幸せは曲線的である。3種類のポルシェを追って
運命と言えば大袈裟かもしれないが、考える出来事があった。
今日は朝から通院の日だった。
通院は嫌ではない。週に1度だけある半強制的な外出ができる日だ。
昨晩は20時には寝たので、朝早く起きることができた。
1時間ほど車を走らせ病院へと向かう。
この1時間は長いようで短い1時間である。
車内は自分だけの空間だから、居心地がいい。
特にこの時期は、夜の寒さが朝まで車内に残っている。
お気に入りの音楽を流し、少し速めのスピードで駆け抜ける。
考え事は帰り道にすることが多い。
今日も帰り道に言葉にならない何かを考えていた。
ふと、3種類のポルシェとすれ違ったら、あの人に連絡してみようと、一種の”賭け”を自分の中でおこなった。
賭けの結果は、カイエンとマカンにはすれ違ったが、残り1種類のポルシェとは、すれ違うことは無く家までたどり着いた。
さて、これは運命と言えるのだろうか。
いや運命というと大袈裟かもしれないが、これであの人へ連絡することなく今日を終えることになる。
もし連絡をすれば、何か今後の人生まで変わるかもしれないが、変わらないかもしれない。それは分からないことだが、この3種類のポルシェと出会わなかったことは運命なのだろうか。
運命は独立変数だと考えていた。
運命というのは、あらかじめ決まっているものである。
そこに何かしらの影響によって、結果(従属変数)が生まれるものだと考えていた。
しかし、どうやら運命は従属変数として考えた方が理にかなっている事が分かった。
当然と言えば当然のことかもしれないが、3種類のポルシェも実は見つける可能性を高める事はできた。いつも使う道ではなく、車通りの多い道を”あえて”選ぶことにより、3種類のポルシェとの出会いは今日通った道よりも遭遇率は高くなり、それにより、あの人への連絡も取る可能性が高くなる。
運命は自分自身である程度の操作が可能だという発見をした。
もう少し難しく言えば、我々は日々、何かしらの選択を絶やさずしている。
その選択肢をもっと吟味し、将来と照らし合わせ、より良い?選択肢を確率的に上げる努力をすれば、その先の道は明るい。という事だ。
これには数式が必要だ。
数式が必要ということは数学力が必要だ。
おそらく微分積分の内容が重要になるだろう。
あー、勉強しなきゃ