【私小説】夕暮れと体育祭の終わり
体育祭が終わった。
片付けやクラスでの表彰などをしているうちに、時計の針は5時を回っていた。
(用がない私はささっと帰りますか)
ロッカーから通学カバンを取り出した私は、それを担いでお祝いムードの教室を足早に出た。
体育祭の実行委員で、それ自体に命の灯を捧げたわけでもなく、かと言って競技で活躍したわけでもない。
これが私だ。
暑い中汗だくになり、フラフラになりながら、したくもない応援をする。もちろん、やる気のないことがバレないように、応援のときは無理やり声だしをして。競技のときもある程度無理をして動いた。その疲労のせいか、足を動かすのが辛いし、声も枯れている。
(終わった)
玄関を出たとき、少し清々しい気持ちになった。これで地獄の体育祭とその練習から解放される。そう考えると、ひどく気分が楽になった。
体育祭の練習は地獄だった。
ちょっとミスをしたり、動きがぎこちないと、
「健、そうじゃない!」
と体育祭の実行委員に怒鳴られる。
私は見本通りにやってみるのだけど、できなくてまた、怒られる。
そのせいだろうか、体育祭の期間に入るといつも、体が重くて朝起きるのがとても億劫だった。
朝目を覚ました私は、タオルケットの中で、
(何のために生きているんだろうな)
とか考えたり、
「運動神経が人よりも悪くてごめんなさい」
と一人言をつぶやいたりしていた。
いつも誰かに罵声を浴びせられ続けると、自分の存在意義や自信を見失うものらしい。
(学校行こうかな。それとも仮病使って休もうかな……)
今日は学校行こうか休もうか思案していると、母親が入ってきて、
「何時だと思ってるの!? 学校は?」
と怒鳴り付けてくる。
「朝から騒がしいなぁ……」
ため息をついて、私は重たくなった体をゆっくりと起こし、布団をたたむ。
ゆるゆると朝食を食べながら、通学路の途中にある公園で私服に着替え、図書館などで時間を潰そうかと考えた。けれども、使っているカバンが学校指定のものだし、この場に母親もいるから、頭の中の計画を実行しようにも、まず不可能だ。
「はぁ……」
大きなため息をついて、私は朝食を食べた。
歯磨きも着替えも、いつもの数倍スローペースでやって、学校へ行っていた。
遅刻はしなかったけれど、いつも一緒に登校している多田くんから、
「健2学期に入ってから、一緒に学校行ったり帰ったりしてないけど、大丈夫?」
と心配されたこともあった。
「ううん、大丈夫。気にしないで」
多田くんの問いかけに、私はそう返した。変に心配されても重いだけだし、朝から嫌な体育祭練習のことを考えたくないから。
そして受けたくもない授業を受け、応援練習で、やる気がないとか、もっと上手くやれと罵倒される。
帰るころには精神もズタボロで、宿題をやったり、音楽を聴いたりする気力もなくなっていた。ひどい日は、帰ってから着替えずにそのまま寝て、気がつけば翌日の朝になっていたこともあった。
このことは誰にも相談していない。仮に誰かに相談しても何も変わるわけではないから。
「まあ、過ぎたことだから、考えるのやめよ。もう体育祭終わったんだし」
自分にそう言い聞かせて、私は校門を出た。疲れているはずなのに、足取りが少し軽い。
家のある方向には、真っ赤な夕焼け空をゆっくり降りてゆくように夕日が沈んでゆく。
(それよりも、今日の夕焼けはきれいだな……)
通学路から見えるこの夕焼けが、私は好きだった。
意味のないことで笑ってしまうときも、怒られて泣いた日も、いつものように日は沈んでゆく。
一人で帰るときにこの夕暮れ空をいつも見ると、今日も1日頑張ったと思えるのだ。
今日の夕焼けはことさらにきれいだった。
このときの気持ちをわかりやすく言い表すと、高く、険しい山を登りきった先にある絶景を見たときの感動。それに近いだろうか。
(しかし、自分ながらに今日は頑張ったよ)
頑張った。残暑でフラフラになりかけても、声がかすれてしまっても、やる気のあるフリを続けてやり通したのだから。今日はたくさん寝て、明日と明後日はゆっくり過ごそうかな……。
明日と明後日の休みに胸を膨らませながら、農道を通り抜け、夕闇に染まる住宅街へと入ろうとしたとき、
「お、健じゃん。こんなところにいたのか」
と後ろから多田くんに声をかけられた。
「うん。今帰るところ」
「そうか」
「せっかくだから、一緒に帰ってもいいかな? 話したいこともたくさんあるし」
「うん。こうして健と2人で帰るのも久しぶりだから」
「ありがと」
私は多田くんと一緒に帰った。
この前借りた漫画の感想、返し忘れていた小説の催促。2人きりで積もりに積った話をたくさんした。そしていつも3人で帰るときのように家の前で別れた。
久しぶりに誰かと一緒に話しながら帰った。楽しくて家の前へ来るまでの時間がとても短く感じられた。
学校に行くときは真っ赤だった西の空は、東から迫る夕闇の紺に押された夕暮れ空へと変わっていた。
お疲れ自分。そしてみんな。
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