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【歴史小説】第36話 平家の棟梁①─二人の後継者─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』
1
仁平2(1152)年6月中旬。忠盛は自邸で息子たちを相手に剣術の練習を行っていた。
雲一つない群青色の夏空の上には、強い光を放つ太陽が浮かんでいる。
「さあ、来い」
忠盛は木刀を信剣に構え、清盛と頼盛と対峙する。
清盛と頼盛は掛け声を上げ、忠盛の木刀に打ち込もうとする。
二人の太刀筋を器用にかわし、忠盛は打ち込むときに出来る隙間を狙って打ち込もうとする。
頼盛を倒し、清盛の胴に打ち込もうとしたそのとき、
「うっ……」
冷汗が頬を伝うと同時に、左胸にズキズキとした痛みが走った。あまりの痛さに忠盛は木刀を落とし、右手で痛む箇所を抑え込んで倒れ込む。
「父上!」
清盛は倒れそうになった父の体を支えた。
「ありがとう」
辛そうな表情をした忠盛は、清盛と頼盛に支えられながら、ゆっくりと立ち上がる。
「父上、今日はここまでにしましょう」
「あぁ、そうだな」
「ってわけで……」
清盛は教盛の方を向いて、
「教盛、経盛と重盛、基盛の相手をしてやってくれ!」
休んでいた教盛に稽古の続きをやるように指示した。
「任せとけ!」
頼盛と清盛は、忠盛を担ぎ、寝殿へと向かう。
2
──私も老いたものだ。
忠盛は布団の中で一人つぶやいた。
清盛や家盛、経盛が少年だったころは、稽古で彼らに余裕で勝つことができた。一門の誰よりも体格が大きく、力も強い教盛には苦戦させられたが。
だが年を追うごとに、自分の体が言うことを聞かなる。そして同時に、体力も無くなってきた。しまいには、今まで稽古で散々打ち負かしてきた息子たちに助けられてしまう始末とは。自分ながらに情けないものだ。これが「老い」というものか。
「もう、清盛と頼盛に全てを託すときが来たか」
そう言って、忠盛は再び寝床へと着いた。
すすきやオミナエシなどの秋草を、涼やかな風が揺らす8月下旬。
忠盛は清盛と頼盛を自分の部屋に呼び寄せた。
痛みに耐えながら病床から起き上がり、飾ってあった小烏丸と抜丸を持ち、自分の側に置いて座った。
「こんな辛そうなときに兄上と私を呼び出して、どうしたのですか?」
頼盛は二人を突然呼び出した理由を聞いた。
覇気のない弱った声で、忠盛は、
「もう、私は老いた。お前たちに全てを託そうと思う」
と言って、平家の家宝小烏丸を清盛に、同じく腰に帯びていた抜丸を頼盛に渡し、
「今日から清盛が平家の棟梁だ」
引退宣言を口にした。
「任せてください」
清盛は目を輝かせながら、忠盛から小烏丸を受け取る。
「でも、清盛一人では心細いから、頼盛、お前が支えてやってくれ」
「わかりました」
頼盛はうなずいた。その声色はどこか残念そうで怨嗟が籠っている。
「そして清盛はここに残ってほしい。頼盛は出ていいぞ」
「わかりました」
忠盛から託された抜丸の太刀を持って、頼盛は部屋を出る。
忠盛の部屋では、平家の前棟梁と新棟梁が向かい合っている。
「清盛、もう気づいているだろうが、お前は時々、お前ではなくなるときがあるように感じるだろう?」
「それはなんとなく気づいてました。昔新院とお話したとき、気がついたら物凄く怒ってしまったときの記憶がありませんでしたし」
「実はお前の中には、お前ではない誰かが棲んでいる。それは恐ろしい力を持っている、とてつもない怪物で──」
忠盛は、清盛が何者なのかを告げようとしたとき、
「うっ……」
左胸が痛んだ。刀槍で何度も突き刺されるような、強烈な痛み。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、ここ最近はいつものことだ。悪いが、布団があるところまで支えてくれないか?」
「わかった」
清盛は病身の父を支え、床へと入れた。
3
(そういうことだったのか……)
離れたところで、頼盛は父と兄の会話を聞いていた。
話によれば、兄清盛は白河院と恩賞として下賜された祇園女御との間の息子であったと聞いている。
でも、なぜ清盛を下賜したのか? という疑問が湧いてくる。ある程度育ったら、光源氏みたいに臣籍に降下させるとか、寺に預けるとか、そうしたこともできただろう。なのに、なぜ、このような武士の家に預けたのあろうか?
