おまえは今すぐアーマードコアに乗りルビコンへ行け
よく来たな。おれはNeverAwakeManだ。おれは毎日すごい時間ゲームをしたり映画を観たりして、ときどき気がふれたようにテキストを書いている。
つまり、おれはアーマードコア6を発売初日の0時からブッ通しで5時間プレイしてフラフラになり、むさぼるように一周目をクリアし、最高潮に達したテンションでPC版も買い、二度目の一周目をクリアしたということだ。10年ぶりに復活したアーマードコアーのあまりのおもしろさにおれは圧倒され、深くおののき、思わずつぶやいた。G.O.A.T.A.C.・・・グレイテスト・オブ・オール・タイム・アーマード・コアと。真の独立傭兵であるおれは当然二周、三周とプレイする気まんまnだが、このゲームのスゴさを前にもはや衝動をガマンできず、ついにこの記事を書き始めたとゆう寸法だ。
先にいっておくが、おれはネタバレを一切考慮しない。ネタバレひとつ自己防衛できないようなあほがルビコン3のコーラル汚染メキシコで生きてゆけると思うか?もちろん不可能だ。油断しきったおまえはダニートレホに衛星砲で狙撃され、着陸することすらかなわず・・・END OF RUBICON・・・・・・しかし、おまえが注意ぶかくネタバレを避けて独立傭兵の道を目指す真の男だというなら、今すぐGEOとかYODOBASHIにいけ。そして脇目もふらずにアーマードコア6を買い、硝煙渦巻く戦場に飛び込むがいい。わかったか。
アーマードコアは死なない
ARMORED CORE・・・それは初代プレステの時代から続く、由緒ただしいロボットゲームシリーズだ。プレイヤーは一言も喋らず顔すらわからない傭兵になって、アーマードコアというロボットを操る。自分好みにASSEMBLEしたACに乗り、企業の依頼で車を踏みつぶしたり、降り注ぐミサイルを撃ち落としたり、アリーナで最強という名の称号を求めたりして・・・・・・なんやかんやで世界の敵になる。そういう、パンクでアナーキーなゲームだ。
アーマードコアシリーズはPS3のころまではかなり頻繁に作られていたが、ここ10年くらいはずいぶんおとなしかった。そのあいだにフロムソフトウェアが作ったゲームといえばデモンズとかSEKIROとかエルデンとかなんかダークでソウルなやつばかりで、しかもそのどれもがチョーおもしろかったので、比較してアーマードコアは死んだコンテンツのように扱われつつあった。S・N・Sのあほどもは壊れたレコードみたいに「体は闘争を・・・エーシー持ちで・・・闘争が・・・・」ばかり10年も擦ってて本当にしょうもなく、おれはいつもムッとしていた。
だが、おれがフロムソフトウェアのことを完全に信じきれていたかといわれたらウソになる。暗黒メガコーポとのうわさが絶えないKADOKAWAの子会社になったことで、フロムは拝金主義になってしまったのではないか?ソウル屋さんになってしまったのではないか?このままアーマードコアを歴史の闇に葬り去ろうとしているのではないか?・・・そんな疑念がよぎるたび、おれはかき消すようにバーボンをあおり、涙を浮かべながらサルーンのカウンターに突っ伏したものだった。
だが、一度生まれたものはそう簡単には死なない。アーマードコアは死んでなどいなかった。10年前に謎の畳敷き空間でアーマードコア5の宣伝をしていたとっぽい兄ちゃんが実際真の男で、シリーズの火を絶やすまいと水面下でしぶとく戦いつづけていたのだ。それは想像を絶するようなタフな日々だったにちがいない。だが彼は、ついに最新作のプロデューサーにまで上り詰めるにいたった。
ブースターの雄叫びをあげて、ARMORED COREは捲土重来を果たした。おれはふたたびサルーンに行き、今度は嬉し涙を流し、つぶやいた。「OGUに平穏のあらんことを・・・・・・」と。
過去にとらわれるやつは腰抜け
息の長いシリーズが復活するとき、そこには必ず軋轢が起こる。旧作と比べるやつらだ。当然、アーマードコア6もそうゆう連中に絡まれている。「ロックオンはズル」とか「ヘリが強すぎる」とか「壁が越えられない」とかしゃらくさいことばかりだ。そのあげくに「こんなのアーマードコアじゃないよお」とかほざいて、S・N・Sでしょうもないネガキャンをやったりする。
