BLM (4) 奇妙な果実2020: 奴隷海岸、VooDoo、オクラ、ガーナへの帰還
Strange Fruitはホテルのラウンジでしっとり聞くような曲ではないので、あまりカバーされてこなかったが、今年に入って歌いだしてるミュージシャンが増えてきました。
Zemira Israel - Strange Fruit (2020 Cover)
Oceans of Slumber - Strange Fruit (Official Video)
2019年のものですが、米NBCのリアリティ番組"World of Dance"というコンテストでWinnerになったダンスチームの選んだ楽曲が"Strange Fruit"でした。リンチを受けた黒人たちの悲しみが見事に表現されており、一見の価値があります。
アフリカには胡椒海岸(故椒の輸出港)、象牙海岸(現在のコートジボワール、象牙の輸出港)など、西側諸国に輸出されてきました。そして黒人奴隷を大量にニュージャージー州・ノースカロライナ州へ"輸出"した地域は奴隷海岸(Slave Coast)と呼ばれており、現在のベナン・ガーナ・トーゴ・ナイジェリアに該当します。アフリカの黒人は何の契約もなく、まるで虫のように網で捕獲され、
明らかな強制連行です。
奴隷の屈強なものはガレー船の漕ぎ手になりました。
強制連行は、映画 "The Middle Passage (1997)"
でなまなましく描かれています。
非力な子供や女性は、奴隷商人へ災いを起こすために呪術を使って復讐を試みました。奴隷商人の落とした毛髪などを藁人形に付けて呪いをかけ、これがVooDooの原点と言われています。
ニューオリンズに上陸した黒人が伝えたリズムはニューオーリンズ·ジャズの誕生となりました。また、西アフリカで食されてきたオクラを使った料理はガンボとなりました。
日本のバンド、ボ・ガンボスはボ・ディドリーとガンボ料理に由来しますケイジャン料理のひとつ、ゴンボソースを使った一品。
私のいたニジェールでもゴンボソースはポピュラーで、本当に美味しいです。「アフリカに思いやり」というブログで詳しく紹介されていました。
20種類ちかい主食やソースや肉、魚が並んでおり、どれでも好きなものを入れてもらえる。私のお皿はこれ。
トウモロコシの白いトウ(トウモロコシの粉を混ぜて団子状にしたもの)、ソルガムの黒いトウ、オクラのソース、野菜炒め、羊肉のトマトソース煮込み。そして、どれも旨し!!!
一緒にいた方のお皿。
ご飯の上に様々なソースがかけてある。
これこそ、ぶっかけ。
アフリカ系アメリカ人の暴行が進む中、
同情したガーナで「アフリカへの帰還」を呼びかける動きが出てきました。
ニューズウィーク誌の記事を紹介します。
ガーナ、人種差別に苦しむアメリカ黒人に「帰還」を呼びかけ
(Ghana Minister Invites African-americans to Re-settle in Africa)急成長を続けるガーナは、アフリカ系アメリカ人のスキルや資金を歓迎する(写真は首都アクラ)
<奴隷貿易の拠点だったガーナは黒人のふるさと>
「今の場所で必要とされていないならとどまることはない、アフリカは皆さんを待っている」
黒人男性ジョージ・フロイドの拘束死事件を受けて巻き起こった人種差別をめぐる議論は、海を越えて世界中に広まっている。西アフリカのガーナの観光相は、アメリカをはじめ世界各地のアフリカ系市民に「今いる場所に自分が必要とされていないと感じたら」戻ってきなさい、と呼びかけた。
6月5日、ガーナの首都アクラにあるW.E.B.デュボワセンターでは、フロイドの追悼式が開かれた。式に出席したバーバラ・オテンギャシ観光相は、ガーナは人種差別から逃れてきた人々を受け入れると述べた。
ニュースサイトのガーナウェブによれば、オテンギャシは追悼式でこう語った。「私たちは一丸となって、現状を変えていきましょう。人種差別は終わりにしなければなりません。ジョージ・フロイドの死が無駄にならず、世界中で偏見や人種差別をなくすことにつながるよう願っています」
「私たちは今後も、ふるさとに戻ってくる全ての同胞を喜んで受け入れます。ガーナは皆さんのふるさとです。アフリカは皆さんのふるさとです。皆さんを迎え入れる準備はできています」
さらに彼女はこう続けた。「どうぞこの機会にふるさとに戻り、ガーナで生活を築いてください。自分が望まれていない場所にとどまる必要はありません。皆さんには選択肢があります。アフリカは皆さんを待っています」
< 奴隷船から400年 >
ガーナはかつて奴隷貿易の主要拠点で、ここから大勢の奴隷が船に乗せられて北米に渡った。2019年には記録に残る最初の奴隷船が北米に到着してから400年の節目を迎え、「ガーナ帰還年(イヤー・オブ・リターン)」として音楽祭などさまざまな文化イベントが開催された。
一連のイベントによって大きな経済効果がもたらされたことを受けて、ガーナ政府はさらに、同国への投資を促進するための「帰還を超えて(ビヨンド・ザ・リターン)」と称する戦略を展開している。
ガーナ観光局のアクワシ・アジエマンCEOは6日、米NBCにこう語った。「アフリカ系アメリカ人、そしてアメリカの黒人は大きな購買力と移動の予算を持っている。そろそろ、あなた方の起源であるアフリカに戻ってきてはどうか」
8日には、米政界の中枢とガーナの「つながり」が感じられる一幕もあった。連邦議会議事堂でフロイドの死を追悼するために黙とうを捧げたナンシー・ペロシ下院議長をはじめとする米民主党議員らが身につけていた色鮮やかな幾何学模様のスカーフ(連邦議会黒人幹部会が提供)は、ガーナの民族衣装に使われるケンテと呼ばれる布でつくられたものだった。
BBCによれば、連邦議会黒人幹部会のカレン・バス会長はこう語った。「ケンテはアフリカの伝統で、私たちにとって重要な意味を持つものだ。それを身に着けることは、連帯を意味する」
ガーナ政府がアフリカ系市民に「帰還」を呼びかける声は、今後ますます大きくなっていきそうだ。
ラキーシャ・マリー・フォードは、スペルマン・カレッジ(ジョージア州アトランタ)の海外留学プログラムの一環として、2008年に初めてガーナを訪れた。その後アクラでPR会社フォード・コミュニケーションを創業し、5年前からガーナに永住している。
「ガーナの方が自由な気持ちになれた。私はジャマイカ系アメリカ人だが、ガーナには文化的に似ている部分がたくさんある」と彼女は本誌に語った。
「20代で自分のアイデンティティーの土台を認識できたことは大きかった。周囲の環境に目を向けて、自分がどうやってこの場所に付加価値を与えられるかを考えることができた。アメリカにいたら、きっといまだに人種差別と闘っていて、そんな余裕はなかっただろう」
急速な経済成長を続けるガーナに魅力を感じているという彼女は、アメリカにいるよりもガーナにいる方がずっとスピーディーに、ダイナミックなアイデアを実現することができると語る。
「新興市場には、幅広いスキルが必要だ。誰だって、持っているスキルのレベルに関係なく、ここで活躍の場所を見つけて、社会に影響を及ぼすことができる」