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わかりやすさって、そんなに重要?~わかりにくさの魅力~

タイトル見て飛んできたみなさん、1度落ち着いてください。
ちょっとだけ、ぼくの思う「わかりやすさ論」を見ていってくれませんか。

冒頭にこんなお願いをしてしまうくらい、我ながら挑戦的なタイトルをつけたなと思う。

さて本題。
現代社会において、知識は非常に手に入れやすいです。誰もが知識を得る権利を持っています。
そんな社会に生きるぼくが最近感じるのは、「ただ伝えるだけじゃだめで、わかりやすさが重要なんだな~」ということです。

タイトルであんなこと言ってますけど、「ある程度は」わかりやすさの重要性も認識しています。
知識はわかりやすいかどうかで理解できるスピードが違います。コミュニケーションだって、仕事ではわかりやすい人の方が重宝されますよね。

けれども一方で、わかりやすさを過剰なまでに追求すれば、失うものがあるんじゃないかなと思った次第です。
次章では、わかりやすさが奪ったものを考えてみます。

わかりやすさが奪ったもの

最近、「ファスト教養」という言葉を耳にする機会が多くなった気がします。この言葉の火付け役となったのは、ライター・ブロガーのレジーさんです。
『ファスト教養―10分で答えが欲しい人たち(集英社新書)』という本を書き、話題を呼びました。

著者のレジーさんの言葉を引用すると、ファスト教養はこのような定義になります。

よりお金を稼ぎたいという動機があった上で、そのために「教養」と呼ばれるようなものを手っ取り早くおおざっぱに仕入れていくことを「ファスト教養」と呼んでいます。単に「YouTubeのまとめコンテンツ」そのものを指すというよりは、そういったものが受け入れられがちな社会のあり方まで含めての言葉という認識です。

「ファスト教養」がなぜ人気なのか その背景と問題点とは? ライターのレジーと考える

もしあなたが、「ファスト教養となるコンテンツ」を作ってください!と言われたら、なにを意識して作りますか?
様々な点が意識されると思います。そのなかで、「わかりやすさ」は多くの人が意識する点ではないでしょうか。

ファスト教養となるコンテンツの対象者は、世の中にいるビジネスマンなどです。そのような人のなかには、まとまった時間を作れない人もいるでしょう。そもそもファスト教養自体が、複雑な内容でも「手っ取り早くおおざっぱ」に理解できること前提のコンテンツを指してます。

複雑な内容を「手っ取り早くおおざっぱ」にするには、物事から複雑性や脱線部分を取り払わなければなりません。(もちろん、コンテンツを制作する側には高い理解力なども必要ですが)

そう、ファスト教養のコンテンツのようなわかりやすいものには、物事の複雑性や脱線部分が奪われているのです。
「でも物事の複雑性や脱線部分って、いらないものじゃない?」
「複雑な物事よりシンプルな物事の方がいいんじゃない?」
そう思われる方も少なくないでしょう。

しかし、複雑性や脱線部分はいらないものではありません。むしろそこには、意外な魅力や知るとためになるものが隠されているのです。

複雑性や脱線部分にある珍味

ここからは、物事の複雑性や脱線部分にある「珍味」について語っていきます。
先ほどの章で、わかりやすさは物事の複雑性や脱線部分を奪っていると説明しました。

ぼくは「物事の複雑性や脱線部分」にこそ、物事の旨味(=知るとためになること、面白いこと)があると思うのです!

その旨味は、人によっては「珍味」に感じるかもしれません。あるいは、苦味や渋味といったところでしょうか。

複雑性や脱線部分の珍味を知ってもらうために、1つ例を出します。ぼくが今原稿を書きながらちょくちょく読み進めている、P.G.ハマトン著『知的生活』という本があります。
19世紀のイギリスの作家・編集者のハマトンが書き上げた、世界的な名著と言われる『知的生活』。様々な人が要約などを動画化したり、まとめたりしています。

あまり話しすぎるとネタバレなので、ここでは大幅に割愛しますが要は「知的な生活を送るために必要なことが書いてある本」だと思ってください。

『知的生活』は先ほど述べたように、様々な方が要約したりまとめたりしています。この章を執筆するにあたって、『知的生活』の要約動画などをいくつか拝見しました。たしかに概ね内容はまとめられていて、わかりやすいものが多く見受けられました。

しかし!『知的生活』のなかで、今のところ1番ぼくが好きな部分はどのまとめの中に入っていませんでした!