だが考えてみろ、10年ぶりだ。10年あればなにもかも変わる。元号が変わったり、iPhoneのナンバリングが10を超えたり、消費税が上がったり、インド映画が爆売れしたり、ツイッターアーがエックスになったりする。そんな生生流転のMEXICOで10年前とか20年前のゲームと同じおもしろさがそのまま通用すると思うなら、そいつはあほか、腰抜けか、さもなくばあほで腰抜けだ。アーマードコアはアセンbルを変えてどんどん最適化していくのに、やつらは自分ひとり変えられず・・・ブツブツ文句を言いながら安楽椅子に揺られ・・・ユーチューブでスカム動画を見る生活に溺れ・・・そして死ぬ。とはいえ、そんなうらなり野郎にアーマードコア6は実際早すぎるので、今すぐスマッホでガチャを回しSSRベイブに慰められていたほうが身のためとゆうものだ。
昔のアーマードコアは当時としてはおもしろかったかもしれないが、今考えるとだいぶ粗が目立つゲームだ。ちょっとブーストを吹かしたらエネルギーがスッカラカンになるし、ちょっとビームを撃ったらエネルギーがスッカラカンになるし、気を取り直してもう一度ブーストを吹かしたら熱暴走する。両手両肩の武器を同時に使い分けながらジャンプや視点操作もしなければいけないので、ボタンも指も全然足りない。リアルといえば聞こえはいいが、妙なストレスの多いゲームだった。
昔のアーマードコアは動かしていてチョーおもしろかったかと言われたら、それもちょっとあやしい。実写みたいにR.E.A.L.なOPムービーではアーマードコアがスイーッとホバー移動して攻撃をかわしたりしているのに、実際はジャンプボタンを小刻みにポチポチして空中で8の字に動いたりしなくてはならなかった。アーマードコア4でネクストACという新世代機を操縦できるようになってようやくビュンビュン動けるようになったのは幸いだったが、画面に対して敵が小さすぎて何を攻撃しているのかよくわからなかったりもした。アーマードコア5になると一気に画面が近くなったけれど、今度はフレームレートがガッタガタで目に悪く、おれは頭が痛くなったりした。
かつてのアーマードコアを楽しむためには、こうゆうゲームの粗をごまかすための強靭なイマジネショーンが必要だった。やりたいことと実際にできることがいつもちょっとズレているシリーズだったといえるだろう。
だが、アーマードコア6は違う。雰囲気がいいとか台詞回しがカッコいいとかパーツがいっぱいあるとゆうだけではない。SEKIROを作った真の男がディレクターを務めたことで、アーマードコアは遊んでいてちゃんと楽しく、理路整然としてモダンで、ハチャメチャにカッコよくて興奮する真のアクションゲームへと生まれ変わったのだ。
サイティングしなくてもいい
おれがアーマードコア6を手に取ってまず衝撃を受けたのは、ロックオン機能が正式に追加されたことだ。いにしえのアーマードコアにはサイティングというエイミングに近いシステムがあり、画面中央の照準に敵を捉えるとそこに弾が飛んでいくという代物だった。しかし十字キーとかアナログスティックでそんな精密操作を要求されても別に楽しくなかったので、アーマードコア4では画面に敵が映ってさえいれば狙いがつくようになったりした。
しかし、さっきもいったように、指が足りなかった。アーマードコアは作を追うごとにハイスピードで立体的なゲームになったので、サイティングしながらジャンプするといった操作も必要になる。そのためにはカーブボールみたいななんかいやらしい手つきをしなくてはならず・・・そうゆう変なコントローラーの持ち方が対人戦の極限環境下で謎めいた進化を遂げ・・・いわゆるAC持ちが生まれたりした。それがアーマードコア6では右スティックを押し込むだけで敵をロックオンし、スティックをちょっと倒せばすぐ別の敵を狙えるようにもなったのだから、これはエルゴノミクス的にも完全に革命といっていい。
「あのですね!サイティングがないとですね!アーマードコアじゃないんですけど!?」とかぬかす腰抜けがAC6の発売前にはチラホラいた。結果どうなったか?・・・・・・三人称視点のアクションゲームとして、AC6はものすごく遊びやすくなった。ブーストでギュインギュインしながら武器を使い分けるのも難なくできる。カメラアングルが巧妙に調整されているので、雑魚敵を適当にシバいているだけでもかつての詐欺ムービーみたいなめちゃカッコいいアクションが見られる。これひとつとってもAC6は相当に楽しく、ほとんどカモ撃ちのようなファーストミッションを遊んだだけでおれは「すごいゲームだな」と思った。
旧作ではサイティングの仕様上、素早い敵は視界に収まらないがゆえに強く、視界に収まらないがゆえにつまらなかった。相手を見失うと戦いの土俵にすら立たせてもらえなかった。AC6ではそこのハードルがまるごと取り払われているのでとっつきやすく、ミサイルをかわしたりブレードの間合いを測ったりといった攻防の立ち回りに集中でき、なおかつ敵と正対しつづける緊張感に心をヒリつかせられる。
