相談室ノート#010 相模原障害者施設殺傷事件の検証について
2016年7月26日(火)午前2時頃,相模原市にある社会福祉法人かながわ共同会が運営する「津久井やまゆり園」(入所者157名)の元職員の容疑者植松聖(うえまつ さとし)26歳が刃物を持って侵入し,入所者19名の命を奪い,26名に重軽傷を負わせ,犯行後,津久井警察署に出頭するという,事件の5ヵ月半前の2月15日(月)に渡した衆議院議長宛ての手紙に書かれてあった殺人予告どおりのやり方で多くの障害者を殺傷しました。この事件は,戦後最大最悪の大量殺人事件として,日本国内はもとより世界中を震撼させました。
本事件が発生してから約4ヵ月で3年になります。被害の大きさと膨大な証拠量から公判前整理手続きが長期化し,第1回精神鑑定でも第2回精神鑑定でも自己愛性を中心とした「パーソナリティ障害」と診断され(共同通信ニュース,2018),未だに初公判の予定が公表されていませんでしたが,本日(3月19日),横浜地裁の裁判員裁判の初公判が来年1月に開始する方向で関係者が調整していると報じられました(デジタル毎日,2019)。
事件後,国と神奈川県はそれぞれ調査委員会(相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム:以下,国検証・検討チームと呼称;津久井やまゆり園事件検証委員会:以下,神奈川県検証委員会と呼称)を立ち上げ,それぞれの報告書が2016年12月8日(「報告書(再発防止策の提言)」)と11月25日(「津久井やまゆり園事件検証報告書」)に公表されました。
本件の検証に際して,両調査委員会の基本的視点は,以下のようになります。
国検証・検討チーム(2016,p.3)
本チームは事件の再発防止策の検討に当たって,次の3つの視点を重視した。 ①共生社会の推進 : 差別意識のない社会と障害者の地域での共生。 ②退院後の医療等の継続的な支援を通じた地域における孤立の防止: 容疑者が措置入院の解除後,通院を中断したことを踏まえた退院後の医療等の支援の強化。 ③社会福祉施設等における職場環境の整備:容疑者が施設の元職員であったことを踏まえた対応。
これらの視点は,個々の具体的な再発防止策を貫く基本的な考えである。
神奈川県検証委員会(2016, p.1) 被疑者の行為自体がなんらかの対応をしていれば防げたものであるかどうかについて,確定的な判断をもって本委員会として対応策を検討し,報告するものではない。また,誰かがこれをしていれば防げたのではないかというような関係者の責任を追求することを目的とするものではなく,起こった事実から多くを学び取り,今後の再発防止に活かすことを目的として事件の検証を行った。
神奈川県検証委員会の報告書が公表されたときに表1に示した簡単なコメントを書きましたが,両報告書は,原因究明と責任追及を同義に捉え,責任追及ではなく起こった事実から再発防止策の提案を目的として事件の検証を行うことに重きを置きすぎるきらいがありました。そのため共生社会の実現を除けば,措置入院以降の制度的不備や継続的支援計画等の策定,ならびに施設の安全管理体制づくりを骨子とした,重要な局面での意思決定のあるべき姿を無視し,起きてしまった事実をなぞっただけの組織防衛的検証ないしは対症療法的防止策となっています。
また,両報告書には,大量殺人予告文を書いた人間が目の前にいたにもかかわらず,このようないたましい事件を起こさせてしまったという事件の特殊性,ならびにリスクマネジメントの大原則である「最悪の事態を想定し最善の策を講ずる」といった視点が欠如しています。大量殺人予告文書が存在していたにもかかわらず,このようないたましい事件が起きてしまった以上,二度とこのような事件を起こさせないようにするためにも,水際での対策を中心とした再検討が必要と考えられます。
表1.筆者のコメント
Ⅰ. 障害者抹殺犯行予告文と警察の対応
1 . 障害者抹殺犯行予告文について
衆議院議長宛ての手紙は,表2に示すように,「私は障害者総勢470名を抹殺することができます。」からはじまり,障害者を抹殺することが日本国と世界平和のためであるといった狂信的・独断的思想がつづられ,「私は大量殺人をしたいという狂気に満ちた発想で今回の作戦を,提案を上げる訳ではありません。全人類が心の隅に隠した想いを声に出し,実行する決意を持って行動しました。」と書かれています。そして「作戦内容」として,「職員の少ない夜勤に決行致します。」「重複障害者が多く在籍している2つの園(津久井やまゆり, )を標的とします。」「見守り職員は結束バンドで身動き,外部との連絡をとれなくします。職員は絶対に傷つけず,速やかに作戦を実行します。2つの園260名を抹殺した後は自首します。」「ご決断頂ければ,いつでも作戦を実行致します。」と書かれています。
表2.被疑者が書いた衆議院議長宛ての手紙の内容
2. 国・県の報告書は警察署の対応を支持
国検証・検討チーム報告書(2016)では,警視庁麹町署から情報提供を受けた神奈川県警津久井署の対応を次のように述べています。
警察においては,容疑者が衆議院議長公邸に持参した手紙に係る情報を得た後,容疑者の言動等を踏まえ,警察官職務執行法(昭和23 年法律第136 号)第3条に基づき容疑者を保護した。そして,精神保健福祉法第23条に基づき相模原市への通報を行った。・・・(中略)・・・なお,容疑者については,その手紙の内容等から,刑罰法令を適用して検挙することは困難であり,また,これらの一連の対応は法令に沿ったものであった。(p.15)
神奈川県検証委員会報告書(2016)では,津久井警察署の対応を次のように述べています。
