僕がクリニカルフェローになったときの話

アメリカで臨床をしようと思う理由は様々あると思うのだけど、もしレジデンシーを行いたいと思っているとしたら、僕のようにまずクリニカルフェローを行ってから入るというパターンを時々見ます。

せっかくなので、どのような形で僕が日本にいた時にクリニカルフェローになったかを参考までに記載したいと思います。

僕の場合は、USMLEを初期研修中に全部取ったので後期研修が始まったときにはECFMGのCertificationは持っいて、そのころから、どうやってアメリカに渡るかを色々と考えていました。選択肢には、N program、野口財団でコネクションを作る(具体的なプランはなく、ホームページを眺めていました)くらいしかなく、海軍病院も考えましたが、結婚する予定もあり僕と妻の両親がいるで、国内であればできるだけ地元に残りたいなあと思っていました。(ちなみに初期研修中にUSMLEをとるのは、僕の病院みたいに結構野戦病院的な市中病院で働いている場合には決して勧められないです。夜勤続くと記憶力落ちるし。)


そんな中で、ふとグーグルに“米国 神経内科 留学”と検索をかけてみました。すると、アメリカで神経内科の研修を行って何年かアテンディングをされていた先生のページがヒットしました。よく読むと、その先生のメールアドレスの下に興味のある方はいつでも相談くださいとありました。これはありがたいことだと思い、何か情報が得られればと、その先生に連絡をさせて頂きました。ちょうど日本神経学会の直前だったので、タイミングよく会場でお会いすることができました。当時の病院の先輩に「これで人生変わるかもしれないです(大げさ)」と、無理を言って当直変わってもらったりしました。その後、色々と話を聞いて頂き、今でもその先生は僕のメンターです。


そして、お会いした数週間後くらいでしょうか、突然その先生からメールが来ました。なんでも、アメリカの有名病院でNeuromuscular Fellowに欠員が出て緊急募集をかけているが、どうですかということでした。僕は、長いこと野球をやってきたのですが、好球必打というのが常に頭にあり、これは打たなければ二度と打てる球は来ないと思い、すぐに「家族と上司と相談ですが、是非お願いします」とメールしました。その後は、周りの皆様と家族の理解をもらい、トントンと話が進みフェローになりました。


インタビューは電話で行い(当時はZoomなどはなく笑)、Stepの点数は特に問われませんでした。僕の場合は、それまでに1年アメリカで研究をしていたこと、学生時代に臨床実習をアメリカ人なら誰でも知っている大きな病院でやっていたのが良かったみたいです。

その時のフェローのポジションはNon-ACGMEと呼ばれるポジションでした。ACGMEの説明はどこかで触れたほうがいいのかもしれないのですが、要するにアメリカ全体の研修を管轄する団体です。そこに所属しないフェローということで、給料は病院自体から出され(ACGMEの場合は基本的にはMedicareから)、フェローとしてのライセンス(ECFMG Certificationとは別ものです)はLimited Permitと呼ばれる、そこの病院のみでの診療を許されたものになりました。これの認可の基準はStateごとに異なるので注意が必要です。臨床経験年数があまりに短いと厳しいかもしれません。ただ一番大事な、研修内容は同僚のACGMEフェローと全く同じなので、初めての経験ばかりで苦労もありましたが、非常に有意義でした。

フェローのポジションは僕の場合のようにランダムに出現することがあります(内科系の話をしています。外科系の話は別です)。なので、常にネットワークを貼っておくことが大事だと思います。もちろん、下にリンクを貼っておくAMAのページに行けば空きのあるポジションがリストされているので、それに当たるのもありだと思います大抵、4-6月くらいになるとポジションが埋まらなくて焦ってきて色々なプログラムが募集をかけるようになる印象です。とにかく、いつチャンスが来るかわからないので、早めにUSMLEを高得点で通過しておくことが肝要です。


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