実録小説サトシ桐島

最初は見かけたら遠ざかり、遠ざかった先でも見かけたらまた遠ざかった。山奥じゃ呼吸もできないから仕方なく人里に戻ると、やはり駅前で見かけてしまう。コンビニのトイレで鏡を見るとずいぶん人相が変わっている。

あいつらのやり口は光り輝く白い下地に人知の絞りカスを黒汁と共に縫い付けることで成立する。そうやって食い殺したい側の怨念をもって、俺の似顔絵ともつかない写真たちは完成した。それは公的機関によってばら撒かれ、量産に次ぐ量産によって、俺に張り付いていた俺の顔はなぜか俺から剥がれ落ち、肉のマスクから印刷物へと変貌した。

あの日山から降りた時に見た交番(だってそこしか光が点いてなかったんだ)の外壁に貼られた、まったく変わらない俺だった写真を見てつくづく、つくづくと、アルバムに整理されている俺のもう少し、若干ではあるが、とりあえずまだなんとかなっている顔写真を送りつけてやりたい衝動に駆られ、その日から誰かに指差して欲しいと腹の底で願うようになった。わざとらしくはぐらかして、腹の奥まで広げる準備をしていたのだ。

しかし、びっくりするくらい俺の名も顔も語られない。忘れ去られたのか? 違う。あらゆる連中の脳裏に、かつて俺だったそれの顔はある。黒縁メガネ、ギョロ目。口の端で笑う湿度の高い笑顔。そして長髪。印象にギトつく特徴のオンパレードだ。数千万人の頭にそれは印字された。あの時と同じ怨念のインクで。けれどそれは人の怨念ではない。追っかけてくる公的機関のいわば義務としての怨念だ。個人のものではない。だが、それがタチ悪いんだ。怨念は義務として引き継がれ、次の担当者も個人的な恨みとは全く違う次元で俺を追いかけてくる。

俺はあの時、俺が嫌いな奴らが造形した俺のイメージからずっと追い立てられている。俺が死ねばあいつが本体には、あー、ならんな。あいつも死ぬ。目的である俺の死が果たされれば、あいつの存在意義はなくなる。あいつだって俺であることには変わらないのだから、俺から見たっていくらかの愛情はある。なんせ最初は俺だったんだ。俺はあいつに死んでほしくない。だから逃げる。本当は逃げるのだってもう面倒くさいし、規則に縛られる余生の方が楽だ。そうしたい。でも、今や下剋上を狙う若かりし頃の俺だった二番手野郎が、はみ出し者のレッテルを片手にずっと追いかけてくるんだ。寝てる時もだぞ? 俺は鏡を見るのが嫌になった。既にヤツの思うツボにがっちりはまり込んでいる。

時既に遅し。俺は屈辱的にも、アイツの顔マネをするようになった。だが、似ない。本人なのにだぞ? でも絶望的に似ないのだ。テレビで連日目にする黒縁メガネのお笑い芸人の方がよっぽど似ていやがる。俺はお肌のたるみをナメていた。目尻の小じわをナメていた。美醜の問題なんぞヤワなものだ。問題はそこじゃない。本当に別人の顔になってしまった。こっちから寄せてっても全然似ないんだぞ? 俺なのに、本人なのに。

あれから何度もあちこちに白状している。むしろ毎日あれは俺だと吹聴してる。そしたらスムーズに狂人扱いだ。おめでたいな。やけくそで夕日にバンザイ三唱しちゃ眠っちゃの毎日に冷水をぶっかけてきたのは人間ドックの担当者で、程なく俺の寿命は裁定された。さて、それは良しとして、俺は誰として死ぬのか。俺はもうじき死ぬ訳だが、手筈通りあいつも死ぬのか? それともあいつは今後も千年追いかけられるのか? もう無理だ。頭が回らない。俺は、俺とあいつのために、遺言として主治医に本意をぶちまけて気絶した。もうだめだ。終わりだ。と、してくれよ? させてくれよ? 頼むぞお願いだ。俺はあいつなんだ。では。さようなら。わかってくれよ。お願いだから。じゃあな。

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