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今、改めて、自分ごととして「コミュニティとは」をコトコト煮込んでみる。ー運営と参加、オンラインとリアルの交差点で見えたものー

こちらは、2021年12月18日に開催された #HEROCAMP の裏側で伴走しておりました学生&運営によるWINGSチームによるイベントレポートのご紹介です。こちらのレポートは、WINGSチームの三輪 彩紀子がお届けしております!

コミュニティこたつ談義 EVENT REPORT

2021年12月18日開催 #HEROCAMP より

「コミュニティ/ 共同体」

元々の語源はラテン語で「共有」を意味するcommunis。


いつからか日本に輸入されてからというもの、近年では外来語とは思えないほど急速に普及している言葉です。

コロナ禍に突入してからの2年間で、あらためてその価値が見直され、一気に世の中に溢れつつあるということは、多くの方にとって実感しやすいことかもしれません。

同時にそれは、自ずと「コミュニティ」の定義が、ふわふわと拡大したり、または誰かの手の中にすぽっと収まってしまうように意味が矮小化されたり、掴み所のない存在になりつつあるのかも・・・。

家族でもなく、職場でも、友達の集まりでもないものでしょうか?

あるいは、それらが形成されるどこかの段階で抜け落ちていってしまった大切な破片が集まったものでしょうか?


今この文章を書いている私自身も、「コミュニティ」というフレーズには何か、言語化が追いつかないくらいのスピードで本能的に希求する何かを感じるように思うのですが・・・。

一体私たちは「コミュニティ」に何を求めているのか。

そもそも「コミュニティ」って何なのでしょうか?

今回登壇してくださったのは、まさに「これからのコミュニティを考える」という共通のテーマを持ち合わせた3人。

NEWHEROの高島太士さんのコミュニティの運営における悩みごとに対し、グリーンズの共同代表・植原正太郎さんと、株式会社メンバーズで学生向けラーニングコミュニティ「Practica」の運営に携わる我有才怜さんの3人で談義することになりました。

たった50分間のトークライブの中で、運営の仕方に留まらず、一参加者としてや、リアルな地域での体験を行ったり来たりしながら、コミュニティそのものが少しずつ噛み砕かれていきました。

【SUPER GUESTプロフィール】

植原正太郎さん

NPO法人グリーンズ 共同代表
1988年4月仙台生まれ。慶應義塾大学理工学部卒。新卒でSNSマーケティング会社に入社。2014年10月よりWEBマガジン「greenz.jp」を運営するNPO法人グリーンズにスタッフとして参画。2021年4月より共同代表に就任し、健やかな事業と組織づくりに励む。同年5月に熊本県南阿蘇村に移住。暇さえあれば釣りがしたい二児の父。

●我有才怜さん

株式会社メンバーズ
福岡県京都郡生まれ。学生時代は国際協力開発を専攻しながら、食や農への関心から、つくる人と食べる人をつなぐ活動に取り組む。
2017年、デジタルマーケティング会社へ新卒入社。社会課題解決型マーケティングを推進するほか、デンマークのデザイン会社BespokeとともにFutures Designというメソッドの日本展開に従事。
近年は気候変動問題の回避に熱量を注いでおり、国際環境NGO 350 Japanのクルーや「社会を動かす3.5%」の共同企画者として活動中。最近のキーワードは、民主主義 / 余白 / 対話 / 足るを知る / "生活"をしたい。

①脱・ただのネットワーク!でも、量に替わる質ってなんだろう

フォロワー数や、コミュニティメンバー数。
私たちはいつも数字というものさしで、目標や価値を設定したり測ってしまいます。

しかし、「コミュニティ」を考えるには、ここを考え直すところから始める必要がある、という話から談義は始まりました。

***

高島さん「例えば、僕たちは”Facebook世代”なので、友達の数がひたすらに増えていったんですよ。

でも、そうやって繋がって、仕事の報告を時々するだけじゃ、これはコミュニティじゃない!ってある時気づいたんですよね。」

我有さん「知り合いを増やしていくことと、コミュニティは別で考えていいのかもしれないですね。植原さんは以前、この違いを『生かしあえるかどうか』という表現で説明されていましたよね!

だから、個が個を呼ぶ・・・という形でメンバーが増えていく形だと、より理想的なのでしょうか?」

植原さん「うーんそうですね・・・どっちみち(知り合いが増え続けて)規模が大きくなり過ぎてしまうと、コミュニティというよりはネットワークになってしまうんじゃないかな、とも思ったりもしするかも・・・」

高島さん「つまり、繋がるだけじゃなくて、いかにして内部で絆が生まれるか、という点がコミュニティの肝なんですかね。

でも、その絆の上で刺激を受けられるような関係性をつくるって結構難しくないですか?

②人々がコミュニティに求めること

オンラインツールの発達により、繋がりたい人と繋がることがどんどん容易になっていく昨今。

その分、代償としての「人と人の離れやすさ」を認識したとき、私たちが求めていたコミュニティ像って果たしてこれで合っていたのだろうか?


とはいえ、忙しくて連絡を取ることがなくなったこと。なんだか時間が経つと腰が重くなること。

誰しも経験があるのでは・・・?

