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回想:映画「ソイレント・グリーン」と後期高齢者医療制度(2008年当時)

今般の後期高齢者医療制度に関する一連の報道(注:2008年5月当時)に接して、お年寄りのひとりがテレビのニュース報道番組のインタビューに応えている映像を観て、アメリカ映画「ソイレント・グリーン」を思い出した。

その映画とは1973年5月に制作され、同年6月には日本でも公開上映された。
「人口増加により資源が枯渇し格差が拡大した、暗鬱な未来社会で起こる殺人事件とその背景を描いたSF映画」(Wikipedia)だ。人口爆発に伴う食糧不足、その対策としての「 老人安楽死」が制度化された未来社会が描かれる。
鑑賞した当時に大学生だった私は、封切館なんかではなく入場料が安い2番館か3番館かで観たという記憶だ。観終わって流れるエンディングロールとともに吐き気を感じた自身のことを覚えている。
映像の記憶からは、チャールトン・ヘストンが主演していたこと、老人がそれ専用の安楽死施設で安楽死する、否、させられるが正確であろうその場面のこと、ベッドに横たわる老人の眼前に広がるスクリーンに映し出された映画のストーリーの中では「今となっては過去のものとなってしまった美しい地球の情景」のこと、同時にBGMとして流れていたベートーベンの「田園交響曲」、それらのすべてが織り成す鮮やかな印象に、私には込み上げるものものがあった。

なぜ、後期高齢者医療制度に関する報道に映し出された老人の姿からこの映画のことが連想されたのか。
理由は「老人」と「安楽死」が言葉で繋がっていることであった。
もちろん、後期高齢者医療制度と安楽死、あるいは映画の核心部分となったサスペンスの展開が直接に繋がっているわけではない。連想の中での飛躍に富んでいるいることを断っておく。

テレビのインタビューに応えて、老人が語った。
「これまで何10年とまじめに働いてきたのに、国は私ら老人に早く死ねっていてるようだ」
制作された1973年当時は2008年の日本を想定、予見していたのか。
答えは No! だ。映画に描かれた人口問題の解決策としての安楽死という象徴的なストーリー設定のことと後期高齢者医療制度の問題とは別であることは明らかである。

ただ、映画が制作させられたときからここまで(注:2008年当時)の時間より、ここから先に映画が描いた2022年までの時間の方が短い。
「一部の特権階級と多くの貧民という格差の激しい社会」(Wikipedia)は、映画の中のことではなく、すでに紛れもない現実の世界のことではないだろうか。

私の近くに普段から親しくしていただいている、普段から冷静にして温厚との印象のお年寄りが、後期高齢者医療制度についてはっきりと印象を口にされた。
「馬鹿にしやがって」

ソイレント・グリーンの連想のことは、特に私の個人的なものとしても、近くのお年寄りとの会話の中で、当の後期高齢者にとってみたら「後期高齢者医療制度」とはそれまでの人生の否定とも印象づけられかねない制度なんだと感じた。

やがて私にも到来するであろう後期高齢者たる近未来、現実の世界として決して他人事ではおられない。

<完>

注1:2008年5月3日に投稿した私のブログをベースに加筆しました。
注2:映画「ソイレント・グリーン」の中で描かれた「暗鬱な未来社会」(Wikipedia)とは、映画化の構想から50年後に当たる2022年の世界を描いたとされる。まさに来年がその「未来社会」に当たる。

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