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パパになるということ
2022年7月某日、第一子爆誕。
2023年4月現在、パパだぞ!という確固たる自覚は、正直腹の底までは落ちてません。
子どもはとっても可愛いんだけどもね。
世のお父様方は、いつ「パパ」を背負うことを自覚したのか。興味本位で調べてみると、こんな研究がありました。
「父親になった」という父性の自覚に関する研究
本研究の目的は、父親が「自分は父親になった」と自覚した時期や出来事と、児への愛着や子育て行動にどのように影響しているのかを明らかにすることである。対象者はA市内の保育園に通う3歳未満の子どもをもつ父親で、属性、父親として自覚や子どもへの愛着に関する無記名自記式質問紙法を行った。愛着に関する項目は、大日向により信頼性が確認された愛着尺度を用いた。父親の自覚がある者は97.1%で、自覚をもった時期は「子どもを初めて見たとき」32.9%、「初めて抱っこしたとき」30.0%であった。子どもへの愛着得点が高い父親は低い父親に比べ、父親としての自覚で「強く思う」と答えた割合が高く、父親としての自覚と子どもへの愛着に関連を認めた。さらに、育児参加への自覚の認識が高い父親は父親としての自覚も高かった。多くの父親が出生直後の子どもに触れることや顔を見ることで父親としての自覚を感じていた。父親としての自覚と子どもへの愛着、育児参加の自覚とも関連を認め、父親が父親としての役割を果たすとき、その根底にあるものは、父性の芽生えや「父親になった」という自覚であることが示唆された。
発行元:公社)日本母性衛生学会
いやいや、ほんと?
みんなそんなもんなの?
早くない??自覚早くない???
そんでさ、誰が子ども嫌い&育児放棄男だって?
息子愛に満ち満ちてますから!
育児に東奔西走してますからね!!!
(あんま言い過ぎると妻がふ〜んと訝しんできそうなので大声では言えませんが…)
そもそも自覚という定義からして違う気がしてきた。自分の中での自覚って、いつなんどきも、自然にパパとして振る舞えるかというか。そんな感じ。
これができないうちは、パパビギナーでパパニュービー。
「パパ」は子どもから見た肩書きであって、「パパ」って本人から言われないと実感湧かないのかも。9ヶ月の息子には高いハードル。
「パパって言った〜」みたいな都合の良い解釈は抜きにして、我が子の意思ある「パパァ」を聞けた時が、真なるパパのキックオフ(になる気がする。)
不思議なもので、子どもに合わせて自然と呼び名は変わりました。
どこもそうかな?
一人称はすっかりパパになり、妻はママ、親父はジイジ、母バアバ。
5、7、5っぽくなっちゃったから、心の中でプレバトの夏井先生がバッサリ添削してくる。妻はママ、親父はジイジ、母バアバ
季語がない!凡人未満!やり直し!
関係ないけど夏井先生と息子は同じ名前なので親近感持ってます。いつき。
呼び名に合わせて、人生の主人公が自分から子どもに移った感覚はあるんですよね。
主観ではありつつも、自分のことを客観視している感。子どもの為のパパを演じて生きている感。
もちろん家庭内では、の話ですが。
パパになるということは、そういうことなのかもしれないな〜と何となく思います。
自分が得る側から、相手に与える側へ。
そういえば「旦那」って言葉の由来は「ダーナ」っていう仏教用語らしいんですけど、これも与える側ってニュアンスがあるらしいですね。
子どもはおろか、結婚した瞬間から「稼ぎ分け与える役割」を義務付けられてるんだな。
自覚足りないよ!!おれ!!!!
ともあれ、この子が成長して、ひとりで確定申告がこなせるその日まで、パパはパパとして見守っていよう。そして教わろう。(旦那じゃないね)
パパをパパたらしめているのは息子。
パパをパパにしてくれてありがとう息子。
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