本事件の検証において最も重大なテーマとなったのは,容疑者が犯行の約5か月前に,「ご決断いただければ園で殺害行為を行う」などと記した手紙を衆議院議長公邸に届けていたという点である。この手紙はその名宛人が衆議院議長となっているため「脅迫」とも異なり,また記載内容が多岐にわたっていて,いわゆる「犯行予告」とも言い難い側面があるという困難さがあった中でも,津久井警察署は,速やかに手紙の存在と容疑者の危険性を共同会に知らせ,夜間職員体制の強化などの助言を行った。また共同会も,津久井警察署からの情報を受けて容疑者との面談を実施し,措置入院の退院後には,職員や利用者に動揺・不安感を与えないことに配慮しながら,防犯カメラの設置や職員に対する注意喚起を行うなど,各時点で考えられる一定の対応を,迅速に講じていた。(p.24)
津久井警察署は「手紙の送り先が衆議院議長であることなどから脅迫等に当たるとは断じにくいことなどを踏まえ,立件できるような内容ではないと判断した。」(神奈川県検証委員会報告書,p.9)と言います。国検証・検討チームも神奈川県検証委員会も津久井警察署の判断をなぞっただけで,この手紙はその名宛人が衆議院議長となっているため「脅迫」とも異なり,また記載内容が多岐にわたっていて, いわゆる「犯行予告」とも言い難いなど,刑罰法令を適用して検挙することは困難であると,申し合わせたように津久井警察署の判断を支持しています。
手紙のどこを引用(重視)して判断するかということも重要と考えられます。神奈川県検証委員会は,「職員の少ない夜勤に決行致します。」とか,「重複障害者が多く在籍している2つの園(津久井やまゆり, )を標的とします。」とか,「見守り職員は結束バンドで身動き,外部との連絡をとれなくします。職員は絶対に傷つけず,速やかに作戦を実行します。2つの園260名を抹殺した後は自首します。」と言った容疑者の強い意志を感じさせる犯行予告を明示した箇所をまったく引用せず,他力本願ともとれる「『ご決断いただければ園で殺害行為を行う』などと記した手紙」と描写するなど,犯行予告とは言い難い箇所をわざわざ引用し,犯行予告とは言い難いと判断しています。
そして不思議なことに,殺人犯行予告に一番適用される「威力業務妨害」(後述の1−3を参照のこと)の罪状はもちろんのこと,任意の事情聴取といった文言さえ,警察署,国検証・検討チーム,ならびに神奈川県検証委員会のいずれからもまったく出てこないと言うことです。果たして本当に犯行予告と言い難い書簡なのでしょうか。
3. 本文の68%が犯行計画
表1に見られるように,手紙の本文中,犯行計画に関する記述が,1枚目は25行のうち謝辞を除く24行,「植松聖の実態」と冠した2枚目は29行のうち,いままでの人生設計と今後の政策の要望としての医療大麻の導入等を除く7行,そして「作戦内容」とした3枚目は17行中17行に及んでいます。
手紙の実に68%(48/71)が犯行計画にからんでおり,自身のことを書いた2枚目22行を除くと,ほとんど全部(97.6%)が犯行動機,犯行目的,犯行規模,犯行の協力要請,犯行後の要望からなる犯行計画としてまとめられた殺人予告になります。特に「作戦内容」と冠した3枚目に至っては日時の指定がないだけで(犯行先を指定しているので,日時を指定したら目的達成はできなくなる),「職員の少ない夜勤に決行致します。」から始まり,津久井やまゆり園を名指しし,「見守り職員は結束バンドで身動き,外部との連絡をとれなくします。職員は絶対に傷つけず,速やかに作戦を実行します。2つの園260名を抹殺した後は自首します。」と犯行予告が具体的に書かれています。
よって,記載内容が多岐にわたり,犯行予告とも言い難いという委員会の判断は妥当性に乏しく,記載内容は,犯行動機,犯行目的,犯行規模,犯行の協力要請,犯行後の要望,犯行予告と多岐にわたり,明確な犯行計画のもとでの犯行予告であると捉えるのがリスクマネジメント上,妥当と考えられます。
また,2枚目,3枚目末尾では「ご決断頂ければ,いつでも作戦を実行致します。」と書かれていることから,国家からの決断がなければ勝手に実行しないのではといった可能性もないわけではありませんが,協力がなければ実行しないというようなことをほのめかす記述は一切なく,むしろこれは1枚目の「(障害者抹殺計画は)私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。お力添え頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い致します。」を受けてのもので,3枚目の作戦内容で冒頭から強い文体で具体的に犯行を予告しているように,危機管理上,単独でも決行することを表明したものと捉えなければならない書簡と考えられます。
それにもかかわらず,国検証・検討チームも神奈川県検証委員会も,犯行予告と言い難いと津久井警察署の対応を支持していることは,あまりにもリスクマネジメントの「最悪の事態を想定し,最善の策を講ずる」といった大原則を無視した捉え方で,本当に衆議院議長宛てに書かれた容疑者植松聖の「手紙」をきちんと読んだ上での所見なのかという疑問さえ生じさせます。両報告とも手紙を分析・検討したような記述はありません。両調査委員会が設定した目的は,検証とは言っても,起こった事実から再発防止策を提案するというものであるので,手紙の内容の分析・検討は,はなから放棄・回避していたのかもしれません。
4.「秋葉原通り魔事件」以降,漠然とした殺人予告さえも業務妨害罪で逮捕
神奈川県検証委員会報告書(2016)によると,2月15日,警視庁麹町署から情報提供を受けた神奈川県警津久井警察署が容疑者植松聖を逮捕せず,措置入院手続きに入るまでの概要は以下のようになります。
