M-1の熱に浮かされて

「終わらせよう。」で始まるM1グランプリ2024。逆に聞きますけど、今大会どうでした?そうですね、神回でしたね。神回と呼ばれる2019年を超えた盛り上がりを、この記念すべき20回大会でぶつけること。前代未聞の2連覇を成し遂げたこと。もはや言ってる場合じゃなくなったトップバッターからの優勝。など。令和ロマンが作ってしまった物語。
高比良くるまという漫才師が、本当にM1の「当たり前」を全て無かったことにしてしまった。彼はM1を終わらせた。

お笑いが好き。その中でも特に、M1グランプリが好き。下半期突入とともに始まる1回戦から、12月末の土日にかけて、M1ファンは尻上がりに1年の後半を駆け抜ける。私が家でいくらあーだこーだ言ったって、M1の結果に1ミリも絡むことはない。完全に自分の世界と離れたところで起きている物語なのに、緊張したり、怒ったり、感動して号泣したりする。
お笑い芸人が好きだけど、漫才師に特定の「この人が好き」はいない。いや、好きはいるけど、「推し」はいない。ただただ面白い漫才師が好き。昨日まで好きでも、今日面白くなかったら冷める。令和ロマンは好きで、唯一毎週欠かさずラジオを聴いている芸人さん。でもそれは、今私にとって令和ロマンが面白いからであって、彼らが推しなんだとかいう特別な情みたいなものはない。私にとってお笑いは何かをする手段ではなく、純粋に、その存在自体を楽しめる大事な大事なコンテンツなの。
だからこの文章を書くことで、「お笑い好きなんだ」って思われたいんじゃなくて、ただ純粋に私が夢中になっていることだから、どうしてもこの熱を外に出さないと眠れないから、今日布団に入る前にこの文章を完成させたんだ。

M1戦士の旬は、短いと思う。
M1という大会の世間での位置付けは、ここ数年で大きく変わった。変わってしまった。いつの間にか、こんなにも世間の注目を集めすぎるお笑い賞レースになった。
M1が近づくにつれて、私は毎年様々なカウントダウンの仕方で楽しみな気持ちを膨らます。一昨年は、1回戦や3回戦などのYouTubeにアップされるネタを何周も見ていた。去年は、準決勝の配信を購入して決勝に上がることの温度感を追いかけたのと、ここ数年の敗者復活戦のネタを新しい順に遡っていった。霜降り明星がだいぶ前から優勝ネタを叩いていたことを知ったことが収穫だった。それ以前の年は、めぼしい芸人のYouTubeでネタを見漁っていたかな。
20周年となる今年は、2001年〜2003年の大会を見返したのと、2024年でM1準決勝以上に残っている芸人が、ニューヨークチャンネルで30分トークをしている動画を全て観た。M1当日に関わる人たちのニンをもっと知っておきたかったことが一つ。M1という大会のルーツに想いを馳せたかったのが一つ。

過去大会を見て、そのレベルの違いに愕然とした。時代が変われば笑いも変わる。「あるある」も「ないない」も、時代が変われば共感できなくなるものが多分にしてある。でもそれだけでない、競技漫才としての奥深さ、仕掛け、独自の色、うねりのレベルが全く違う。これは時代の違いだけじゃないはずだ。
フットボールアワーの岩尾が、2001年大会で「顔が気持ち悪い」を掴みとされていたのが全く笑えないのは、時代による変化かもしれない。けど、ボケた時のツッコミワードの工夫のなさ、弱々しさが心許ない。その中で、千鳥や笑い飯の独自スタイルが光る。彼らが評価されるのは、「今」の笑いの着眼点。お笑い偏差値35だった小学生時代にはわからなかった笑い飯の面白さと島田紳助の評価が、今になって痛いほどわかる。

現代の、2024年の笑いはどうだ。第1回大会から、もう四半世紀が過ぎようとしている。なんであっても、同じ状態であることの方が難しいくらいの時間が流れた。初大会の時に1歳だった弟は今年社会人2年目を必死に生きている。素人にも確実に言えるのは、お笑いは変わったのではなく「発展している」ということだ。毎年、世間のそこらじゅうで「今年はレベルが高い」とかって言われるけども、それもあながち、間違ってはいない。

近年のM1への世間の期待は、最高潮にまで達しているんじゃないかと思う。もはやお笑いブームと言うには規模が大きすぎている気がする。バブルが弾ける直前ってこんな感じだったんじゃないかって、その時代を生きていないのに想いを馳せる。こんなにもお笑い芸人が注目されていいのだろうか。自分の好きなものが世間で注目を集めることによって、供給過多になるのは大変ありがたい。注目され、ファンが集まることで、現代の「推し活文化」も相まって尚更流れるお金の動き。どこまで切り売りしたら気が済むのよ、というくらい、M1への期待を膨らませてくれる。これ、オリンピックよりすごいんじゃない?と思うのは、私がお笑いファンだからだね。

