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他人の死
年を取ると著名人の訃報に接してもあまり驚かなくなる。
それが少なからず自分の心に何らかの影響を与えた人間であっても、「ああ、死んだか…」という程度になってしまうことがほとんどだ。
最近、楳図かずお氏が亡くなったことを知った。氏の訃報に接して私が感じたのは、やはり同じように「ああ、死んじゃったんだな…」というものだった。楳図かずおという漫画家の作品には「死」と関わりのあるものが数多くあったのだが、そのことは私のいつもの素っ気ない感想に何の影響も及ぼさなかった。
小学生だった頃、教室に少年向けの漫画雑誌があった。クラスメートがいつも学校に持って来ていて、生徒たちがそれを回し読みしていたのだった。自分もそれを読ませてもらっていたが、楳図かずお氏の「半魚人」という漫画以外はその雑誌に何が載っていたのか全く覚えていない。それほど7歳の少年にとってその作品は印象深かった。
「半魚人」の中に出てくる残酷でグロテスクで気持ち悪い描写、物語の悪夢のような展開に圧倒された。大人になり、ネットで情報を集めることができるようになってからは、そんな物語が不条理極まりないものであると同時に地球温暖化という今日的なテーマにも触れている不思議な作品であるということを知った。また当初、この作品が同じホラー漫画家として有名な古賀新一氏の作品だと思い込んでいた自分の勘違いの修正もできた。そう言えば古賀新一氏も6年前に亡くなっている。
楳図氏にしろ古賀氏にしろ、死や恐怖を描く作家だったわけだが、自らの死に対してどのような思いを抱いていたのだろうか。ホラー漫画の両巨頭と呼べるお二人ともご病気で亡くなられたようだが、病死の恐怖にどのように向き合われていたのだろうか。
死ぬのは怖い。怖いが、これだけは全人類が平等に迎える宿命なのだ。今、馴染みのある著名人が亡くなってもそれほど心が揺れ動かない自分にしたって、自分自身や身近な人間の死に向き合うことになればその心は千々に乱れ、いても立ってもいられないだろう。
普段、死を他人事と考えている自分と比べれば、常日頃から「死」とか「恐怖」を描写していた楳図氏や古賀氏が死と向き合うときは想像を絶するような物凄い動揺やストレスがあったのではないかと思う。しかしその一方で、案外、ごくごく普通の人間が味わうのと同じレベルの懊悩を体験していたのではないかという気もする。
むしろ一般人以上に普段から「死」を他人事として認識していなければ、あのように恐怖と残酷さに満ちたものを描き、私のような気まぐれな人間を半世紀以上にわたって惹きつけることはできないだろう。それがプロフェッショナルというものではないかと思う。