2月15日,警視庁麹町警察署から手紙のコピーを受け取った神奈川県警津久井警察署はその手紙を,送り先が衆議院議長であるので脅迫等に当たるとは断じにくく立件できるような内容ではないと判断し,やまゆり園に口頭で容疑者植松聖が「夜間帯に入所者に危害を加える」といった手紙を国会議員に渡した旨を説明し,当該職員を一人にしないこと,本件は本人には言わないこと,警察として巡回等を強化する旨の話をしました(2月15日〜19日:巡回回数を増やし駐留警戒も行った)。17日には容疑者の危険性や警備の強化について説明し,容疑者の動向をよく注意すること,緊急時は110番通報することを指示しました。それを受けてやまゆり園は夜勤者の増員や夜間警備員の巡回回数を増やすとともに,津久井警察署に園周辺の夜間の警備強化を要請しました。
2月19日12時頃,園長と法人役員が容疑者植松聖と面接を行い(津久井警察署員3名が隣室で待機),衆議院議長への手紙の内容,日頃の人権侵害発言(例:「生きていても仕方がない。安楽死させた方がいい。」),ならびに障害者支援施設職員の仕事を続けることについての考えを聞きました。それに対して容疑者は,「自分の考えは間違っていない。仕事を続けることはできないと自分も思う。」と述べ,「今日で退職する。」と申し出てその場で辞職願を提出しました。本人が警察官に対して「日本国の指示があれば大量抹殺できる」などの発言を繰り返していたこと等を踏まえ,津久井警察署員が警察官職務執行法第3条にもとづき同容疑者を津久井警察署に同行し, 同日14時30分頃,精神保健福祉法第23条に基づき相模原市に警察官通報し,措置入院手続きに入ることになりました。(pp.7-10)
津久井警察署は,衆議院議長宛ての手紙であるので脅迫等に当たるとは断じにくく立件できるような内容ではないと判断し, 国検証・検討チームも神奈川県検証委員会もその判断を支持しています。いずれもこの手紙を信書として扱いそのような判断をしていますが,衆議院議長は公人であり,その三権の長がその信書を犯行予告と判断したからこそ,即刻,警視庁に通報したものと考えられます。その内容がわが国の公共の福祉を真っ向から完全否定する障害者抹殺予告であっても,国家・国民を預かる三権の長に対する「脅迫罪等」にあたらないとするならば,国検証・検討チームも神奈川県検証委員会も法改正を再発防止策の最優先課題に位置づけるべきなのに一切触れていません。残念ながら,まるで他人事のようです。ちなみに新潟県警は2016年6月15日に「新潟駅に火を放ちます!人も殺っちゃいます!」の殺害予告をした男性を脅迫罪で逮捕しています。
他方,携帯サイトの掲示板で殺害予告が行われていた2008年6月8日の「秋葉原通り魔事件」以降,犯行予告に対してはいたずらも含めて厳罰に処されるようになりました。警察庁(2016)は,秋葉原事件以降にネット上で犯行予告を行った検挙事例件数を公表しました。8日から28日までのわずか3週間で,小中学生を含む30人が逮捕・補導されました。30人の犯行予告者(殺害予告27件;爆破予告3件)を特定し,威力業務妨害罪・偽計業務妨害(21件),軽犯罪法違反(6件),脅迫罪(3件)で検挙したのと,本件の対応とはあまりにも対照的です。たとえば,6月15日「(テーマパーク)で客刺し殺してくる。」の殺害予告の書き込みで,千葉県警はアルバイト19歳男性を6月23日には業務妨害で逮捕しています。6月22日「今から大量の子供を殺す。」といったかなり漠然とした殺害予告さえも,愛媛県警は大学生19歳男性を6月25日には業務妨害で逮捕しています。
本件の場合,やまゆり園の入所者を狙った殺人予告であり,日時の指定がない分,業務妨害が長期になることが想定されますので(結果的には犯行直前までの約5ヵ月半),起訴できるか否かにかかわらず,まずは任意での事情聴取,ないしは威力業務妨害容疑で逮捕すべきであったと考えられます。
この任意での事情聴取や逮捕には伏線もあります。それをすることによって,障害者抹殺計画ならびに犯行への協力要請を国家が容認する余地などまったくなく,その実行は万死に値する罪であるということを容疑者植松聖に知らしめることができれば,犯罪を未然に防ぐことにもなります。意思決定者が誰なのかは知る由もありませんが,残念なことに警察機構は最初からこれを放棄してしまったとも考えられます。
5. 障害者抹殺犯行予告文を書いた容疑者と向かい合わなかった警察署
神奈川県検証委員会報告書(2016)では,容疑者植松聖の件について警察署とやまゆり園とのやりとりを次のように記述しています。
2月15日,警視庁から手紙のコピーを受領した津久井警察署はやまゆり園に電話をし,容疑者の数日間の勤務シフトの回答と最近の様子については不明との回答を得た。
2月16日,麹町警察署から法人事務局に電話があり,「植松という者が衆議院議長公邸へ手紙を持参した。その後帰ったので罪を犯したということではない。身分確認したい。なお,確認したことで本人に不利益にならないようにしてほしい。」と話があった。
また,同日午前中に津久井警察署の幹部2名がやまゆり園に行き,対応した総務部長に「植松がある議員のところに行って,施設を名指しして夜間帯に入所者に危害を加えるといった内容が書かれている手紙を渡した」旨を説明し,当該職員を一人にしないでほしいこと,本件は本人には言わないこと,警察として巡回や駐留警戒等を強化する旨の話をした。それに対して,総務部長は津久井警察署員に,「夜勤もあるので一人にさせないことは難しいが,対応は検討する。」と回答し,容疑者が近日中に夜勤がないことを確認した。
