伊那節仁義
怒涛の勢いで全方向からモテ続ける勘太郎を延々見続ける映画。
のっけから勘太郎役の長谷川一夫はフルスロットルで己の一夫性を無差別に噴射する。ニヤついた流し目。超モテる。浅いダミ声でおどける。クソモテる。酒入れてちょっぴり下品に崩れてまたモテる。媚びて甘えてなおモテる。じわじわ迫る同調圧力。画面では勘太郎がマジで胴上げされている。好かれ過ぎている。全登場人物が勘太郎にゾッコンなのだ。敵役だって勘太郎を全力で追いかけてる。映画全編を通じて勘太郎には、無条件に全存在から膨大な愛が注がれるが、一夫の超人的なところはそれを受け止めてなおヘラヘラしているところだ。勢いのついた人気者に敵はない。モテの胃袋がブラックホール化している。もはや慢心すらも愛おしい。
「欲望とは他人の欲望である」とラカンは定義した。
ビートルズ初主演映画『ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!』(A Hard Day's Night)は、多忙なアイドルを4人が自演することで、他者が今まさに欲望している様子を誇張する。欲望した大衆は群れをなして追いかける。マンハントだ。映画の観客はビートルズの4人を見ていながらも、欲望を直接喚起するのは追いかける大衆だ。彼らは観客を巻き込む。お前も狂えと。
そんなビートルズ映画のアイドル性に対比させれば、勘太郎は「アイドルの単独優勝パレード」と言える。パッと見厚顔無恥かもしれないが、勢いのついた役者で厚顔無恥じゃない奴などどこにいる。事実、映画内のモテっぷりは全国に波及した。モテのエンジンが昭和18年の「ひょっとしたら戦争勝ててないんじゃねえか的閉塞感」を暴力的に刺激したのだ。爆発的に売れたらしい。同年に上映された黒澤明の「姿三四郎」との動員数比較が見てみたいが、まとめている方はいるのだろうか。
とはいえ劇中の勘太郎は終始低姿勢だ。しかし下手に出れば出るほど一夫の愛嬌は散弾銃のように撒き散らされる。だから一夫のいない場面になると、カメラは途端に端正でクールな眼差しを見せる。
が、それも長くは続かない。一瞬映るだけで端正な映画は単なる一夫になる。一夫はバランスブレーカーだ。めっちゃくちゃ調子こいてるが、調子こくほど愛嬌が強烈なフレグランスを放つ。観客はすっかり魂を抜かれている。もういい。ずっと、未来永劫調子こいててくれ。ペッタリした一夫の色気。張りのある俺超最高。般若の形相で人を殺したってまだ大丈夫。全然モテる。腹を探られ凄んでごまかす一夫も超かわいい。世界はオレかオレ以外。一夫のいない世界を我々は生きている。映画の中には全盛期の一夫が刻々記録されている。我々は飽きもせずにまたそれを再生し、一時間をかけて、ただただ一夫を浴びる。
もう、とにかく一夫がジューシー。
前半たっぷり魅せた愛嬌モンスターの勘太郎は、後半あっさり姿を消し、その穴埋めをするようにやむなくあちこちのモブたちが浅いネガティブキャンペーンを展開する。一夫の輝きが強すぎて、もはや画面から隠すことくらいしか方法がなかったのだろう。全スタッフによる天の岩戸作戦。得策である。
凄まじい勢いで勘太郎ロスのマイルはたまり続ける。勘太郎不在のアクション。敵役も正吉もかぶけばかぶくほど不在は燃え上がる。いくらでも燃えればいい。この映画は絶対帰ってくるゴドー待ちだ。エンターテイメントをナメてはいけない。どこに消えようと、そこにカメラを追いとくだけで一夫はすぐに戻ってくる。
猫なで声が気持ち悪くない!!!!
低姿勢で走る一夫はモテから逃げているようで次のモテを物色している。案ずともモテは向こうからやってくる。強烈な磁力は事件も呼び寄せるが、モテの頂点たるもの、そんな最中でも人助けは忘れない。なんていいやつ。ますますモテる。調子こきっぱなしで大活躍。もはや主人公を超えた主人公。
終盤、ダブルバインドに挟まれることで一夫の眉間にシワが入る。なにその別ジャンル。超かっこいい。満腹時でもデザートは別腹だ。そしてお調子者だった勘太郎がついに抜刀。やばい。無敵。ほぼマトリックス。流麗なBGMに乗せ、日本刀一本で小隊全滅。一夫よ、お前はこれ以上何を手に入れようと言うのだ。
しかしフィルムの残りは少ない。時間は有限なのだ。慌てた勘太郎は極めて段取り良く監督が広げた風呂敷の回収にかかる。最大の見せ場でサイコ勘太郎が一瞬だけ垣間見える。日本刀の色気と一夫の流し目が拮抗するが、逃走する勘太郎は異様に速い。追いかけてくるモブ代表のことを唐突に思い出して便宜的に振り向いて確認するも、追いつくのを待っていたらフィルムが終わる。主人公は決して映画に逆らわない。あっさり諦めた勘太郎は割り切り良く高速でその場から去る。おそらく化粧を落としに行ったのだろう。