【配信公演 観劇しました!】楽園王「夢十夜」
すとりーむにご登録されているMさんから、「おちらしさん de すとりーむ」を通して知った配信公演の感想を頂いたので、ご紹介します!
楽園王『夢十夜』
「第二夜」「第七夜」「もう一つの第四夜」
今年で創立30周年という楽園王。上演予定だった作品が今回、配信公演という形で改めて発表されました。
題材は夏目漱石の連作短編『夢十夜』。現在はオリジナルも含めた三作品が公開されています。
全編を貫くのは「音」の陶酔。
「第二夜」「第七夜」の一定のテンポを保った動きとともに発される静かで荘厳な声、「もう一つの第四夜」の親しみやすくも危うい声。小さな空間、登場人数が少なく絞られた環境での収録も活きているのか、非常にクリアに耳に飛び込んでくる音たち。
「夢」が持つあの不条理さに繋がる響きを聞くうちに、醒めながらにして眠っているような奇妙な感覚にいざなわれます。可能であれば、イヤフォンやヘッドフォンでの視聴がおすすめかもしれません。
配信ならではの映像的な演出も、この不安な夢の世界へと没入する手掛かりとなってくれます。
「第二夜 ―侍―」
「無だ、無だと舌の根で念じた。」
暗い寺、ひとりの侍。堂々巡りの空間に、ひたひたと溜まっていく情念。わずかに鳴らされる音だけを数少ない変化としながら、彼のぎりぎりとした内心が淡々と語られれば語られるほど、真綿で首を締められるような息苦しさが増していきます。
揺れ動く「視点」は、侍の焦りの具現のようでもあり、彼を取り巻く空間そのもののようでもあり。暗闇にぎらりと光る何かを幻視したようにも。
「第七夜 ―船―」
「自分は大変心細かった。」
行き先もなにもわからない、巨大な船の上。三名の俳優によってつづられるひとりきりの困惑と孤独と自暴自棄には、それが特定の誰かの話ではない、もしかしたら自分の話かもしれないと不意に思うような不穏さが。
そして不規則に途切れ、分担される言葉。語り手の不安をそのまま映すとともに、聞き手であるこちらの意表を突いて足元をぐらつかせます。はらはらと床を埋めるものは、言葉でしょうか、波でしょうか。
次は、前の二作品とは打ってかわって、明るく軽快な語りで進行する作品。
「もう一つの第四夜 ―ハム―」
他の二作は漱石の原文を活かした構成となっていますが、こちらは「もう一つの」とある通り、オリジナル性の高い一本。
漱石の作品にもたびたび引かれているある古典を題材に、「夢」の不条理さそのものに不敵に挑みかかるような6分16秒。それとも挑まれているのは「現実」のほうでしょうか。
映像ならではの演出がここでは更に活用され、向こうとこちらの境があやうくなる感覚にぞくりと。最後まで目をそらさずに。
見終えたとき、暗いディスプレイに映る自分の顔からも現実感が逃げてしまったように思える作品群。
それぞれの話が独立して配信されているので、原作の順に沿って見ることも、気になった作品から見ることも。リアルタイム配信ではない、いつでも好きなときに見られるタイプの配信ならではの楽しみ方ができそうです。一本が10分未満なので一気に味わってもよし、毎日少しずつ見進めてみるのも味わい深いかもしれません。
「こんな夢を見た。」
眠れない夜、頭がもやつく朝に味わうような、頭の痺れを味わいたい方に是非。
『夢十夜』配信公演の詳細はこちら!
※楽園王YouTubeチャンネルより、無料でご観劇いただけます!