2月19日12時頃,園長,常務理事,法人事務局長が容疑者と面接を行い,津久井警察署員(3名)は隣室で待機していた。面接では,衆議院議長への手紙の内容,日頃の人権侵害発言(例:「生きていても仕方がない。安楽死させた方がいい。」),ならびに障害者支援施設職員の仕事を続けることについての考えを聞いた。それに対して容疑者は,「自分の考えは間違っていない。仕事を続けることはできないと自分も思う。」と述べ,「今日で退職する。」と申し出た。その後,津久井警察署員は,容疑者植松聖が警察官に対して「日本国の指示があれば大量抹殺できる」などの発言を繰り返していたこと等を踏まえ,警察官職務執行法第3条にもとづき容疑者を津久井警察署に同行し,同日14時30分頃,精神保健福祉法第23条に基づき相模原市に警察官通報をした。(pp.8-10)
容疑者植松聖が衆議院議長宛ての手紙を渡した2月15日から措置入院に向けての警察官通報のために警察署に同行していくまでの非常に大事な5日間,警察は容疑者植松聖と直接向き合おうとせず,事情聴取さえもせずに,やまゆり園の役職員を介しての黒子的な対応しかとりませんでした。しかも,障害者大量殺人犯行予告文を書いた人物の職場で,犯行予告先でもあるやまゆり園への照会に際して,植松聖が衆議院議長公邸へ手紙を持参したがその後帰ったので罪を犯したということではないとか,施設に確認したことで本人に不利益にならないようにしてほしいというように,犯行予告者の人権保護には念の入れようです。
先の「秋葉原通り魔事件」以降,約3週間のうちに発生した30件の犯行予告は,ネットに書き込みされてから検挙されるまでの所要日数はわずか平均6日間で,前述のように「今から大量の子供を殺す。」といったかなり漠然とした殺人予告さえもわずか4日間で業務妨害罪で逮捕されています。治安を守るということはこういうことであり,日本の警察の優秀さを感じざるを得ません。
しかし,本件については,津久井警察署が狂信的思想に基づいた大量殺人計画の犯行予告者の顔も身元もわかっていても,任意の事情聴取もせず,検挙に踏み切ることもしませんでした。さらに治安上の問題をやまゆり園に押しつけ,同園での面談において「自分の考えは間違っていない。」と退職を選択したことによって犯行可能性が一段と高まっているにもかかわらず,津久井警察署にはそのような認識はなく,刑罰法令を適用して検挙することは困難として,警察・司法の対象であるはずの治安上の問題を,今度は精神医療の対象にしてしまうやり方を選択したことにも大きな落とし穴があったと考えられます。
大きな落とし穴にはまってしまったのには,次のようなことが関係していると考えられます。
第一に,本件は容疑者本人が顔も名前もあらわにしているということに由来する誤った解釈です。その誤った解釈によって(精神障害に帰属させる),殺人予告の信憑性が否定・矮小化されてしまうことです(例:顔も名前も出しておいてそんなことするわけないだろう。どうせ妄想だろう)。
第二に,今日の日本で障害者を抹殺するような事件が起きるはずがないとか,障害者施設職員が自分の勤務する施設の利用者を抹殺するようなことなど起こるはずがないといった先入観もあります。
第三に,これも決してあってはならないことですが,本件の殺人予告が「○○小学校の生徒260名を抹殺した後は自首します。」とあっても,警察署は,本件同様に犯行予告者に任意の事情聴取も逮捕もせず,治安上の問題を小学校と精神医療に押しつけただろうか。これを真正直に答えてくれるとは思いませんが,それこそ殺害予告対象の相違による軽視が多少ともあって,それによって意思決定がなされたとしたら,水際で防げる犯罪も防げなくなると考えられます。
2月19日,植松聖容疑者はツイッターに「会社は自主退職,このまま逮捕されるかも・・・」と書いていました(ニュース速報Japan, 2016)。しかしながら,そこでも逮捕されませんでした。これは植松聖容疑者にとって大きな意味をもつ可能性さえあります。植松聖容疑者は手紙の2枚目の中で,「私は大量殺人をしたいという狂気に満ちた発想で今回の作戦を,提案を上げる訳ではありません。全人類が心の隅に隠した想いを声に出し,実行する決意を持って行動しました。」と書いています。換言すれば,容疑者植松聖にとっては警察も知っているのに,事情聴取も逮捕もされないのは,本音(「全人類が心の隅に隠した想い」)では障害者抹殺計画の予告さえも国家的に暗黙の同意が得られたという可能性さえ否定できない心的効果があったとも考えられます。ましてや初めて警察署に連行されたと思いきや,緊急措置入院から措置入院を経てわずか13日間で解放されたのですから,その思いは一層強まった可能性さえ否定できません。
6. 警察署の自己矛盾
警察官の通報義務として,精神保健福祉法第23条には「異常な挙動その他周囲の事情から判断して,精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認められる者を発見したときは,直ちに,・・・(中略)・・・通報しなければならない。」とあります。この通報がなされたのは,被疑者が園長らと面談で「園内での発言は自分が思っている事実であり,約1週間前に手紙を出した。自分の考えは間違っていない。仕事を続けることはできないと自分も思う。」と述べ,「今日で退職する。」と申し出た後に,隣室に待機していた警察官に対して容疑者が「日本国の指示があれば大量抹殺できる」などの発言を繰り返していたことがあげられています。しかし,これは約1週間前に渡した手紙と同じ内容であるだけではなく,先の面談でもかなり淡々とした態度であることが伺い知ることができます。それにもかかわらず,津久井警察署,国検証・検討チームと神奈川県検証委員会によっても犯行予告と言い難いとされた「日本国の指示があれば大量抹殺できる」といった趣旨の発言を,他害のおそれの根拠にしていることは,津久井警察署の自己矛盾,ないしはご都合主義としかいいようがありません。
