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自分軸で生きるためには「他者を神聖化しない」こと

こんにちは。いろさいです。

世の中には、すごいと思える人がたくさんいるかと思います。自分と比べるとすごい知識を持っていたり、行動力があったり、才能があったり、人脈があったり、人を引きつける人柄を持っていたり、お金や立場に恵まれていたり、経験が豊富だったり、ビジュアルが良かったり、と様々です。しかし、どんなにすごいと思う人がいても、その人を神聖化して特別視することは、自分軸から外れる行為であることを理解しておいて下さい。

これは「神聖化するほど相手がすごい」ということよりも、「神聖化する対象の中にある要素が自分の中にあるから、はじめてその人を神聖化する」というのが本質だからです。自分の内側に無いものは、外側で認知することが出来ません。スマホを知っている人はスマホを見れば「これはスマホだ」と認識できますが、ジャングルの奥地に住んでいて、今までスマホを見たことがない人がスマホを見れば、「これはスマホだ」と思うことはないからです。つまりは、「自分の中にある神聖的要素が、他人を通して視覚化し認識した」というところに注目することが、本来重要視すべきことなのです。なので、すごい人を見たら「あの人はすごい!そしてすごいと思えるということは、そのすごい要素が自分の中にも確かにあるのだ!」と自分に返して、それを実感することが鍵と言えます。そうすることで自分の「すごい」部分を意識し、そこに焦点を合わせることで自分の中にある「すごい」要素を育てることができるからです。しかし、エンタメやメディアによって他者を神聖化し特別視する動きが活発となることで、私達はその視点を忘れていき、他者にのめり込むことが日常となっています。これは他人軸で生きる生き方であり、自分軸で生きるとは言えません。

よく熱狂的にアイドルや有名人にのめり込んでいる人がいますが、あれは他者を神聖化してしまっている典型的な例です。これは自分の内側にある理想の概念(イメージ)が、それと合致した(と思われる)他者に強烈に託している行為です。既に述べていますが、実は自分の理想は既に自分の中に持っています。その萌芽を自分で育てないで、他人の咲いた花や葉にばかり目を向けてしまっているから(そこに自分の理想を投影してしまっているから)いつまでたってもその自分の芽は咲かないのです。つまりは、アイドルや有名人を応援していると見せかけて、実は投影した自分自身を応援しているとも言えるのです。投影したアイドル=自分だからこそ、熱狂的になれるのです。

そのことに気が付かず、他者に自分の理想を投影し続けることは、自分の理想像を他者によって対象化し続けるので、分離を意味します。せっかく自分の理想が自分の内側にあるというのに、他者に投影=分離することでそれは自分には無いものだと思いこむことになります。これはひどく自分に自信をなくさせ、エネルギーを奪うことになります。「あの人はすごいのに、わたしはすごくない」という自分を卑小にする視点が出来てしまうのです。そのことにより、さらに投影したアイドルや有名人に熱狂的になり、彼ら(彼女ら)から自信やエネルギーを補充しようとする行為が働きます。

こういった場合、投影を委託したアイドルや有名人が、少しでも「自分の理想像」から外れると急に冷めたりアンチになったりします。これはアンチになることでその投影をしたアイドルから「自分の理想像」を分離させることで、本来自分の持ち物であった「自分の理想像」を回収しようとするからです。目が覚めて「神聖化していた要素は本来自分の中にある」というのを必死に思い出して取り戻そうとするのです。これを機会に他者に投影せずに自分で自分の理想を育てることにベクトルを移せば、他者を神聖化することは無くなっていきます。しかしそれをせずに、また別の他者に自分の理想を投影して再度熱狂的になる人もいます。こういう人はもしかして、まだまだ熱狂的な経験をしたいからこのようになるのかもしれません。肉体を持って生まれた地球ならではの経験なのですから。その場合は満足いくまでそれを経験し、飽きるまで味わい尽くせばいいと思います。

ただ、こういった他人に自分の軸を委ねる「他人軸」の生き方は、いずれかガタが来ます。自分が自分でない状態は思った以上にしんどく辛いことが分かるからです。このしんどい状態を経て、ようやく「自分軸で生きることの素晴らしさや喜び」に気づけると言えます。他人軸を思う存分味わうことで自分軸の素晴らしさが分かるということです。闇を知らなければ光を理解することは出来ないのと同じです。

また他人を神聖化すると、自分とその対象の立ち位置が固定され、自分の身動きが取れなくなってしまいます。つまり、「神聖化している者と自分」という上下関係が出来上がってしまい、そこから動くことができなくなります。するとあなたは永遠に誰かの下に居続けなくてはなりません。関係の固定化は不自由を意味します。同じ目線の関係ならまだしも、ピラミッド構造の人間関係は新しい時代には必要ないものとなります。これも他者を神聖化することのデメリットとして上げることが出来ます。

他人を神聖化する他人軸の姿勢は、自分軸で生きることとは別の心地よさがあったりします。「この人について行ったら大丈夫」「この人のすべてが素晴らしい」「私の全てをこの人に捧げてもいい」といった、どこか頭がふわふわ浮いた酔いのような心地よさを味わえるかもしれません。しかし、酔いはいつか覚めるものです。長い間「他人を神聖化する」という夢を見続けて、覚めた後に自分の軸が見当たらず、立つこともままならないことだってあるのです。この場合はまた一から自分で歩くことを思い出し、練習していく必要があります。これはちょっとしたタイムロスです。私達は他人を軸にするためにこの地球に生まれてきたわけではありません。尊敬する素晴らしい人が自分と同じ目線の横軸にいる、そういう世界で生きていくのが「自分軸で生きる」ことです。多くの人がそれを望んでいると私は捉えています。

誰かを「すごい!」と感じ、崇拝する気持ちが出たのであれば、まずは素直にその方に敬意を示し、その後で「すごいと思える要素が自分の中にもあるんだ!やった!」とそのすごいと思った部分を自分の内側に反映させるように意識してみて下さい。「その人をすごいと思ったように、自分にも同じすごい部分があるのだ」と、自分の中に自信とエネルギーが生まれてきます。これが本来の自分のポテンシャルです。それを思う存分発揮して味わい尽くすのが自分軸の生き方です。せっかく地球に生まれてきたのだから、後悔なく人生を終えたいはずです。他人に自分のエネルギーを向けている場合ではありません。まずは自分で自分のエネルギーを満たし、自分を応援して下さい。そのエネルギーを感じることで「自分は自分で人生を切り開いていける力があるのだ」というのが、頭ではなく身体全体で理解できるようになると思います。




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