「電線絵画」展・感想 (前編)
『電線絵画 小林清親から山口晃まで』@練馬区立美術館
(※2021年4月18日に展覧会は終了しています)
私たちの生活に不可欠であり、至る場所にあるもの。風景を汚し、邪魔とされるもの。
「電線」。
電線をかけ、電力を供給する柱を「電柱」と呼び、
電話線をかける柱を「電信柱」と呼ぶ。
......それらは日本の絵画のなかで、どのように描かれてきたのか?
というテーマの展覧会が開かれた。
こんなマニアックで、ツカミどころのないテーマの展覧会はもう2度とないだろう。誰が興味を持つのか。
僕だ。
この展覧会に「超」期待していた。
その感想を書いておく。
(ちなみに、会場は盛況でした)
1.期待〜電柱マニア垂涎の展覧会〜
僕は2016〜17年ごろ、電柱・電線の歴史を集中的に調べていたことがあった。文献を読んで歴史を掘るだけでなく、関係者に取材もしたし、電柱の生産地だった場所にも行っている。
それも、明治の文明開化によって東京が電化をはじめてから、丸太を防腐加工した木製の電柱が日本中に爆発的に普及し、昭和のはじめにコンクリート製の電柱が登場するまでの期間。
言ってみれば「木柱期」に限定して調査していた。
「明治期」「大正期」をまたぐ「木柱期」が存在することを誰も知らない。(なぜなら、僕が今つくったから)。しかし電柱を語るとき、そのように時代を分けなくては正確ではないのである。
なぜそんな時代を調べていたかというと、ある小説を書くためにどうしても必要だったからだ。
このnoteの本題と逸れるので自分の小説のことは省く。とにかく、2年間ほど集中的に「木柱期」を調べたせいで、自分は電柱にいまでも深い興味を持っている。小説でもマンガでも映画でも電柱が出てくるシーンがあると注意して見ているし、街を歩いていても、旅行先でも電柱と電線に目をやってしまうようになった。
(参考までにタイ・バンコク の電柱の凄さについて描いた旅行記を貼っておく。※Facebookの友人限定公開記事だが、自分に電柱が好きな友人はいない)
余談だが、電柱マニアと呼ばれる人々がいるらしい。
なかでも電柱マニア界の巨星と称される「ゴロンディーナー」さんというブロガーの方は、凄まじい好奇心と行動力で電柱サイトを展開しており一見の価値ありだ。
ゴロンディーナーさんはテレビ出演も果たしている。
ただ僕は前述のとおり小説のために電柱研究をはじめたから、動機はやや不純である。電柱マニアの方々ともお会いしたことはない。
これからもひとりで電柱を眺めていくのだろうなぁ.....と思っていたところ、
練馬区立美術館がやってくれた。
今回の展覧会が中心的に取り上げている時期がまさに「木柱期」の日本絵画なのだ。
さすがに、これには行かなくてはなるまい。
2.収穫〜あの名作にも電柱が......〜
ここからは感想を書く。展覧会の詳細は練馬区美の発信を見てほしい。
(※展覧会が終了しており他館への巡回予定もないので、遠慮なくネタバレと個人的な感想を書きます)
出展作品は明治〜大正期が中心。昭和〜現代も含め145点が出品されている。多くが浮世絵・絵葉書・水彩・油絵などの平面作品だ。
(以下、紹介するものは表記がないかぎり、すべて同展の出品作です)
たとえば、岸田劉生の超有名なこの坂道の絵。
岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》(1915・大正4年)
この坂道を横切っている細長い影、なんだかわかるかな?
そう、「電柱」の影なのだ。
アングルを変えると......
岸田劉生《代々木附近(代々木附近の赤土風景)》(1915・大正4年)
ほら電柱だった!!
......というように、電柱を軸に日本絵画の名作を見直したり、マイナーな作品を取り出したりしながら、電柱の意味を考えるという趣向の展覧会になっている。
浮世絵の巨匠のひとり、川瀬巴水も、電柱を切り口にすると違って見える。
川瀬巴水《東京十二題 木場の夕暮》 (1920・大正9年)
立ち並ぶ電柱と、橋の上のひとりの男が対比されていることがわかる。そして電線の向こうには無数の人々の生活の灯があることを想像させる仕掛けになっているわけだ。電柱に注目させながら、川瀬の特徴である静けさと気配を解剖してみせるようだ。
このように見事な展示構成。
そして、こんな掘り出し物? も出ている。
玉村方久斗《碍子と驟雨》(上:紅蜀葵)(下:梧桐) (1943・昭和18年)
電線に不可欠な絶縁用具「碍子(がいし)」の掛け軸。こんな作品があったとは...。風流な感じで描いてあるが、なかなかの違和感だ。作者はただものではない。
出典:日本ガイシ
《碍子と驟雨》はかなりのキワモノだが、そのほかにも全ての出品作に電柱がさまざまなテーマ・画法で描かれており、なんと碍子そのものも出品されている。
出典:練馬区美術館twitter
まるで茶道具のように...。企画した学芸員も相当おかしい。
しかも、電柱絵画は、(ほぼ)日本にしか存在しない。
なぜなら、欧米では電柱敷設の際に「共同溝」という地下の溝に収めて埋めるスタイルをとっているので、そもそも電柱のある風景がかなり珍しい。
ということは、「電柱」という対象物は欧米絵画との比較ができないということで、なんとまあ面白い視点であることか。
(日本がなぜ電柱を地中化しなかったのか、小池百合子都知事があんなに一生懸命取り組んでも遅々として地中化が進まない理由は、また面白い電柱史があるのだが今回は省略。)
そのうえで、本展の見所は作品だけではない。
展示全体を通じて問いかけている、
「電柱・電線は日本絵画のなかでどのように描かれてきたのか?」
というテーマである。
その答えは、おどろくべきことに、
「描かれたり、描かれなかったりしていた」
ということだ。
(そりゃ、そうだろう)
と、思ってはいけない。
ここが電柱の面白いところであり、本展の最大の収穫だと思った。電柱・電線はかなり巨大なのに「無視できる」という特殊な風景の構成要素であり、海・山・建物etc.とは明らかに違う。
だから浮世絵のなかに電柱がドーンと描かれていると「え、こんな時代に電柱があったの」という新鮮な驚きがある。
小林清親《従箱根山中冨嶽眺望》(1880・明治13年)
電柱があったことも面白いが、それ以上に面白いのは、あったのに無視されていたということだ。
当時の人々から、また、美術史からも。
電柱は在るのに無い。この奇妙さをマザマザと見せつけているのだ。本当にどうしたことだろう?
(後編に続く)
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