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『謙虚な心』『素直な心』〜自分自身の心の奥行を深め広げることで喜びや嬉しい気持ちが膨らむ





ひとつ~ふたつ(では足りない)
大きな山を越えながら
高い壁にぶち当たりながら

人は人に支えられていることを痛感する日々を過ごしている。(渦中では一杯一杯で気づく余裕はないかもしれないけれど)


時に、表面とは全く違う相手の人間性を垣間見ることもある。
→(気持ちに衝撃は受けるかもしれないけれど、その段階で相手の本質を知れて良かったと捉える)


ひとりでは叶わないと思える山越えに


(・・・でも結局)

己自身が乗り越えるしかないのが定めだとしても


周りには 見守り気遣う空気がある。


許し許されてきたことを忘れてはいけない気がする。


無傷では終わらないことも沢山ある、

時折起きる崖崩れに先が見えなくなる時も

足下がふらつき動きがとれなくなる時も

気持ちがなかなか上がらなくなり、
ズン⬇と胃が四角■になって、体が不調になることもある。


ジーっと考えて、深呼吸をしながら

結果をもたらした原因を探ってみる。

反省事項を洗い出す。

そして、反省する。

反省後は自分を責めない!追込まない!


反省から、建設的な思考に変換する方向に気持ちを向ける。→頑固さを調整するもよし。
悔しさや理不尽さを感じる想いを、なんとか先につなげる自身のエネルギーにして踏ん張ってみる。

『結果』に至る過程とその後の対処する自分との対話は、又違う形で『経験』に変わる。

新たな展開に導くことができる(はず)。


そんな時間を繰り返しながら

時折、ふと我に帰って 
   心を鎮めて見渡す時


目の前にあるのは 感じるのは

〜柔らかな空気〜

見えないけれど静かに見守る優しさのビームを浴びている。

導いてくれたのは 人の思い遣りの心と、

それを感じ取れる『自分自身の謙虚な心・素直な心』


〜言葉では伝えきれない感謝の気持ちで溢れている心が〜

〜人の温かさを感じるその瞬間が〜

そんな風に思える
『自身自身の心が嬉しい』と思えたら いいなと思う。


心と心が触れ合う感
それを味わえた時のホワ〜ンとした安心感だったり

この気持ちに浸れることが『幸せ』心の安堵なのかもしれないね。


こんな風に人への感謝を感じることができるから、

例え、
どんなに傷を負っても、

又、
人を信じる気持ちに戻れるのかもしれない。


自分を信じる自分との出会いでもあるのかな。。。と考える。



誰かの心をそばに感じた時
人はすくっと立ち上がることができるのかもしれない。


✨ありがとう✨ 


素直に感じとれる心の状態から口にする言葉は

自分自身にも相手にも しみるもの。


人は人に救われ、人に許されてきた部分も人生の中には多々あったと思う。

だから人を赦す気持ちを持つことは、自分自身にとって大切なことかもしれない。
自身とは真逆な考えもあるということに反発するより、

歩み寄れない思考もある〜 ということ。

反発や否定ではなく
そのことを受け入れられたら、
人との摩擦も少なくなるのではないかと考える。
何より、自分自身の気持ちが乱れることは、とてもキツイものだから。

他者との関係で自分の気持ちに振り舞わされることも少なくなり、
生き方が少し楽になるほうが、良いのではないかと考える。



☆長くなりましたが、お読みいただきありがとうございます☆



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