Ⅱ. 警察署が治安上の問題を精神科医療へ
1.緊急措置入院から措置入院解除まで
神奈川県検証委員会報告書(2016)によれば,緊急措置入院から措置入院解除までの経緯は以下のようになります。
2月19日20時30分頃,北里大学東病院の指定医1名(相模原市が指定)による緊急措置診察が実施される。指定医は手紙を閲覧し,診療録等に「障害者を抹殺し,その障害者に使っているお金を世界の貧困の人たちにまわして欲しい。日本国の指示があれば自分が抹殺を行うことはできる」等の手紙の内容を記載。当該指定医は,手紙の内容も踏まえ,主たる精神障害を「躁病」と診断。緊急措置入院に関する診断書において,これまでに認められた問題行動として,脅迫を指摘し,今後おそれのある重大な問題行動として,殺人,傷害,暴行,脅迫を指摘した。診察時の精神症状としては,思考奔逸,高揚気分,易怒性・被刺激性亢進,衝動性,興奮を認め,暴言があり,躁状態にあると評価。診察時の特記事項として,『世界の平和と貧困』,『日本国の指示』,『抹殺』などと言った思考が奔逸しており,また,「衆議院議長公邸に手紙を渡しに行くといった衝動行為,興奮,また気分も高揚し,被刺激性も亢進しており,それら精神症状の影響により,他害に至るおそれが著しく高いと判断されるため,措置入院を必要とした」と記載している。
同日21時30分頃 当該指定医の診断に基づき,相模原市が緊急措置入院を決定し,津久井警察署からやまゆり園に,容疑者を相模原市に引き継ぎ,相模原市が北里大学東病院へ移送し,緊急措置入院となった旨連絡があった。
2月22日,15時20分頃 この2名の指定医の診断に基づき,相模原市が措置入院を決定した。緊急措置入院後,尿検査の結果,大麻成分が陽性であった。この結果について,神奈川県と警察への情報提供は行われていない。
3月2日(水),北里大学東病院の管理者が,指定医1名(東病院の職員)の判断を記載した「措置入院者の症状消退届」を相模原市に提出した。措置症状が消退したと判断した指定医は,主たる精神障害を「大麻使用による精神および行動の障害」と診断した。「措置入院者の症状消退届」には,「入院時尿より大麻が検出され,『国から許可を得て障害者を包丁で刺し殺さなければならない』との妄想が認められた。妄想が他者に受け入れられないと興奮し暴力的になった。経過観察するなかでしだいに妄想と易怒性,興奮性が消失し,『あの時はおかしかった。大麻吸引が原因だったのではないか』と内省でき,他害のおそれはなくなった。また尿中大麻も検出されなくなった」と記載。「退院後の帰住先」については「家族と同居」とされ,八王子市の両親の住所が記載。その「措置入院者の症状消退届」を踏まえ,相模原市が入院措置の解除を決定。(pp.10-13)
2.犯罪予告は司法・警察の対象:精神医療の対象か否かは逮捕・起訴後の問題
日本精神神経学会法委員会は,2016年8月29日,本事件が措置入院制度の不備によるものではなく,精神医療が保安の道具として使われることや退院後の強制通院制度の導入に反対する表明を出しました。
犯罪予告は司法・警察の対象であって,精神医療の対象であるか否かは逮捕・起訴後の問題です。精神保健指定医は措置入院不適当として身柄を警察に引き渡すべきであったし,警察こそ当初から逮捕すべき事案であったと考えられます。しかし残念なことに,警察は,逮捕どころか任意同行もせず,やまゆり園の陰に隠れて犯行を警戒し,容疑者がやまゆり園を退職すると他害の恐れがあるとして措置入院の要請をしました。それを受けて,相模原市から緊急措置診察を依頼された北里大学東病院の指定医は緊急措置入院ならびに措置入院が必要と判断しておきながら,わずか13日間のうちに主たる診断名も「躁病」から「大麻使用による精神および行動の障害」へと変わり,しかも他害の恐れもなくなったとして,「措置入院者の症状消退届」を提出したため退院になったわけです。
日本精神神経学会法委員会(2016)は,精神保健福祉法は措置入院制度も含め,犯罪予防のためにあるのではないことを明確にしなければならないとして,法は第一条の目的に明示されているように,患者の医療及び保護,社会復帰を目的とし,さらには社会経済活動への参加を目指していると,警鐘をならしています。そして凄惨な本件について,以下のように述べています。
容疑者が「障害者は不幸を作ることしかできない」ので 「日本国や世界の為」(衆議院議長あての書簡)との意図で犯行に及んだ可能性が大きいことである。今回の極端な優生思想に基づくいかに歪んだ思想であっても,精神症状としての妄想でなく,思想であるならば,精神医学・医療の営みとしての治療の対象ではありえない。ましてや,これを封じ込めるための手段として措置入院等の精神医療の枠組みが利用されることも許されない。このような思想に対しては,障害者への差別は許されないという実践によって社会全体としてたち向かわなければならないものである。他方,「容疑者が今回の事件を引き起こした背景に,偏った思想的動機にとどまらない何らかの精神症状が関与していた可能性があり,事実関係の十分な解明が必要である。」 とも述べています。
3.総花的レッテル貼り診断所見1:緊急措置入院時
