生と死の狭間で生きる私たち(命編)
バングラデシュでの生活は、生と死の場面に出会うことが多い。
生活の非常に近い場所に生と死があるので、生きることについて多く考えさせられる。
今回は、「生と死」について書いていきたい。
すぐ側の生殺与奪
バングラデシュでは、家や肉屋で鶏やヤギをその場で殺して精肉にする光景が当たり前である。目の前で鳥やヤギの首を切り、血が吹き出し、羽や皮をむしり取り、腹を裂き、内臓を取り出し、切り分けていく。
日本ではキレイな切り身の状態でお店に肉が並べられているので、なかなか屠殺している光景を見かける機会がない。商品としての姿でしか見る機会はなく、毎日のように屠殺されている現実があるのに見えなくなってしまった。
昔、ブタがいた教室と言って、豚の飼育を通じて命の尊さを学ぶ授業をテーマにした映画を思い出した。クラスで子供が豚を育て、最後はその肉を自分たちで調理し、給食で食べるという内容だ。これに当時、賛否両論が起きていた。食べるという前提なら、Pちゃんという名前を付けずに家畜として扱った方が良いのではと思うけれど、ここでは触れないでおこう。
昔の日本でも日常的に行われていたことのはずだが、時代とともに効率的な生産が求められ、屠殺の場が工場に移っていき、日常から屠殺を目にする機会がなくなった。
生産と消費が別々になり、どうやって自分の食べる物が出来ているか知らずに口にしている人がほとんどである。生と死に触れる機会が少なくなっている。
人の生と死も似ている。昔は家で生まれ、家で息を引き取っていたものが、今では病院で生まれ、病院で亡くなるのが一般的だ。生と死が生活から切り離され、肌で実感する体験が減っているのは明らかだ。
日常の隣にある死
私は、自分の住んでる村から船を2回乗り継いで首都ダッカに移動していた。この国では、よくあることだが定員オーバーで人を乗せるので船体がだいぶ川に沈んでいる。その日は、風が強く船体が終始揺れていて、船体が沈んでいることもあり水が甲板に入ってきていた。私は、ざわつく船内と心配する声で身の危険を感じて、救命胴衣と浮き輪の場所を確認して備えていた。
長い不安の末に、何とか船着場に着いて晩飯を食べているとJICA事務所から電話がきた。どうやら、私が乗っていた時間帯に船が沈んだので安否確認の連絡だったようだ。その後、ニュースを見ていると河川敷に打ち上げられた死体が30体ほど並んでいた。私が乗っていた船会社とは違う会社の船が沈んだらしい。
他にもバスの移動中にブレーキが効かなくなって、壁にぶつけながら減速して停車したことにも遭遇したこともある。長距離バスが横転している様子は、移動している度に見かけていた。
この国でどこに移動するとしても危険のリスクはつきものである。リスクを下げるためにも夜間の移動は控えて、選べるときはしっかりしたバスに乗るようにしていた。命の保証はどこにもないので、自分に出来ることはした方がいい。
目の前の死。
村のオフィスで本を読んでいると、オフィスの前の道をいつも見かけるおじいさんが歩いているのが見えた。再び本を読もうとしたら、大きな音がしておじいさんが倒れていた。転んでしまったのだ。起き上がるかなと少し様子をみたが、起き上がらないので同僚と駆けつけると、他の村人も集まってきた。
この村には医者がいないので、村から25分程離れた町から医者を呼んだ。医者はだいぶ時間が経ってから来たのだが、その時はすでにおじいさんは亡くなっていた。「駆けつけるのが早くても、大きい病院に行くまで2時間以上かかるので難しかった。この村の近くに大きい病院があれば、助かっていたかもしれない」と医者は言った。
別の日には、バスに乗っている時に渋滞にはまったので外の景色を見ていると、トラックの荷台に木材をたんまり積んだトラックが脇道から本線に出てこようとしていた。作業員の1人の男が荷台の木材を押さえるためか、上に覆いかぶさるようにうつ伏せになっていた。
車が本線に出ようと動いた時に、すごい音と光がした。その瞬間、その男は焦げていて体から煙が出ていた。即死であった。
人って、そんな簡単に死んでしまうのか。
この国では家畜に限らず、人の死も身近であった。そこから死について考えるようになった。人は、いつどこで死ぬか分からないとは知っていたけど、それまで実感がなかったが目の前で人の死が続くと「死」というものが現実味を帯びてくる。
受け入れ難い現実を包み込む、宗教
それから宗教に関する本を読んでいて、死に対することが書いてあったので自分も死について考えてみた。死んだら今の自分の意識がなくなり、その後、永遠の闇が来るのかどうか分からないが考えただけで怖い。大切な人との記憶が消える。死と向き合うって、相当な覚悟だ。受け入れたくない。
ムスリムの友人は、こう言った。
現世で教えを守り良いことをすれば、来世でも今の意識をもったまま不自由ない生活ができる天国にいけると信じている。
神に祈って教えを守れば天国に行ける事を心から信じていれば、貧困層にも希望の光があり、宗教にすがる気持ちも分かる。貧困層に宗教は広まりやすいのはそのためだろう。
死(期限)があるから、人は懸命に生きる。
後輩が亡くなったと友人から一通のメールが来た。同じサークルで可愛がってた後輩で、笑顔の素敵な子だった。バングラデシュに来る前の壮行会にも来てくれて、「ごうさんすごいです、尊敬しています。帰ってきたら、またみんなで飲みに行きましょうよ。」が最後の会話になった。これからもカッコいい先輩であり続けたいと思っている。
彼女が生きられなかった分も一生懸命生きようという気持ちが大事で、しんみりした気持ちに浸り続けることじゃない。浸っていれば気が楽だけど、現実に立ち向かおう。
居なくなってから、「もっと〜しておけばよかった」とかでは遅い。そう考えていると、バングラデシュに来ている間にも親は歳を取っていき、会えない間に死んでしまうかもしれない。
しかし、何かを得るためには、何かを失うとは言ったもので、バングラデシュでの時間と引き換えに大切な人たちとの時間は無くなっていっている。
だからこそ、懸命に生きていきたい。
友人からのメールの文末には「生きて帰ってこいよ」と書かれていた。