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ファイターズ、ホークス、そしてパ・リーグ。

球場という「現場通い」を始めたきっかけは、日ハムが後楽園球場を本拠地にしていた昭和の時代、貰う人など殆どいなかった精肉店に置いてあった日ハム戦の招待券を貰った(しかも何枚も)ことです。

そういった中で、切符を貰って試合を見させて貰うと言う恩義もあったのか、球場に行ったらファイターズを応援するようになったのは自然な流れでもありました。

前にも書きましたが、あれだけぎっしり人が詰まっている巨人戦とは裏腹に、後楽園球場は閑古鳥が鳴き、グッズ売り場に行っても巨人グッズや対戦相手のセ・リーグチームのものばかり、ファイターズの応援グッズはまるで置いていない有様。
おいおい、併用とは言え一応ファイターズも本拠地なんだぞ?とは言っても、これが知名度の差なのか、現実は思ったより厳しい。

売店をあちこち探して、ようやく見つけたファイターズの応援メガホン1個。本当に1個だけしか店に並んでいませんでした。
ファイターズグッズを売ってない、と苦情が来たこともないんでしょうねぇ。それだけ知名度のなさは深刻でした。

やっと見つけた応援メガホン、球場でパカパカたたきながら観戦する日々。でも貴重品(本拠地ですらろくに売ってないんですから)故、大切に扱ってましたが。
そんな学生時代、ある先輩との出会いが、私のファン生活を大きく変えることになります。

先輩は南海ホークス(当時)の大ファンでした。
元々野球を見るのが好きであることを先輩に話したら、「じゃぁ一緒に行こう。」と言う話になり、向かった先は後楽園(その後東京ドーム)、川崎、屋根の無い西武球場(時代の流れを感じます)。

先輩はホークスファンですから、見に行くのは主にホークス戦。
当時球場に来ているホークスファンは、応援団含めてもせいぜい20人。
休日だとある程度増えましたが、それでも50人位でしたかねぇ。

閑古鳥が鳴いているのは後楽園だけでなく川崎も同様。
西武球場も一塁側(西武応援席)はそこそこ埋まってましたが、それ以外は空席が目立っていた時代。
当然応援席もガラガラで、適当に応援団の近くに座りながら観戦。
今や何処の球団も球場内全席指定ですが、当時は内野のネット裏以外は自由席、外野席は全席自由席、それでもガラガラなので好きな場所でのんびり観戦する、なんて言うのがスタンダードな時代でした。

当時ホークスを応援する人なんて極々少数(勿論ファイターズも)ですから、いつも同じ人たちが同じような場所で観戦していることに気がつきました。
先輩は相当な常連客らしく、球場に行ったらそういった同じくいつも球場に来ているホークスファンへの挨拶回りから始まり、一緒にいる私もつられて挨拶。
ファイターズの試合を見に行っている時は知り合いなんていませんでしたから、こうやって現地に行ったら知り合いがいる、なんてのは正直驚きでした。

そうこうしているうちに、何回かホークス戦に行っていると、そういった現場の常連さんに私の顔を覚えて貰うようになっていきました。
そのうちホークス戦に行くと、常連さんが「おう、今日も応援しようぜ!」と声をかけて貰うことも。
でも私が元々ファイターズを応援していることは勿論言っていないので、特にファイターズ戦が開催される時は心苦しかったですねぇ。

ただ、私はこの先輩に随分と可愛がって貰ったこともあり、ホークス戦を見に球場へ行っているうちに、現場で色々なファンの方に知り合い、そして非常に良くして貰いました。

その先輩が卒業と共に現場から足が遠のき、残った私。
また一人で球場に足を運ぶことになる訳ですが、人間孤独なものです。
ホークス戦ともなるとやっぱりホークス応援席に行って、先輩以外に知り合った人達の所へ挨拶に行って、一緒に観戦しちゃうんですよねぇ。
更に気が付けば、球場から自宅の方向が同じ人と一緒に帰ったり、あるいは帰り道に飲みに行っちゃったりと、すっかりホークスファンの中にどっぷりと漬かってしまいました。
そんなこんなを繰り返しているうちに、気がついたらホークスファンの出来上がり、と言う形に(笑)。
(注)決してファイターズが嫌いになった訳ではありません。

とは言っても、ホークスファンになったからと言って、「ホークスの試合にしか行かない!」という「ホークス至上主義」的な熱狂的ファンになる訳でも無く、ファイターズのファンクラブに入って東京ドーム(後楽園球場消滅後)への招待券を貰ったり、入場券を割引して貰って、ホークス戦以外の試合も随分と見ていたものです。
尚、東京ドームになってから、当時の物珍しさもあってか、観戦希望者が増え、精肉店からの招待券が回ってくることはほぼ無くなりました。

そして私も学校を卒業し、いざ社会人。
これからは平日は仕事三昧(時はバブル、崩壊後も仕事は続く)、自分の時間が取れるのは休日だけ、と言う日々が始まります。
働き方改革、なんて「何それおいしいの?」って時代、そして「24時間戦えますか」なんて言葉が流行語になってましたから、休日出勤になる日も珍しくなかったのに、平日休める訳が無い。

それまでは平日の暇な時間を使ったり、深夜番組を見て楽しんだり、なんて余暇を満喫してましたが、そんな事は出来なくなり、どうしても余暇の日程も範囲も限られてきます。

と言うことで平日を使った趣味の時間はほぼなくなりました。
でも、野球はシーズン中なら必ず土日に何処かしらで試合やってますし、此処が重要なのですが、「パ・リーグの試合なら当日気が向けば気軽に行ける」こともあり、趣味は「週末パ・リーグの試合を見る」ことに集約されていきます。

当時巨人戦はまるっきり切符取れませんでしたし、IT化も進んでませんでしたから、切符を取るのに、発売前日にプレイガイドの前で徹夜して並ぶ、なんてのは当たり前の時代。
神宮、ハマスタは(巨人戦を除けば)それほどでもありませんでしたが、何故か食指は動きませんでした。

但し福岡(南海は身売りされ、福岡ダイエーホークスとなってました)だけは例外で、此処だけは発売日直後に切符が売り切れることも珍しくありませんでしたが。
今でこそ遠くに住んでいてもネット予約やコンビニの発券システムで切符を取ることが出来ますが、当時はネット販売システムなんてものは無いので、買えるのは九州と山口の一部だけ。
遠征で見に行きたくても、叶わない日々が続きました。

と言うことで、主戦場は東京ドーム、川崎、屋根の無い西武球場。
ここから現場観戦、いわば「現場主義」で球場へ向かう日々が本格的に始まったことになります。

観戦スタイル(まぁ、記録しながら観戦するのが最大要素なのですが)等々、現場でどうやって試合を見ているか、追々触れていきたいと思います。

最後までお読みいただき有り難うございました。

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