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【翻訳記事】崩壊するプラットフォームからユーザーを守る2つの原則

コリイ・ドクトロウの以下の記事より翻訳。

インターネット上のプラットフォームはメタクソ化(enshittification)の最終段階に入った。エンドユーザーやビジネス顧客を誘引するためにかつてバラまいたエサを引っ張り上げるときがきたのだ。彼らはユーザーをプラットフォーム内に閉じ込めておけるだけの最低限の価値を残す綱渡りをしようとしてきたが、それも終わりだ。広がっているのはただ醜い光景である。

プラットフォームが──搾取的な値付け、買収による飼い殺し、反競争的な合併吸収をまぜこぜにして用いることで──軌道に乗っていたとき、彼らは無敵であるかのように見えたものだ。マーク・ザッカーバーグは選挙で選ばれる必要のない終身SNS皇帝として、数十億のユーザーの上に君臨していた。YouTubeはオンライン動画サービスの完成形であるかのように見られていた。Twitterはオープンな話し合いの揺るぎない基盤であり、ジャーナリストたちには欠かせない情報源であると思われていた。

かの時代、改革派や規制当局や政治家の主たる目的はこれらの巨大プラットフォームを改善することだった──彼らはアルゴリズム制御された何億ものフィルターや何十億ものモデレーターを費やすように要求していた。こうした考えにおける暗黙の了解とは、"プラットフォームは永遠に続く現実である"ということ、そして"プラットフォームを飼いならし、可能な限り無害にするのが最重要事項である"ということだ。

それ自体は今もなお素晴らしい目標だ。フィルターはまともに働いていないし、人力のモデレーションは限界に達して深刻な労働問題を引き起こしているけれど、それでもなお我々はより良いプラットフォームを必要としている。しかしプラットフォームは種もみを貪欲に喰らい尽くし、縮小し、腐敗していく。したがって、いまはユーザーが最小の苦痛でプラットフォームを去っていけるよう手助けするというふうに狙いを変えるべき時だ。つまり、プラットフォームを上手に"機能させる"方法と同時に、上手に"崩壊させる"方法を考え始める時なのだ。

今週、私はプラットフォームをより上手に崩壊させるためにふたつの提案を行う記事をマストドン上のブログに投稿した。タイトルは『プラットフォームが滅びるとき、ユーザーファーストであれ』だ。

最初の提案は、エンドツーエンドの原則についてだ。これはインターネットの根本原則である。通信サービス提供者は、任意の送信者と受信者の間のデータ通信を可能なかぎり効率的かつ信頼できるものにするよう努めるべきだというものだ。これこそ、ケーブルテレビや電話通信といった旧来のシステムとインターネットを分かつ原理である。旧来のシステムでは、ユーザーがどんな情報をどんな状況で受け取るのか決めるのはサービスを提供するオーナーだった。

エンドツーエンドの原則はインターネットの設計の根幹であり、インターネット中立性と(当然だが)エンドツーエンド暗号化の鍵となる原則だ。しかしプラットフォームとなると、エンドツーエンド原則はどこにも見られない。ソーシャルメディアで誰かをフォローしたという事実は、彼らの近況が必ずわかることを保証しないのだ。特定の製品や業者を検索したという事実は、EbayやAmazonやGoogleのようなプラットフォームがその問いに対するベストマッチを教えてくれることを保証しない。誰かのメールをスパムフォルダから引っ張りあげたという事実は、その人から来る次のメールも見られることを保証しない。

エンドツーエンドというルールは、任意の送信者と受信者間の通信をなによりも優先させる義務をプラットフォームに課すはずだった。その義務は、検索結果に優先表示される"広告"を売りつけたり、メディア企業やプラットフォーマーが購読者に自らの投稿が届くよう"ブースト"させたりすることで得られる金よりも優先される。我々が代議士に求め、代議士が我々に送るべきメッセージがスパムとしてフィルタリングされてしまうというような現実の政治的スピーチに関する問題にもエンドツーエンドの原則は対応できる。言い換えるなら、エンドツーエンドの原則は最も反ユーザー的なプラットフォーム運営ポリシーを駆逐してくれるのだ。それにもかかわらず、テック業界の巨人は「プラットフォームはそのオーナーではなくユーザーに奉仕すべきである」という最後の見せかけすら捨て去っている。