本件の緊急措置診察での指定医の診断行為の特徴は,容疑者の社会生活の様子を知っている人からの情報もなく,強制的に連行されてきた診察室といった特異な場面,しかも一時間も満たないなかで,犯行計画の書簡と診察室での植松聖の言動をことごとく精神症状や行動症状にマッチングさせ,診断名にあて嵌めてしまったことです。犯行動機,犯行目的,犯行規模,犯行の協力要請,犯行後の要望からなる犯行計画としてまとめられた殺人予告さえも,思考奔逸(躁病に特徴的)や妄想によるものと捉えてしまったことです。総花的レッテル貼り診断という用語はありませんが,見る側にとって不適切と思われる言動をことごとく症状と捉え,それらを診断名にあて嵌める「レッテル貼り行為」と定義することにしましょう。この総花的レッテル貼り診断法に従えば,優生思想をはじめ極端に歪んだ思想に基づいた殺害予告やテロ行為の予告行為をした者すべてが精神医療の対象になってしまいかねません。
他方,容疑者植松聖の職場での様子は神奈川県検証委員会報告書(2016)によれば以下のようになります。
平成24年12月から日中の支援補助として被疑者を非常勤雇用し,平成25年4月から,常勤職員になったが,5月頃から,被疑者は,食後のテーブルの拭き方が雑であるなど,支援技術の未熟な部分や終業時間前に退勤してしまうといった服務上のだらしなさを上席者から指導される場面が見られるようになった。被疑者は,主任や課長が指導をしても,謝罪する,改めるという誠意のある態度はなく,支援部長や園長からも指導されることがあった。また,この頃,利用者の手首に被疑者が「腕時計」の絵を描いたことがわかり,厳重注意されたことがあった。園は被疑者について,未熟な部分を指導しながら育てていかなければいけない職員との認識であった。(神奈川県検証委員会, p.5)
平成27年2月6日と17日,園長,総務部長,支援部長,地域支援部長,生活2課長は被疑者との面接を実施した。面接では刺青を確認し,反社会的勢力との関係性や被疑者の考えを確認するとともに,業務中には一切刺青を見えないように自身で工夫すること,刺青のことを報告した同僚を逆恨みしないように伝えた。被疑者はそれを了解し,今後も仕事を続けたいと話した。(p.6)
2月18日,園が職員から被疑者の言動について情報を収集したところ,「これまでは時々不適切な発言はあったが,気にならない程度だった。」「2月に入って特に12日頃よりひどくなっている様子が伺えた。」「18日の勤務中が特にひどく見受けられた。」,2月12日,夕食介助中に食堂にいた職員に「障がいを持っている人に優しく接することに意味があるのか」.2月18日,利用者に医療的なチェックをしている看護師に「本当にこの処置はいるのか。自分たちが手を貸さなければ生きられない状態で本当に幸せなのか。」,看護師に利用者を見ながら「生きていることが無駄だと思わないか。急変時に延命措置することは不幸だと思わないか。」と質問。「障がい者は生きていても意味がない」,「税金の無駄」,「安楽死させた方がいい」等の言動が目立つとのことであった。(p.8)
また,2月19日の園長らとの日頃の発言や手紙等についての面接でも,被疑者は,「園内での発言は自分が思っている事実であり,約1週間前に手紙を出した。自分の考えは間違っていない。仕事を続けることはできないと自分も思う。」と述べ,突然「今日で退職する。」と申し出ることになった。(pp. 9-10)
容疑者植松聖は,上司から支援技術の未熟さや退勤時間の問題で注意されることが少なくなかったわけですが,周囲から精神障害を疑わせるような言動の陳述・報告はまったくありませんでした。それにもかかわらず,「診察時の精神症状としては,思考奔逸,高揚気分,易怒性・被刺激性亢進,衝動性,興奮を認め,暴言があり,躁状態にある」というように,不本意な診察場面に限定されるような反応さえも精神障害を特徴づけるさまざまな症状に誤解釈されています。また,衆議院議長公邸に手紙を渡しに行くといった行為さえも「衝動行為」(興奮,気分高揚,被刺激性の亢進なども)と捉え,「それらの精神症状の影響により,他害に至るおそれが著しく高いと判断されるため,措置入院を必要とした。」となってしまいました。これもまた総花的レッテル貼り診断法と考えられることから,主たる精神障害を躁病としたことにも相当の無理があると言わざるを得ません。
4.総花的レッテル貼り診断所見2:措置入院者の症状消退届時
また,緊急措置入院決定の3日後に,入院時の尿から大麻が検出されると,主たる精神障害が「大麻使用による精神および行動の障害」と変更され,「措置入院者の症状消退届」には,「入院時尿より大麻が検出され,『国から許可を得て障害者を包丁で刺し殺さなければならない』との妄想が認められた。」と書かれ,前述の総花的レッテル貼り診断法とともに,最長に見積もってもわずか13日間の間に思考奔逸や妄想さえも消失し,他害のおそれはなくなったということの信憑性とそれを断定できるところに,北里大学東病院の指定医二人の診断法に不適切さを感じざるを得ません。
「措置入院者の症状消退届」の時には尿中大麻も検出されなくなっていましたが,そもそも「大麻使用による精神および行動の障害」は大麻関連障害群を指す包括的カテゴリーであって,診断名とは言い難いものです。「精神障害の診断と統計マニュアル」第5版(DSM-Ⅴ)では,大麻依存・乱用等の大麻使用障害(寛解早期・持続の特定;重症度の特定)から大麻中毒や大麻離脱をはじめとする大麻関連障害まであります。DSM-ⅢでもDSM-IVでも大量の大麻の使用後には被害妄想が起きることがあるが,これは明らかにまれで1日以内,ないしは2-3日以内には消失すると言われています。その程度の大麻使用障害で,「入院時尿より大麻が検出され,『国から許可を得て障害者を包丁で刺し殺さなければならない』との妄想が認められた。」とか,大量殺人計画の犯行予告,ならびに衆議院議長公邸での手渡しに至る一連の行為を説明しようとすること自体に,総花的レッテル貼り診断法の欺瞞を考えざるを得ません。
