我が家では、ポケカの場合だけ財布のヒモがゆるくなる件。
長男がポケモンカードをはじめたのは4歳の誕生日から。やがて買い物のついでに拡張パックをちょこちょこ買うようになり、いつの間にか現在のように新弾が発売されたら最低1BOXは購入するようになっていた。発売日の土曜日の朝は次男、長男、パパ、ママの順で、ボックスの中から1パックづつ開封して誰がいいカードを引くのかで盛り上がるのも、ちょっとした家族の恒例行事になっていた。パパの趣味にもなってしまったのでデッキシールドやプレイマットなどのサプライも気に入ったものがあれば買っていった。
1歳や2歳の幼児のために絵本を買う時に、あまり「甘やかしすぎかも」と思う人はいない。幼児にはそもそもお金という概念や継続的な物欲もないからだ。当時、息子は4歳だったので、その延長線上で深く考えずにポケモンカードを買っていたのだった。
しかし、子どもが大きくなるにつれて「これはちょっと考えた方がいいかもな」と思い始めた。子どもが小学生くらいなって、「お小遣い制」になった場合、自分のお小遣いでは買えないようなお金を使っているのを見て、間違った金銭感覚や経済観念が見につかないだろうかと。また将来的に長男にポケカ友達ができた時に、その家の方針が我が家と違って「子どものお小遣いの範囲でやろう派」だったらどうしようなんて想像する。当然デッキには差ができるし、それが理由で遊ばなくなってしまうかもしれない。そもそも「カードゲーム」という趣味も眉をひそめるような家庭もあるので、誘うのもためらわれるのに。
それでも今、我が家はポケモンカードに幼稚園児の「娯楽」「おもちゃ」というには過ぎたお金を使っている。先日の東京CLそしてシティリーグに向けた長男のフライゴンGXデッキの構築では必要なパーツを揃えるために2000円程度、シングル買いをしている。TCGプレイヤーにとっては大したことがない額でも、幼稚園児の「おもちゃ」と考えれば高価だと思う。
それは、なぜか。
以前も書いた気がするけど、どんなことでも一生懸命に取り組むことは、あらゆる学びにつながる。それが「遊び」でも同じだ。目標を決めて計画を立てて、頭を使って工夫し、日々練習を積み重ね、本番で力を発揮する。チャンピオンズリーグやシティリーグに挑戦するのも、それが目標となる場だからだ。まだ本当に長男がポケモンカードを競技として真剣に取り組むかどうかは分からない。チャンピオンズリーグのために全国を転戦するのは、色々な意味で負担が重いし、長男もまだそこまでの気持ちはないらしい。だから、それを無理に焚きつけようとは思わない。
もちろん親としては長男がポケモンカードのチャンピオンになったら誇らしいし愉快だろうという欲もないわけじゃない。彼の幼少期にあとから語れるような武勇伝があった方が面白いんじゃないかという思いもある。また長男がポケモンカードを通して計算能力や読解力などを身につけていったのも事実で過去のnoteではそんなことを書いてきたけど、それらはすべて副産物にすぎない。最も大切なことは彼が本気で取り組めることに出会えたこと。親としては、それをなるべく応援したいのだ。いつか遠い将来、自分の意志で本気でなにかに取り組まなきゃいけない時や、否応なく強大ななにかに立ち向かわなきゃいけない時が必ずくる。そんな時にポケモンカードに本気で取り組んだ経験が彼を助けてくれるのではないかと願っている。僕自身、社会人としてスキルを熟達させていく過程で役に立ったのは格ゲーの経験だったりした。
一生懸命にとりくめるものなら、なんでも良かった。
もしかしたらそれは将棋だったかもしれないしピアノだったかもしれないし、野球だったかもしれない。たまたま彼が巡り合ったのがポケモンカードだったのだ。我が家には次男がいるけれど、彼は兄と違って体を動かすのが好きで良くボールを蹴っているので、サッカーでもやらせようかとママと相談している。
金銭感覚や経済観念に関しても、むしろポケモンカードを教材に教えようと考えた。お金という概念、なぜ無駄づかいをしてはいけないかなどなど…今ではパパがカードを買っていると「パパ、買いすぎ」と長男に怒られる。シティリーグでも「頑張ったから、1パック好きなのかっていいよ」と声をかけたのだけど、「今、ほしいカードはそんなにないから」と断られてしまった(笑)
実は一度、ポケモンが好きだという幼稚園の友達を連れてきて、ポケモンカードで少し遊ぶということがあった。その時、長男はママと相談しながら500円デッキよりは強いけど、そこまでガチじゃないデッキをいくつか組んで、その子と遊んでいた。デッキパワーに差がある状況で、友達をぶちのめしても面白くないという事を長男は分かっている。
そう言えば先日のシティリーグで先輩のジュニアプレイヤー達の強さに刺激を受けた長男だけど、一番かっこいいと思ったのは先輩たちの手慣れたカードさばき、というかシャカパチだったらしい。「こうやってシャカシャカやって、カッコよかった」としきりに言って小さな手でマネをしていた。あんまりマナーの良い行為ではないという話も聞くし止めた方がいいのか、でもカッコいいという気持ちもわかる。パパもこっそり練習したことがある。
こうしてまた子育てをする上での、ちょっとした課題をくれるのだ。でも、なんだってそうなのだ。ポケモンカードじゃなくても、子どもが大きくなり社会に出て色々な人と触れあえば、こんな事はいくらでもあるし、親としては「つどつど考えて、やっていく」しかない。
実はこのnoteは、上の記事に触発されて思ったことを書いてみた。でも結局、ポケモンカードの話じゃなくて、取り留めのない子育てや教育の話になってしまった。ポケモンカードだけじゃなくて、どんなことだってそれが子どもにとって善きものになるかどうかは、本人や親やまわりによるとしか言えない。そして我が家では善きものになるように頑張っている。それができているかどうかの答え合わせは、もっと後にならないと分からないと思う。
パパは長男が時々、羨ましくなる。自分が6歳の時、そんなに真剣に取り組めることなんてあっただろうかと。シティリーグの帰り道「練習してきた全部をぶつけることができた」と言う長男の表情のまぶしさといったらもう。決勝トーナメントに出場できなくても、そんな経験ができたのなら、我が家的にはアドである。
彼が本気で取り組み続ける限り、我が家はポケカの場合だけ財布のヒモがゆるくなると思う。