スタッガーが完全におもしろく大正解
スタッガーとは、攻撃を食らうたびに機体の姿勢制御に負荷がかかり、限界を超えるとしばらく動けなくなる新システムのことだ。スタッガーしている間は被ダメージが跳ね上がるので、その瞬間を見逃さずありったけブチこめば重装甲の敵でも一瞬で落とせたりする・・・・・・おまえはいま、「それSEKIROの体幹っショ??」と思ったことだろう。そのしたり顔をやめろ。たしかに、忍殺ができない以外スタッガーは体幹とだいたい同じだ。いわば、ロボットの体幹だ。しかし、それがアーマードコアと合体することでそこにはアントワンフークアとデンゼルワシントンのような化学反応が起こり、AC6は秘薬的に面白くなっている。つまり、イコライザーだ。
どうゆうことか?まず、これまでのARMORED COREの必勝パターンは「引き撃ち」だった。敵の攻撃を見てから避けられる程度の距離を保ちつつミサイルとマシンガンを垂れ流していれば、ほとんど負けなかったのだ。これは確実だが、まったく単調で退屈な勝ち方だった。しかしアーマードコア6にはスタッガーがあり、ブースト状態から加速をつけて蹴りをあびせる強烈なアクションもあるので、デカいダメージをまとめて叩き込むためにリスクを冒して敵に接近する瞬間が必ず訪れるのだ。
ただの削りあいになりがちだったアーマードコアの戦闘。そこにスタッガーがリズムとメリハリをもたらし、「スタッガーさせやすいが当てにくい武器」と「スタッガーさせにくいが当てやすい武器」をどう取捨選択するかとゆうアッセンブルの奥深さや、めちゃkちゃに硬かったり速かったりするボスにどう攻撃を当てていくかを見極める重要性をも生み出している。体幹と同じくスタッガーは自分にも適用されるので、スタッガーされそうなときはあらかじめ回復しておくとか、バリアを張ってやりすごすといった対策も大事になる。はっきりいってスタッガーはアクションゲームとしてのアーマードコアのおもしろさを完全に上のレイヤーへと引き上げており、この2023年に登場する10年ぶりの新作としておれを心の底から楽しませるものだった。
わかりやすいし興奮するストーリー
ここまでおれはアーマードコア6のゲームシステムの話に終始し、物語にはほとんど触れてこなかった。筋書きを事細かに説明して楽しみをスポイルするのはおれの本意ではないし、実際遊ばずに読んだだけでわかった気になるファスト映画野郎になってほしくないからだ。しかしここで「フロムゲーは物語が難解で・・・考察なしに理解はできず・・・amabamとは・・・・」とかぬかすやつは例外なくあほの腰抜けだ。おれは個人的な信条に則り、この手の連中を見かけ次第フェイタリティしている。
実際は真逆だ。アーマードコア6のストーリーはシリーズどころかフロム史上でもトップクラスに理解しやすく、それでいて猛烈にアツく、ドラマチックだ。
資源惑星ルビコン3に眠る新物質コーラルを我が物にしようとするタルサドゥームである巨大企業、その搾取に抗う解放戦線、ルビコンのすべてをディストピアAI管理しようとする惑星封鎖機構・・・・・・この三つ巴の戦いがチャプターごとに二転三転し、なんかデカくて変な超兵器とかもバンバン出てきてド派手だ。最初は取るに足らない使い捨て傭兵だと思われていた主人公が依頼をバリバリこなすにつれてメキメキ頭角を現し、逆関節ACに乗っているやたらいい声のパイロットに戦友と呼ばれて気に入られたり、企業お抱えの偉い鬼軍曹に遠足に誘われたりする。あいかわらずキャラの顔はわからず声しか聞こえないが、そのぶん台詞回しや言葉の調子ひとつでどのキャラクターも強烈な印象を残し、愛着が湧く・・・しかし戦場で出会えば・・・情け容赦なく、殺しあう。焼ける鉄の熱さと非人道的な冷たさの入り混じった明快なSFストーリーがサウナと水風呂めいておまえを整わせ、心の血行をよくしてくれるのだ。
さっさと強化人間になれ
おれが言いたいことは以上だ。おまえは四の五の言わず、今すぐにゲーム機のスイッチを入れ、とっととアーマードコア6をプレイしろ。おまえの中に燃え残ったゲーマーの火種が消えてしまわないうちにだ。コントローラーを力強く握りしめてアーマードコアを駆るおまえの姿を見た外野がタイパがどうのとかゆって邪魔してきたら、ただ静かにこう言うがいい・・・・・・「仕事の時間だ」と。