『アルジャーノンに花束を』
『アルジャーノンに花束を』
ダニエル=キイス著
青年とハツカネズミが主人公の小説。医科学が著しく進歩した未来社会が舞台となっている。主人公の青年(ゴードン)は、友とするねずみ(ハツカネズミ)と同じ境遇にある。このねずみ(ハツカネズミ)は、知的水準が通常のねずみを下回っている。そして、青年(ゴードン)が、このねずみと同じ境遇にあるということはつまり青年の知的水準もまた通常の人間のそれを下回っている、ということである。ゴードンは、知能指数が70未満の知的障害者である。そのことが彼(ゴードン)のそれまでの半生をかたちづくっていた、といっても過言ではなかった。そしてそれは必ずしも彼にとって肯定的ではないように見えるのだった。(誰の目にも。)しかし、そんな彼の人生に転機がおとずれることとなる。それは、この世界(科学技術が殊更に進歩した未来社会)の〈科学技術〉が可能にするものであった。そしてその「科学技術」とは、特に医科学のことを指していた。それは、医療科学技術による「手術(外科手術)」だった。一種のロボトミー手術。脳外科手術であり、ということは危険な開頭手術であった。その効用効果は、〈知能〉の大幅な増大である。まず、その臨床試験に成功したねずみ(ゴードンの友人の)に手術がおこなわれた。手術は成功し、ねずみ(ゴードンの友人)は、飛躍的に知能を増大させることに成功する。次はゴードンの番だった。彼は、手術を受け、同様に成功する。こうして莫大な知力を得たゴードンは、その人生を変える。彼は、一流大学に進学し、交友関係が変わる。大学でのゴードンは、数学上の高度な計算式(n体問題等の)を暗算で解き、同学の士たちを驚かせるのだった。彼(ゴードン)を取り巻く対人関係(人間関係)は、めまぐるしく変わっていく。友人、知人、師、上司、同僚、部下、といったそれまでの彼の交友関係、上下関係は、めまぐるしく変転する。友人、知己その他の機微。それまで彼の敵であった者は味方となり、味方であった者は敵となった。そうした中にも徹頭徹尾変わらない態度でゴードンに接する人物もあったが。だが、変わったのは、彼の知能指数と彼を取り巻く人間関係だけではなかった。彼自身にもまた〈変化〉がおとずれていたのである。その〈変化〉こそが彼を取り巻く環境に対しても変化をもたらしていたのである。それは、莫大な知性の増大に対して人格の成長が追いついていかないことによる、人格の変更であった。かれは、以前のような素朴な人物ではない、冷淡で計算高い人間になっていたのである。同じ頃、友人のハツカネズミが狂暴化して死亡する、という事件が起こる。このことは、この手術の限界を物語っていた。そして、ゴードンもまた、友としていたハツカネズミと同じように手術の副作用によって知性がもともとのそれより低弱化するという現象に見舞われるのだった。仮にこの手術が副作用による知性の低弱化をともなわなかったとしても、事態は変わらなかっただろう。この小説は、行き過ぎた科学気術は、社会に不安をもたらす、ということを述べた、警告の小説ともいえるのである。