その1番好きな部分というのは、ハマトンなりの偉人の飲食に関する所感や、ヨーロッパ圏の食事・飲酒文化に関するなかば偏見とも言える意見です。例えば、偉大な哲学者であるカントがビールを嫌ったことに関連して、こんなことを述べています。


ビール党は緩慢で多少ぬけているようなところがあって、牛のようにおっとりしたところがあり、華々しく知性を発揮するのには必ずしも向いていないと言われています。

新版 ハマトンの知的生活 (三笠書房 電子書籍)p32

どうでしょうか?ここだけ読むと世のビール党を敵に回すような発言ですよね。
もちろん今の時代においてこの部分を読んだら、「まぁ19世紀の本だし、こういう偏見もあるのかな」くらいに思って、真に受ける人は少ないかもしれません。加えて、ビール党の良い点についてもハマトンは後述しています。

とはいえ、こういった要約やまとめコンテンツでは取り扱われない脱線部分は、ぼくにとって魅力のかたまりです。
ちょっと考えてみてください。『知的生活』は19世紀のイギリスの知識人が書いた本です。それを踏まえると上記の部分から、以下のような疑問が湧いてきませんか?

  • 19世紀のイギリスの飲酒文化ってなにが主流なんだろう?

  •  ハマトンほどの知識人でも思うくらい、ビールのイメージは当時だと悪かったのかな?

  • 他の偉人の飲酒事情はどうだったんだろう?

などなど…出そうと思えば無限に出てきそうです。
挙がった疑問を深掘りすれば、19世紀の人々の暮らしやヨーロッパ圏のお酒事情の知識につながります。
このように、話の脱線部分には脱線部分なりの刺激があり、それが新たな知識につながるのです。複雑性や脱線部分が意外な結果をもたらす、珍味とも呼べる魅力になります。

『知的生活』におけるハマトンのビール党に対する思想は、物事の本筋から逸れた部分として要約からは排除されました。
しかしその排除された部分に珍味的な魅力は宿ります。

この珍味的魅力をもっと多くの人に知ってもらいたい、もっと変な複雑性や脱線部分を知りたいと願うばかりです。

わかりにくいものに喜んで飛びつきたい

現代社会を生きていると、否が応でもわかりやすさを重視してしまう場面は確かにあります。しかしながら、わかりやすさのみに拘泥すると失われてしまうものがあると述べてきました。

はっきり言って、ぼくは教養はなんたるかとかはわかりません。正直教養なんて、自分には縁のないものだとすら思います。

しかし、知識を得ることで感じる面白さや満足感は、人生を豊かにするものであるということはわかります。
せっかく本を読んだり、知識を得るなら物事の複雑性や脱線部分もまるごと味わってみるのはいかがでしょう。特に世の中には、今まで数多の偉人が書き残した名著呼ばれる難解で複雑だけど、理解できるとおいしいものがたくさんあります。

もちろんそれらは難解で複雑なので、時にはその味に悪戦苦闘するでしょう。
しかし複雑性には複雑性の、脱線部分には脱線部分のおいしさが潜んでいるかもしれません。

ぼくはこのおいしさを知っているので、わかりにくいもの、複雑なものには喜んで飛びつきたいと思います。

ここまで書いてきたら、なんだか知的好奇心が刺激されてきたぞ~!
よ~しわかりにくいものに飛びつくために、まずはプレゼントされてから1年間放置されてる「中学3年間の数学が1冊でしっかりわかる本」に手をつけるとするか~!!

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