そして「妄想が他者に受け入れられないと興奮し暴力的になった。経過観察するなかでしだいに妄想と易怒性,興奮性が消失し,『あの時はおかしかった。大麻吸引が原因だったのではないか』と内省でき,他害のおそれはなくなった。また尿中大麻も検出されなくなった」と記載していますが,指定医の大麻関係の面接聴取で容疑者植松聖が話を合わしさえすれば(作り話,だます),何の裏付けの根拠もなく,内省ができたことになり,退院のはこびとなるわけです。さらに重大なこととして,こんな短期間で消失するほどのもので,大量殺人計画の犯行予告ならびに衆議院議長公邸での手渡しに至る一連の行為が説明できると考えること自体に,とんでもなく大きな落とし穴があったと考えられます。
国検証・検討チーム報告書(2016)は,厚労省が2016年10月26日に発表した指定医資格の不正申請に関わる指定医取消処分を受けた中に当該指定医の一人(不正なケースレポート)が含まれていたが,「当該指定医は,自ら診療録に何も記載しなかった事実を認め,既に指定医の辞退届を提出し,指定医の資格を喪失している。」(p.16)と述べ,それ以上の事実関係の検討もなく一般的な対応策を提案しています。しかしながら,決定的なのは,残りの指定医が一人体制で診療記録を書けるという,チェック機能をないがしろにする状況にあったことを看過してはいけません。
Ⅲ.野に放たれた大量殺人予告者
1.措置解除以降,犯行直前までの動向
神奈川県検証委員会報告書(2016)によれば,措置解除以降,犯行直前までの容疑者植松聖の様子,北里大学東病院指定医,津久井警察署,ならびにやまゆり園等の対応は,以下のようになります。
【通院:北里大学東病院】
3月2日(水),「措置入院者の症状消退届」を踏まえ,相模原市が入院措置の解除を決定し,主治医と通院日を決めるが,外来受診したのは2回だけであった。1回目は3月24日(木)で,診断書を受領(病名①抑うつ状態,②躁うつ病の疑い)。不眠,気分の落ち込みなどの抑うつ症状を訴え,主治医から通院の動機を高める面接や抗うつ薬等の処方を受ける。 2回目は3月31日(水)で,就労可否等証明書(週20時間以上の就労は可能)を受領。主治医と相談し,5月24日(火)の外来予約を取得。なお,同主治医が同日退職となり,同主治医とともに入院時に診察を行っていた受持医が外来主治医となることを容疑者に伝え,次回外来予約を取ったが,それが最後の受診となった。(神奈川県検証委員会報告書,2016,pp.10-13を要約)
【やまゆり園と津久井警察署】
入院措置の解除が決定された3月2日(水),のぞみホーム職員からやまゆり園の近くで容疑者の車を見たとの報告がある。翌日,容疑者から生活2課長に退院の報告,これまでのお礼,退職手続きの進捗状況等について電話があったため,その翌日に総務部長が津久井警察署に容疑者植松聖の退院と昨日電話があったことを伝えたところ「特定通報者登録」をするようにと助言があり,また3月5日(土)に県警の指示で津久井警察署から総務部長に再度「特定通報者登録」と防犯カメラの設置についての助言があった。同日,総務部長は「特定通報者登録」への登録手続きを行い,総務課にある固定電話と携帯電話(夜間,固定電話は警備員室に転送され,携帯電話は警備員が所持)の番号を登録した。その際に総務部長は,津久井警察署の助言を受けながら「今回,当園で勤めていた植松聖が,障害者の方の大量殺人を行うという個人的思想を持っていることが分かり,すでに退職はしているものの,そのようなことを実行しに当園に来るのではないかという不安が消えません。もし植松が当園に来るようなことがあったら恐いので,有事の際に早急に対応してもらいたいので,110番登録をよろしくお願いします。」との上申書を作成・提出した。併せて,津久井警察署員は,容疑者の母親に連絡し,容疑者は八王子にいるが荷物を取りに千木良に行くかも知れないと言っていたことを,総務部長に伝えた。3月7日(月),総務部長は,園長,支援部長,法人事務局に特定通報者登録を行ったことを報告し,翌日,上申書のコピーを法人事務局に提出した。
3月8日(火),やまゆり園は課長級以上の職員(15名)に「植松元職員に係る対応について」を,それ以外の職員(常勤128名,非常勤80名)に「休日・夜間等の防犯対策に係る対応について」(容疑者の氏名は記載せず)を通知し,不審者に対する注意喚起をした。4月1日(金),人事異動があり,新園長(旧支援部長),新総務部長,新支援部長で容疑者についての情報を共有し,津久井警察署に挨拶に行った。なお,津久井警察署は,容疑者の措置入院解除後も,容疑者が衆議院議長公邸に持参した手紙そのものを見せることはなく,また園の側からそれを求めることもなかった。
4月7日(木)付けで,かながわ共同会は「園において,利用者様の安全を確保し,不審者の侵入,備品の盗難等を防ぐ必要があるため」16台の防犯カメラの設置に係る協議文書を県に提出した。県は4月13日(水)付けでそれを承認したが,平成26年に共同会が盗難を理由にした防犯カメラ8台の設置申請があったことから他の経営施設の防犯対策と考えて,共同会に問い合わせ等をすることもなく,通常の処理を行った。4月26日(火),やまゆり園は,防犯カメラ16台(施設外10台,施設内6台),モニター1台(警備員室)を設置し,5月9日(月)に,津久井警察署にそれらの画像範囲を確認してもらい,運用方法を課長以上と夜間警備員に説明した。津久井警察署はモニターの台数を増やして監視するように助言したが,やまゆり園は「抑止力になる」という認識で当初からモニターの常時監視体制を予定しておらず,警備員(夜間は仮眠)が毎晩9時にモニター画像を見て異常がないかを確認するだけの運用であった。
