日界
どんな一日でしたか。
もうすぐ本日も終わってしまいます。
やり残したことはありませんか。
果たして、本当に終わるんでしょうか。
答えの出ない、変なことを少し考えております。
日はずっと続いていて、1日24時間というのは時計を見て初めて理解できるものであり、区切らなければ永遠と今日を過ごせるのではないでしょうか。
例えば時差を超えて、飛行機で海外へ移動し続ければ今日は永遠と終わらないのでは。
そうなると誕生日を迎えることもないので、歳を取らないのでは。
身体は衰えても歳をとらなくて、もし光よりも早く動けばどうなるんでしょうか。
物質の人間としては、光の速さを超えることは出来ないので、この考えも出来なくなるのでは。
ということは、考えることすら大層無駄なのでは。
終わりを0時とするからなんだかもやっとします。
例えば、眠るときが一日の終わりでも良いのでは?
ふと無茶苦茶な非常識なことを考えてしまうときがあります。
1日の区切り、日界。
私共が生きる遥か大昔に科学者の方々が時間だとか空間だとか天文を調べて、日界というものを定めたことで区切られ、もともとの時間というものを遡れば、アイザック・ニュートンに辿り着きます。
ニュートンといえば、林檎が木から落ちることで万有引力を発見をしたことが有名ですが、他にも虹を七色だと定義付けたときに、音を色で表現したことがとても面白いと感じました。
絶対、常識、当然の因果。
今では当たり前のようにあるものですが、裏では大量の方々の汗と涙の滲むような努力が込められた結果で、生み出されたものと考えると凄いですね。
考える事すらおこがましいです。
常識を疑ってはいないのですが、これが当たり前だと言われると別の考え方があっても良いのでは?と思ってしまうのです。
これを一般的に言いますと、ただの天邪鬼です。
あれこれディベートすると、屁理屈なだけです。
本当はこれからパンを焼いて、メープルをかけて食べたい。ただその時間が欲しいだけなのです。
一日お疲れ様でした。