お笑い芸人の生き方が様々になって、見られる媒体も本人たちの考え方次第で様々あって、本当にありがたいなと思う。ネタ見せ番組は今も昔も変わらず健在(ちょっと減ったのか?テレビ見ないからよくわからない)。でも少なくとも、サブスクで見逃し配信が楽しめることは進化。大抵の芸人は、ネタをYouTubeにアップしてくれている。売れてテレビによく出てくれる人もいる。劇場で見られる人もいる。コンビの空気感はYouTubeで味わえる。ラジオでファンを作ることも珍しくなくなった。この辺はオードリーが切り開いた道でもある。
芸人はテレビタレント化しなくても、十分に人気者になれる。これは時代なのか、単に今まで私が知らなかっただけなのかわからないけど。見たければ、見たい芸人を好きなだけ浴びられる時代。いくらでも見慣れられる時代。M1の存在が競技化しすぎて、常に常に新しいものを求めてしまうようになってしまった。観客の目が肥えすぎている。それは私も含めて。

それが、M1戦士の旬が短いと感じる理由。現に、トムブラウンが6年決勝戻れなかったことが分かりやすく物語っている。本人たちが言っていたが、「爪痕残せればいいでしょ、みたいな存在だった。ふざけんなよ、と思った。ちゃんと優勝したい。でも次の年から『あんたたちはもういいでしょ、テレビ出れるし。まだ出てんの?』みたいな冷たさがずっとあった。それが悔しかった。去年くらいからやっと、『あ、何、本当に優勝したい人たちなのかな?』みたいな感じで、徐々に受け入れられ始めた。そしたら去年敗者復活戦に行けた」みたいな内容だった(セリフうろ覚え)。これ聞いてびっくりした。めちゃくちゃ視聴者の空気見透かされてんじゃん。だって、私そう思ってた。
不思議。本人たちがやっていることは何も変わってないし、毎年試玉のネタを劇場で叩いて用意してくるはずなのに、世間ってほんと勝手だ。人生かけてやってんのに、勝手に旬とか、オワコンとか作られて消費されてたまるかって感じだよな。

去年あんなにも面白かったヤーレンズすら、「もっと」を求められてしまう。今年のネタだって、十分面白かった。でも、去年2位だった人たちは、去年から大きく進化を見せないと、もっといい評価はいただけない。簡単にいうと、パンパンに膨らんだ期待値をちゃんと回収しないとだめなの。なんて残酷なんだろう。ヤーレンズはずっと面白い、今までもきっとこれからも。でも、勝ちきれない。それは2017年に春風亭小朝がかまいたちに言った「勝ち切るネタではないんだよな」というセリフがそこに当たる。M1では、「ちゃんと勝つ」優等生はだめなの、審査員を混乱させる、でも会場のうねりでねじ伏せる、そんな「勝ちきるネタ」がいるの。そういうところでは、ヤーレンズは勝ち切るネタはまだやれていないと感じる。彼らはこれからどうしたらいいのか、さらにボケ数を増やすのか、それとも磨くのか、減らすのか、スタイルを変えちゃうのか。それは私が考えることじゃないけど、いずれにしても「2位だった」ことを引きずっているようじゃ、これからもずっと過去に囚われてしまうんじゃないかって。うるせーわ大きなお世話だよな。

真空ジェシカは辛かったと思うな。ずっとずっと面白いのに、その時の流れとか空気とかでウケたりウケなかったり。真空ジェシカみたいな芸人が(ネタでは)まるで優等生みたいな枠にハマっちゃうの、なんて大会だって思うよM1グランプリ。ずっとすごく成績がいいわけじゃないけど、ずっと悪いわけじゃなくて。真空ジェシカはずっと面白くて。でも、みんな真空ジェシカを知っちゃってるから、「もういいでしょあんたたちは」みたいにさせちゃいけなくて。FMTはないんだけど、なんとなく真空っぽさにみんながいよいよ慣れてきていて。その上で最終決戦行って、ここまでの真空に期待した流れを変える漫才ができるのって、これは相当「勝ち切るネタ」だったと思うのだ。
戦い方はあっていると思った。そして、今後も真空はM1で見られると思っている。頼むから、もう出ないって言わないでほしい。ナイツ塙が言っていた「ボケのセンスって、年をとってもそんなには変わらない。2人はずっと大学生の時に得たボケのセンスをずっと保ってここまできていることが本当に素晴らしくて」みたいなコメントがとてもとても良かった。真空のネタって、本当にお笑いが得意な人の激強大喜利の応酬コントみたいな感じだから。(下と例えるのも変だけど、だからネタの構成は、家族チャーハンと一緒。それぞれが持ち寄った大喜利を、交互に出してくっつけてネタにしている、みたいな。真空と家族チャーハンのネタの作り方は違うだろうけども、完成物のテイストは似ていると思った。)
だからさ、テクニックとかじゃなくて、それこそ彼らの感覚から生まれるお笑いだと思うんだよ。そりゃそうじゃん、普通に生きてて「Z画館」って思いつきません。何年ハガキ職人で修行したらそんな風になれるの。うそです冗談です。
その擦れてない感覚が、最高にエモいっていうナイツ塙のコメント。めちゃくちゃ良かったから、どうかネットニュースとかで切り取らないでくれ。

