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宮古島とわたし

1990年代初頭、初めて訪れた沖縄県宮古島。
わたしの聖地、パイナガマビーチ。

当時の写真は平良港埋め立て初期のもので、市街地中心にあるこの海の色は今ですら東洋一の海といわれるに至った「前浜ビーチ」それ以上のものでした。
あのころ池間大橋が完成したというのも時合間って、
内地から初来島したわたしに、宮古んちゅの方たちは親切に案内してくださいました。


宮古ブルー、と後に所以となる池間の海はいまよりもっともっと輝かしくて、橋を渡ることすらできないくらい神々しく、その海のいろのまぶしさにこの世のものとは思えず畏れ入り、島人の案内を断り、橋を前にして宮古島方面へUターンしてもらったことも覚えています。

そしてその宮古島は、わたしにとって第二のふるさととなりました。

というのも、わたしはこの世に誕生して以来、同じ肉体をキープしながら魂のふるさとへ帰り(臨死し)またこの世に戻ってくるという経験をしたなかで、その第二回目の霊的な蘇生を促してくれた地が宮古島、というわけです。

今日は、当時の自分の心を振り返って皆さんに暴露したいとおもいます。



ある日のこと、

わたしはパイナガマビーチに座り水平線を眺めてぼーっとしていました。
気分はとても沈んでいて、当時はまだあまり知られていなかったうつ病のような状態だったのを覚えています。
すると、突然視界の水平線と空を結ぶちょうど中心に、突如煌く光が現れたかとおもうと、
次の瞬間その光がわたしを射抜きました。

光に松果体を射貫かれた



ほんの一瞬の出来事だとおもいます。

はっと、次の瞬間我に返ったときには、なぜかそれまでの自分のこころが見てきた世界は幻想であると知れたのです。
あまりの衝撃的な急展開に呆気にとられながらも、冷静に客観的にこのことを描写してみることを試みました。それは、


これまで、自分では愛だと思っていた愛も、
友情と思ってきた友情も、
親や家族との関係性という境界線も、
それはみんな自分が勝手に作り上げてきた思い込みという幻想にすぎないということ。
自分でがんじがらめのしがらみ世界をせっせと構築してきたのだということを。わたしの内に生命は生きており、わたしにはこのいのち以外失うものは何もないということがわかりました。

失うという感覚すら自らが生み出す幻想
そして、わたしはもともとただただ嬉しい存在であったことを思い出しました。そう思い出したのです。前回神さまと光の国で生きていたことを思い出して。

その一瞬の気づきによりわたしのなかで作り上げてきた友や家族も一切がなんにもなくなりました。なんにもなくなってというのは、実際には身勝手に込めていた執着が消え失せて心が軽くなりました。
そのとき頭のなかで声がしました。

「生きていていいんだよ。ここ(地球)にいていいんだよ。」と。


わたしたちはなんにもなくなくなってしまっても嬉し存在。
人間(生命)はみんなただ嬉しい存在。




ある日、
たまたま手にしたアルバイト情報誌に掲載されていた「おいでよ宮古島へ」の文字。
島がどこにあるかすら知らず、沖縄県と表す地図をみながら、
6センチ平方ほどの小さな記事に引き付けられ、今までの生活に終止符を打ち、遠くの知らない島で生きなおす決意をしました。

あのとき、心の風穴が勢いよく開き、みるみる希望が蘇ったのを覚えています。

それまでのわたしはじぶんの好きなように生きるこの世界を限界付けてきました。
じぶんで作り上げた制約を自らに課せ、その下で罪悪感を感じてきました。
自分に善悪の判断を下し(自己裁判)の結果、天罰が下されるのを待っていました。

何かを「得る」ということを、何かを「失う」という犠牲観念の上に基づかせ、
信じられないほど自分で自分の世界を窮屈で希望のないものに設えてしまっていました。
また、それに加えて自分がそうであるように、他人もまたそうあるべきだという思い込みが、
自他共への辛い責め苦となって、時に自分自身すらを許せずにいました。

愛すればこそ、とばかりに感じていたパートナーへの嫉妬や憎悪は、
実は、わたし自身が自分から溢れ出る愛の表現を見誤っていた証拠でした。


自己を信頼することを怠り、その代わりに信頼の置けるパートナー像を相手に期待していたのです。
幸せにしてもらうためにべったり依存した結果、相手への失望と人生への絶望と空虚感しか得られませんでした。



気づきが訪れるまでのわたしは、夜になると朝が来るのが怖く、
また朝になると夜になるのが怖く、生きていくこと自体が怖くなっていました。

夕方になっても部屋の明かりをつける気にはならず、日が沈みきって心と同じ真っ暗な部屋にいるほうがラクでした。
でもそんなある時、唯一そうすることで暗い心に明かりを灯すのは外界からの光ではなく、
わたし自身の内面からくる光であることを知ったのです。


眼をつむってもなぜか光が光っている
2007oct28の東急ホテル部屋から眺めた夕日


それ以来、ときおり来島するにあたって「今回は何のために?」と、ハイヤーセルフに自問自答すると、
「じぶん(ふるさと)へ帰るのに理由は要らない」という答え。

ああ、それもそうだった。

宮古島に移住して10数年。
以来、旅行に行きたいところがありません。

感謝。

Emeru

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