値しか持ちません。

Figure 7中央に示すように、1つの軌道において許される電子のペアは「上向きと下向きの異なる量子数を持つペアのみ」ということが分かりました。「上向き/上向き」または「下向き/下向き」のペアが同じ軌道に存在することは許容されません。


・「パウリの排他原理 (Pauli Exclusion Principle)」
つまり、ある原子において電子の量子数 [n, l, m, s] は“1つの電子に対して固有の量子数が割り当てられる”、”全く同じ量子数は存在しない”ということが成立することが分かりました。今まで「同じ軌道の2つの電子」というものを識別できなかったために「なぜ2つ存在できるのか」という疑問が生じたのですが、このスピン量子数の導入によって「全ての電子を識別することが可能となった」、それにより「同じ軌道に入る電子は異なるスピンでなければならない」ということが分かりました。「同一の量子数の場所には一つの電子しか存在できない」これが“パウリの排他原理 (Pauli Exclusion Principle, *5)”と呼ばれる量子力学の原理です。


銀原子 (Ag) のスピン状態
ここで前回、前々回と続けて出てきた銀原子の電子のスピン状態を確認していきます。Figure 8の右側の図が電子の軌道とエネルギー準位の関係です。エネルギー準位の低い軌道から埋まっていくので、下の軌道から順に軌道が埋められていきます。

これを見てわかるように、一つの電子軌道が埋まるとき上向きのスピンと下向きのスピンが必ず一つずつ入っていることが分かります。銀原子の場合はN殻のd軌道 (4d軌道)の電子が全て埋まった後にO殻 (5s軌道)の電子が1個入ります。このため、O殻の1個の電子のみが「上向き/下向き」どちらの値でもとることができます。

Figure 8右の図を見ると、「最外殻の1個の電子が上向き/下向きどちらでも良い」ということと「他の46個の電子の向きが法則によって決定されている」ということが目で理解できると思います。前回の記事で「46個の電子の上向きスピンと下向きのスピンの数は同じ」と言った預言者はただこの法則を知っていただけでした。ただし、パウリもそう考えていたように量子力学を知ることによって古典物理では到達できない考え方が可能になります。

・今回の記事のまとめ
 ・電子の軌道は電子殻ごとに決まっている
 ・電子にはユニークな量子数が割り当てられている
 ・n:主量子数、l:方位量子数、m:磁気量子数
 ・4つ目の量子数がスピン量子数
 ・1つの軌道には2つの電子が存在できる
 ・しかし同じ軌道に同じスピン状態は存在できない
 ・同じ原子に全く同じ量子数の電子は存在できない
 ・この法則は「パウリの排他原理」と呼ばれる
 ・この原理はフェルミ粒子を知る上で重要である
 ・“物質に触れる”のは「パウリの排他原理」があるからである


このパウリの排他原理を展開すると「フェルミ粒子は同じ量子状態で2つ同時に存在できない」と言い表せます。これが意味するところは「同じ位置に2つの粒子が重なって存在できない」、つまり「物質同士がすり抜けず、手で触れたり持ったりできるのはこの普遍的な原理が存在するから」ということになります。

まだこのほかにも、「どのような順番で電子軌道が埋められていくのか」という点に関してはフントの規則 (Hund's rules, *10) という法則が存在しています。これも単純に同じ電子軌道に上向きと下向きの電子が交互に埋まっていくわけではありません。この法則も重要でこれが自然界の秩序に大きく寄与していますが、また機会があれば解説したいと思います。

これらの法則を知ることによって、「全てが確率論的で全てが独立した事象」という古典物理学的な考え方から「ある一つのことが決まればもう一方も決まる。何が起こるか、何故そうなるかが分かる」という宇宙の法則を理解できるようになります。特に電子スピンは「量子もつれ (Quantum Entanglement)」や「見えない因果関係:隠れた変数 (Hidden variables)」を知るために不可欠な予備知識となるので知っておいて損はないでしょう。

最後に軌道電子のCGシミュレーション画像を引用して掲載します (Figure 9, *f)。コンピュータによるシミュレーション画像なので実際の画像ではありませんが、ミクロの世界で電子がどのような軌道で原子核の周りを周回しているのか参考になると思います。銀原子の電子はこれらの軌道を全て重ね合わせた状態と考えられます。こうしてみると原子の状態は私たちが想像しているよりも複雑で精密で、かつ芸術的な美しさをもって創られているように思えます。一つの原子の構造においてさえも、物理的にも一切の無駄が無く造形美も兼ね備えているのは、神が創造したものだからかもしれませんね。

(著者:野宮琢磨)

野宮琢磨 Takuma Nomiya  医師・医学博士
臨床医として20年以上様々な疾患と患者に接し、身体的問題と同時に精神的問題にも取り組む。基礎研究と臨床研究で数々の英文研究論文を執筆。業績は海外でも評価され、自身が学術論文を執筆するだけではなく、海外の医学学術雑誌から研究論文の査読の依頼も引き受けている。エビデンス偏重主義にならないよう、未開拓の研究分野にも注目。医療の未来を探り続けている。

引用:
*1. 量子スピン:「思考の現実化」への鍵
https://note.com/newlifemagazine/n/nfa024ca98777 
*2. 電子スピンと46枚のコイン
https://note.com/newlifemagazine/n/n71422884a72b 
*3. Orchin, Milton; Macomber, Roger S.; Pinhas, Allan; Wilson, R. Marshall (2005). "1. Atomic Orbital Theory". The Vocabulary and Concepts of Organic Chemistry (2nd ed.). Wiley.
*4. Rydberg JR. "Untersuchungen über das System der Grindstoffe"; Lunds Univ. Arsskrift,Bd 9, No. 18, 1913.
*5. Pauli, Wolfgang. "Exclusion principle and quantum mechanics." Writings on physics and philosophy. Berlin, Heidelberg: Springer Berlin Heidelberg, 1946. 165-181.
*6. Fan JD, and Malozovsky YM. "Pauli exclusion principle." International Journal of Modern Physics B 27.15 (2013): 1362024.
*7. W. Gerlach, O. Stern, “Der experimentelle Nachweis der Richtungsquantelung im Magnetfeld”, Z. Phys. 1922, 9, 349– 352.
*8. Uhlenbeck GE, and Goudsmit S. "Discovery of Spin." Naturwiss 47 (1925): 953.
*9. Uhlenbeck GE, and Goudsmit S. Spinning Electrons and the Structure of Spectra. Nature 117, 264–265 (1926).
*10. フントの規則-Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/フントの規則 
画像引用:
*a. https://en.wikipedia.org/wiki/Atomic_nucleus
*b. Image by Haade and Geek3. https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4a/Single_electron_orbitals.jpg
*c. https://en.wikipedia.org/wiki/Wolfgang_Pauli#/media/File:Pauli.jpg
*d. van der Waals, J. H. "The discovery of the electron spin SA Goudsmit.". https://lorentz.leidenuniv.nl/history/spin/goudsmit.html
*e. https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ファイル:Electron_shell_047_Silver.svg
*f. Image by PoorLeno. https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e7/Hydrogen_Density_Plots.png
*g. Image by macrovector on Freepik. https://www.freepik.com/free-vector/light-tunnel-light-whirl-vortex-whirl-glowing-tunnel-motion-vortex-cosmic-tunnel_13031477.htm

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