***


植原さん「僕がこのことについてよくヒントを得ているのは、ソーシャルバーPORTOのオーナーであり、コナキアイを主宰する、嶋田匠さんです。彼によれば、人が居場所だと感じるためには、『よりどころ』と『やくどころ』※1 、この両者が大切だと話していて、僕もこのバランスは意識しているところがあります。
しかし、もしかしたら一番大事で、何よりも先に用意するべきは、『自分のことが喋れる』という状態なのかもしれない、と最近感じるようになりました。」

高島さん「なるほど〜!それこそSNSでするような仕事の報告とかって、話しているうちには入らないですよね。かといって、個人的な想いを吐き出したいと思っても、怖くて話せなかったりっていう感覚もある。」

我有さん「そういえば、私が最近参加したワーケーションプログラム先では、自己紹介の中で肩書きを入れない、というルールがありました。人柄として出会うことができると、もう少し自分のことを話せたり、相手のことを知ろうとできたりしたな、と感じました。」

植原さん「こうやってみんな求めているということは、いかにこういった場所がないか、ということでもありますよね。だからこそ、本当のコミュニティって、居場所という意味では、『自分のことが喋れる場所』なのかも、と。」

高島さんコミュニティのことがちょっとずつわかってきたぞ・・・!

※1:嶋田さんは過去のインタビュー内で、「『よりどころ』は裸の個と個で繋がれているような利害関係が全くない信頼関係。」「『やくどころ』は提供価値があるから認めてもらえる、ある種ギブアンドテイクの要素を含んだ関係性。」と説明している。

「誰もが居場所を感じられる社会を目指して!嶋田 匠が考える『よりどころ』と『やくどころ』とは」

③されど一筋縄ではいかない・・・実践と互助のバランス

「ありの〜♪ままの〜♪姿見せるのよ〜♪」

と数年前に流行ったあの曲の歌詞にもあるように、みんなが求めているのは「自分のことが話せる場」であり、そのための場づくりにはいろいろな工夫の余地があるということ。


そんな発見があったところで新たな問いが生まれます。


それでも、「何のために集まっているのか」、要は目的を言語化しないと、実際人が集まりにくい。でも、ただただ話しやすい環境を本当は人は求めている。

この両者をどう考えたらいいのか・・・?


ここで、植原さんが「いいコミュニティ」を考える上で手がかりとなる考え方を教えてくださいました。

***


植原さん「一つは、実践共同体といわれる、何か目的があって学び合い、実践しあって、切磋琢磨しあったり共通の課題解決をしていくもの。

もう一つは、互助的なもの。

どっちに軸足を置くかによって、大切にすることや人の集め方が変わるんじゃないでしょうか?」


我有さん「確かに、その整理だと色々なコミュニティが理解できるなと思いました!

個人的には、実践型の集い方をするコミュニティに多く関わっているのですが、そこで感じるのは、やはり個として繋がりあうことの重要性でした。なぜかというと、そういったコミュニティって、類が友を呼んで同志が集うことが多いです。そうすると、その外にはまったく違う思想や価値観をもった人がいるという世界を忘れてしまっていたな、とハッとしたことがあったんです。なので、コミュニティとして、どちらか一つの在り方に偏るんじゃなくて、人として繋がりあうことを意識しつつ、両者のバランスをとっていきたいな、と思いました。」


高島さん「めっちゃ面白いですね。僕はこれまで互助的な考え方が抜けていたので、なるほどって感じです。でも、このイベントも、自分自身つながりたくて企画したし、我有さんもおっしゃっていたけれど、コミュニティとしては、やっぱり本当は両方取りたいという悩みがあるんです。」

植原さん「その悩みわかるな〜・・・

実践に偏りすぎると、やる気がない人は抜けていくのが普通ですけど、本当は裾野を広げたい。いいとこ取りするコミュニティを作りたい。」

我有さん「私は今それで思い浮かんだのは、ご近所付き合いでした。例えば、隣のおばちゃんは日常的に互助的な役割を担ってくれているけれど、災害時には近所の人たちが結束しあえるように実践型な側面も持っていたりするんじゃないかなと。」


植原さん「そうですね、これはどちらかといえば、自分たちの暮らしのために持ち寄って助け合うという共通認識に基づいた、互助的なコミュニティの在り方なのかな、と思います。僕が今、1万人規模の村に住んでいると、地域コミュニティで起こることと自分の暮らしがつながっていることがよくわかるんです。これが自然と当事者・自治意識というものにつながる。」

***


いいコミュニティの”質”って何か。


最後お二人が挙げてくださった地域コミュニティの例には、談義で触れられたヒントが集約されていたように感じます。


程よい規模感の中に生まれる、役割。

しかし前提にある、個としての暮らしに対する意思と、それらがただ尊重される状態。

ここから、ありのままの自分でいれるような居場所が作られていく・・・。

***


もしかしたら、「いいコミュニティ」は、打算的に生み出すことはできないのかもしれません。

きっと、その場にたまたま集った全員が持つ”個”としての意思が、結果として織り成されて行く「コミュニティ」で実験を繰り返すことでしか。

しかし、イベントの最後に植原さんがこのように言い残していらっしゃいます。

「でも、その『コミュニティ』が目指す方向を、実は共有しているような他の『コミュニティ』もいるんじゃないかなって今日思いました。だからこそ、個々で闘うのではなく、「コミュニティ」同士の連携をしたいな、という新しい目標が生まれました!」

この言葉は、新しい「コミュニティ」の定義の可能性を開くものである気がしました。

そして、「コミュニティ」の中心にいない私たちも、それぞれが意思を持って、思考を止めないでいることこそが役割であり、「いいコミュニティ」を作る上で、知らず知らずのうちに力になれるのかな、という希望も・・・。

***

稚拙なレポートにも関わらず、ここまで読んでくださったことに感謝いたします。

この「こたつ談義」が、NEWHERO CAMPから飛び立って、皆さんのそれぞれの場所で連鎖していきますように。

執筆:【WINGSチーム】三輪 彩紀子 プロフィール
国際基督教大学在学、人類学メジャー/ジェンダー・セクシュアリティ研究マイナー。
「新しい視点と世界観を知りたい」というモチベーションのもと、田舎暮らしやバックパック旅をしたり、誰かと一緒に手を動かして表現方法を模索することが好き。最近は特に陶芸にハマっています。


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