ふたつめの提案は、離脱権についてだ。これは、ユーザーがプラットフォームを去るのを容易にするようテック企業に課される義務のことである。ソーシャルメディアでいうなら、フォロー/フォロワーリストを取り出し、お好みの競合サービスに引っ越しできるマストドン式のやり方をスタンダードとして適用することを指す。こうすれば、ユーザーをサービスに縛り付ける社会的ジレンマ──みんなサービスを憎んでいるけれど、相互フォローしている皆のことは好きなので、どのサービスにいつ移行すべきか決められず、みんな居座り続けてしまうこと──を解決できる。

デジタル著作権管理DRM──自分の所有しているメディアを捨て去らないかぎり、Amazonや他のテック業界の巨人と縁を切れなくなるデータ暗号化スキーム──のせいで粗悪なプラットフォームに閉じ込められている視聴者やクリエイターにとって、離脱権は、権利保有者と視聴者間のコミュニケーションを助けるようプラットフォームに義務づけるものとなるだろう。そうすれば、クリエイターは誰が自分の顧客であるか確認できるし、別のサービスで使えるダウンロードコードを顧客に送ることもできる。

これらの提案はどちらも、特有の長所をふたつ持っている。管理運用が簡単であることと、実行が容易であることだ。

エンドツーエンドの原則について述べると、プラットフォームがあるユーザーのフォロワー全員にメッセージを確実に送信しているか確認するのはたやすい。AmazonやGoogleが検索ワードに正確に一致する検索結果をトップに表示しているか確かめるのも簡単である。『オンラインでのハラスメント行為を防止すること』のような複雑で曖昧なルールとは違って、エンドツーエンドの原則は簡単で明瞭な〇×テストだ。『ハラスメント撲滅』ルールも素晴らしいものだろうが、これを成し遂げるには『ハラスメント』の明確な定義が必要になる。特定のユーザーの行為がその定義に合致するかを確かめなければならない。ハラスメントを防止するためにプラットフォームが合理的にできる限りのことをしているかについて判断する必要もある。こうした事実を積み重ねる類の問いかけを解決するには、何か月あるいは何年もかかりかねない。

これと同じことが離脱権についてもいえる。ユーザーが簡単に離脱できるようにプラットフォームが行動しているかを判別するのは容易である。サーバーが義務を全うできるように設定しているか確かめるために、プラットフォーム企業で働くエンジニアを証人喚問するように規制当局を説得する必要などない。自分の目で確かめるだけで済むからだ。競合サービスに乗り換えるためのデータを送ったとプラットフォームが主張し、ユーザーがそれに異議を唱えたとしても、規制当局がその異議の内容を確かめる必要はない──プラットフォームに対して、データを再度送るよう伝えるだけでいいのだ。

管理運用のしやすさは重要だが、コンプライアンスにかかるコストも重要だ。プラットフォームをよりよくするために提起されたルールの多くは、実行するのにおそろしく金がかかる。たとえば、ユーザー生成コンテンツを判断する著作権フィルターを必須のものとして要求するEUの法規に従うには、少なくとも何億ドルもの金が必要だ──GoogleとFacebookがこの提案を支持したのも不思議ではない。彼ら以外の誰もこのルールを遵守できる金を持っていないのだから。それに、新参者に邪魔されるおそれなく市場を永久に独占できる方法を買えるのだから、これは美味しい取引だ。

しかしながら、エンドツーエンドの原則に従うのは、従わないよりもなお簡単だ。SNSというものは任意の送信者と受信者間での確実なメッセージ送信から始まり、その後ユーザーから金を巻き上げるために、余分な工夫を行って選択的に壊されていくものだからだ。エンドツーエンドの原則に従うことで、小規模なプラットフォーム管理者──たとえば、マストドンのサーバーを運営する協同組合やボランティア──に追加で出費が発生することはない。

このふたつの提案はどちらも、あるべき場所に支配権をゆだねるものだ。それはすなわちユーザーであり、プラットフォームの運営者ではない。ユーザーが簡単に他のサービスに乗り換えられる市場の中で競争させることにより、このふたつの提案はビッグテックに規律を課す。そうして、ユーザーをプラットフォーム内へ閉じ込めメタクソ化する試みを回避するのだ。


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