とにかく、白河院の叡慮があってこのような形となっているのは、漠然とではあるがわかっていた。漏れ聞こえる話を聞くに、ただならぬ深い闇があるようだ。
「清盛(あに)さえいなければ──俺が平家の棟梁になっていたのに」
点と点が繋がってスカッとした気持ちと同時に、憎しみが湧いてくる。
自分こそが生まれながらの平家の嫡男。出自のよくわからない兄とは違う。本来であればこの立ち位置は小兄である家盛が継ぐはずだったが、事故で死んでしまった。
ある近臣の話では、清盛が棟梁になるために殺してしまったんだ、と聞いた。もし本当にそうであるならば、許せない。
「おい清盛」
頼盛は、話が終わって忠盛の部屋から出てきた清盛に声をかけた。
「どうした、頼盛?」
「兄上は本当は白河院の落胤なんだろう?」
「そうだ。だから何だって言うんだ?」
「兄上は初めての除目で、異例の待遇を受けたって成親から聞いた」
「それが何だって言うんだ。白河院は、自分の力じゃないって、御目見えしたときにしっかりと申し上げていた」
「じゃあ、今回の平家の棟梁は、なんで俺じゃなかったんだ!」
頼盛は手をかけていた抜丸を抜き、清盛に斬りかかった。
よける清盛。
刃は巻いてある簾に当たり、居合で斬れた茣蓙のように真っ二つに切れ、回廊に落ちていく。
「お、落ち着け、頼盛」
清盛は自分を殺そうとする頼盛を必死で諫める。
「お前さえいなければ、お前さえいなければ、俺は、平家の棟梁になれていたんだ!」
頼盛は清盛に斬りかかった。
「その気なら……」
同じく先ほど忠盛からもらった小烏丸を抜き、清盛は頼盛の繰り出した一撃を受け止めた。
「小兄が亡くなったとき、本来なら俺が棟梁になっていた。だが、『白河院の落胤』のお前がいたせいで、俺は棟梁になれなかった。俺はお前を殺して、小烏丸を奪って棟梁になってやる」
「よく考えてみろ、父上がお前に抜丸をくれたのには、きっと深い意味があるって」
「だから平家の血を引かない棟梁のお前に付き従えってのか! あまりに理不尽だ!」
頼盛は清盛の腹を蹴りつけた。
胃酸を吐いて1メートルほど吹き飛ぶ。
「俺はお前を殺せない。だから、聞いてほしいんだ」
「死ね!」
頼盛は清盛目がけ、袈裟に斬りつけた。
清盛は避けようとしたが、刃が肩に当たってしまった。
血の噴水が、着ていた黄色の直垂を真っ赤に染め上げる。
「とりあえずそれしまえよ。俺のこと殺したら、重盛悲しむぜ」
倒れた清盛は、残った力を振り絞りながら説得する。
「次は、首だ」
刀を八双に構えた頼盛は、鬼気迫る表情で清盛の首筋に刃を入れようとしたときに、
「若、頼盛、こんなとこで何をやっている!」
「二人とも何があったんだ?」
家貞と盛国がやってきて、清盛を殺そうとしている頼盛を怒鳴りつけた。
「家貞、盛国、頼盛を止めてくれ」
駆けつけてきた2人に、清盛は頼盛を止めるように命じた。
「何がなんだかさっぱりわからないが、わかった」
盛国は太刀を抜き、応戦する。
「お前らも、生まれながらの棟梁を愚弄するのか?」
「愚弄? それを言うならお前の方だろ!」
盛国は頼盛の手を斬りつけ、持っていた抜丸を落とさせた。
「今だ、家貞」
「了解!」
家貞は持っていた太刀を抜き、峰を表向きにして、頼盛の首筋目がけて打ち付けた。
頼盛はその場で泡を吹いて倒れた。
4
暴れていた頼盛、怪我をした清盛を家貞と盛国は、東殿へと運び込んだ。
先ほどの鬼のような形相から一転、安らかな表情で頼盛は眠っている。
「若、大丈夫ですか?」
家貞は清盛の傷口にさらしを巻く。
「大丈夫さ。それよりも、気になることがあるんだ」
「どんなことです?」
「俺の中に、どんな怪物が棲んでいるか、とても気になる」
「怪物か……」
家貞には心当たりがあった。
昔忠盛から、清盛は朝廷を強く恨んで亡くなった者の生まれ変わりだ、と聞いたことがあった。それが誰だったかまでは思い出せない。だが、自ら天皇を名乗り、この国を治めようとした人物であることは覚えている。
「残念ながら若、私家貞は一度その者が誰だったかを聞いたことがあるのですが、さっぱり思い出せませぬ」
「そうか」
「もしかしたら、あの方ならば、若の正体をよく存じているかもしれません」
「あの方?」
清盛は首を傾げた。
「土御門の泰親様です」
「やっぱりか」
そうなるだろう、と清盛は心の中でつぶやいた。玉藻騒動のときに、散々泰親に子機使われたので、あの年齢のわりには不気味なほど若い顔を見たいとも思わなくなっている。
「それよりも若、頼盛のことを殿に報告し、罰さねばなりませぬ」
盛国は頼盛の処遇について提言した。
「いや、父上は今日で棟梁は引退して、俺が今日から棟梁になったんだ」
「恐れ入りました、若、いや、殿」
「頼盛はこのままでいいよ。この傷は賊と戦ったときのものだって言っておくから」
「わかりました」
「そういえば、若と頼盛様の戦いのせいで忘れてしまいましたが、私たち、大殿のお見舞に来ていたのですよね」
何かを思い出したかのように、家貞は言った。
「あ、そうだった! 悪いな、これが終わったら、また話しをしよう」
家貞と盛国は、病床の忠盛の見舞いに行くため、足早に東殿を後にする。
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