ポロックさせてよ
ジャクソン・ポロックによる絵画はジェネレートっぽく見えるけど、実際はクリエイトされたものじゃないかという意見の根拠になっているのは、僕の高校時代の体験だ。
(いろいろ調べちゃったらつまらないので、なんにも調べないまま書きます)
美術の教科書で見たポロックがとてもパンキッシュで自由に見えたので、同じことをやってみようと思ったのだった。
途中まで油絵を描いていた50号のキャンバスを横倒しにして、あちこちに絵の具やインクを垂らしてみる。でも、なかなかポロックにならない。
実はあの絵画は、絵の具を垂らしたり撥ね飛ばしたりする動作を、結構根気よくやらないと浮かび上がってこない。それなりに手間と時間がかかる。とにかくやることが地味なのだ。
大きな画面全体に爆発的なパッションを行き渡らせるには、キャンバスの一部をパッションさせているだけでは足りないので、パッションしていない箇所までよいしょと移動する。そこでまた「ここかなあ」と、慎重に「勢いあるっぽく」パッションを垂らす。
このときの、自分の「意図」にちょっと笑ってしまったのだ。
全然パンクじゃねえじゃん。堅実な優等生じゃないと描けないよこれ。と。
ためしにAIに描いてもらったら、思ったよりもポロックしていて驚いた。
さすが優等生、勢いの偽装も一瞬だ。
この勢い、プログラムの考え方を想像すれば、初動のベクトルを発展させるのが順当な演繹だろうけど、生成AIは「絵の具の勢いの実例」を重層化させて平均律を探り、イデア抽出をする。
画像はとってもパンキッシュだけど、やはり生成過程は慎重で理論的だ。
どっかでAIのネジが外れて、あちこちのプリンターから、ニセポロックが延々プリントされ続ける、となればサイバーなパンクは成立するけど、電源落とされて終わっちゃうだろうな。アシモフの三原則は継続中だ。
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