ここまで語って、何が言いたかったかってことなんだけど、つまり令和ロマンって凄すぎるんじゃんってことだね。
期待に応え続けることがこんなにも難しい中。今まで優勝候補とされてきたり、決勝で爪痕を残してきたりしてきた、オズワルドとか。インディアンスとか。ミキとか。そういう人たち何人も見てきたから。優勝しちゃってて、どうしてもみんなの期待値がパンパンに膨らんでいる中で、ここまでネタをやり切って、大ウケをかっさらっていくの、流石に王者すぎるって。
ナイツ塙の名言「M1の4分の筋肉」という視点が面倒なことに私には身についてしまっているのだけど、今大会M1の4分の筋肉を使いきれていたネタ(=4分間一度も飽きを感じなかったネタ)は、令和ロマンの2本、真空ジェシカの2本め、エバース、バッテリィズの1本め。これは私の好みではなく、事実だと思っている。
爆発が起こることはどのコンビにもあった。拍手笑いもたくさんもらえていた。ただ、そのタイミングをどこで持ってくるのか。ウケてほしいところ、盛り上がってほしいところで大爆発しているのか。後半に向けて尻上がりになっていることがもちろん理想だが、前半の笑いがあまりにも少ないと、大吉先生に「もう少し手前でひと笑い欲しかったかな」と言われてしまう。中盤に大爆発を起こしてしまったら、その後の展開がないと観客は飽きてしまう。それが今回のダイタクの敗因。(でもダイタクは今もう十分最高に面白いから、何も変える必要はないの。)
マユリカのネタは、コント漫才にも関わらず、2人がその場から一歩も動かないのが物足りなく感じた。真空の自由なコント漫才の後だったから尚更。漫才は空間を使うもの、奥行きを持たせたいって、いつだったか誰かの審査で誰かが言ってましたよね。

今大会の流れはもうほぼ完璧に近いんじゃないかと思ってて、それはヤラセでは絶対考え得ないこの出順が、もう本当アスリートってすごいんだなって。
決勝常連組が最初に出切って会場の空気をM1カラーに染めて、目が肥えた頃に初出場組が歴がほぼ浅い順にフレッシュな笑いを届けてくれて、最後にトムブラウンで会場ぶっ壊す。って、そんなの誰がどうやって考えるんだよ。結果論だから言えるんだよ最高だなって。

もう、もうこうやって世間とM1戦士たちで育ててきたM1の「通説」みたいなの、20周年で全部終わらせてくれたんだ。M1が大きくなりすぎたことで、いろんな人が言い訳のように言うようになってしまった「トップバッター不利説」とかさ。報われてない芸人が売れるべき論?とかさ。M1には特別な、M1にかけてますみたいな想いがないとだめ、みたいなドラマとか?そういうの、もう全部「終わらせよう。」って。今日くるまが「終わらせよう。」って言ってくれたの。これから漫才は、M1はシーズンが変わって、来年から新たな章の幕開けになるの。今日の令和ロマンの優勝で、新しいものが動き出すの。

なんでも「夢中」の人には敵わない。漫才師を辞めるきっかけでもあった大会が、こんなにも漫才を愛する人を増やした。漫才師たちは、M1の成績で一喜一憂しなきゃいけなかった。それだけでまた1年苦しんだり走り抜けたりしなきゃいけなかった。でもそういうことじゃないんだよ、って。M1優勝は『運』でもなければ『運命』でもない。ただ、楽しむものだって。ただただ大好きなみんなと、最高に金をかけてもらった最高の舞台で、ただただ超絶面白い大会作ろうぜ、って。そういう純粋に楽しいものでいいんだよ、って。全ての子羊漫才師たち、もう終わりにしよう。って。言って、最後、純粋に「優勝できて嬉しい!」って、大会を終えるんだもん。

もうこれで、M1の大きな大きな第2章は終わり。これから第3章が始まる。でもそれはまた来年の下半期の話。

M1の熱に浮かされて、眠れなくなってる一般人がここにいるけど、そういう夜は今日限りで、私もまた来年から新章に突入する、のかもしれない。みたいな、そういう自分の中の大きな流れに流されて、明日からも生きていく。

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