5月30日(月),容疑者が退職金の受給手続きに来園したが,その際には正面玄関から事務所に入ってきて必要な手続きのみで帰って行った。対応した職員からは茶髪になっていたということ以外,特段の報告はなかった。事件発生前のやまゆり園と容疑者との接触はこれが最後であった。6月3日(金),やまゆり園は,容疑者が退職金の受給手続きに来園したこと,民生委員から容疑者に関して問い合わせがあったこと,翌4日にはやまゆり園の行事があるので容疑者がやまゆり園に入らないように注意したい旨を津久井警察署に電話した。7月14日(木),八王子市に住む両親宅を訪れ,一緒に食事をした。退院後から7月14日までの間,月に2,3回,八王子市の両親宅を訪ね一緒に食事や運動をしていた。両親によれば,容疑者が自ら障害者やカード(カードはこの記載のみで意味不明)の話題を出すことはなく,入院前より話しやすい感じだった。(神奈川県検証委員会報告書,2016,pp.13-16の要約)
2. 措置解除後の各関係機関の対応から見た連携意識と危機意識の弱さ
措置入院解除後の関係機関のフィードバック,特に北里大学東病院指定医から相模原市へは「措置入院者の症状消退届」を介して措置解除決定が共有されることになりましたが,精神保健福祉法第23条に基づき相模原市へ警察官通報を行った津久井警察署には措置解除決定のフィードバックはなかったようです。このことが本事件に直接的影響を及ぼしているとは思いませんが,相模原市は措置入院に際して,大量殺人予告文書を共有し,且つ津久井警察署で事前調査をしていながら,津久井警察署には措置解除決定のフィードバックがなされておらず(北里大学東病院指定医は容疑者植松聖の尿中から大麻が検出されたことも津久井警察署等に連絡なし:大麻所持ではないので通報義務はないが),北里大学東病院指定医,相模原市,津久井警察署の三者とも「大量殺人犯行予告書簡」を目にしていながら,危機意識を持っているようには思われません。
やまゆり園からの電話連絡で津久井警察署は容疑者植松聖の退院を知りました。そしてやまゆり園は津久井警察署の助言に従って特定通報者登録と防犯カメラの設置を行うとともに, 110番登録の上申書を作成するわけですが,その内容は今に始まったものではなく, 2月15日に津久井警察署が口頭で伝えていた障害者大量殺人予告と同様のことに対する恐怖・不安を事由にするものです。
津久井警察署は,この期に及んでもなおやまゆり園に恐怖・不安を強いていながら,威力業務妨害罪で逮捕というような軌道修正をすることもなく,場合によっては犯行後にしか役に立たない防犯カメラの設置と110番登録(夜間仮眠する警備員,110番登録電話は警備員室に設置は,やまゆり園や法人の問題)といった殺害予告に対して受け身的対処しかとれなかったところに,県民・市民の生命を守るという意識の弱さがあったとも考えられます。
もちろん,津久井警察署の助言を受けていながら,夜間のモニター監視と有事の際に110番登録電話を即時に使用できる条件整備を怠ったやまゆり園と法人の幹部は,一方では,津久井警察署の助言を受けながら上申書に書いているように,元職員の植松聖が入所者を殺しにやまゆり園に来るのではと恐怖・不安を抱きながら,もう一方ではたかをくくるといった二律背反的な対処しかとれなかったところに,施設ならびに法人としての意識の弱さがあったとも考えられます。やはり「最悪に事態を想定し,最善の策を講ずる」といった課題解決的なあり方が問われたと考えられます。
国検証・検討チーム(2016)は,退院後の検証を通じて明らかになった課題について以下のように述べています。
容疑者は,精神保健福祉法に基づいて13 日間の措置入院となっていたが,措置入院の解除後は,措置入院先病院に2回通院した以外,医療機関や地方自治体等から必要な医療等の支援を受けていなかったことが,事件の検証を通じて明らかになった。
具体的には,容疑者の措置入院先の病院であった北里大学東病院(以下「東病院」という。)は,措置権者である相模原市に症状消退届を提出する際,「訪問指導等に関する意見」と「障害福祉サービス等の活用に関する意見」の記載欄を空欄で提出した。
また,相模原市は,このことについて東病院に確認せず,加えて,症状消退届の記載から容疑者の退院後の帰住先を八王子市と認識していた。このため,相模原市は容疑者を退院後の支援の対象外と判断し,措置解除の際に退院後に必要な支援の検討を行わなかった。
結果として,相模原市に帰住していた容疑者は,通院を中断した後,地方自治体や医療機関のいずれからも,医療等の支援を受けていなかった。
厚生労働省が,措置入院者の退院後の支援のあり方について,都道府県及び政令指定都市(以下「都道府県等」という。)に行った調査によれば,退院後の医療等の支援について明文化したルールを設けている都道府県等は約1割に止まっていることが明らかとなった。このうち,明文化したルールを設けていた相模原市においても,個人情報保護条例に違反するおそれがあるとし,他の地方自治体に対しては,退院後の支援に必要な情報を提供するルールとなっていなかった。今回の事件においても,相模原市は,帰住先と認識していた八王子市に情報提供をしていなかった。
また,厚生労働省が,症状消退届の記載について,一部の都道府県等に行った調査によれば,措置解除後に直接通院となるケースでは,「訪問指導等に関する意見」と「障害福祉サービス等の活用に関する意見」のいずれについても,全体の2割程度は空欄であり,記載がある場合でも,全体の半分以上は「必要ない」との記載であった。この調査により,症状消退届を作成する措置入院先病院において,退院後の支援のあり方について,十分に検討が行われていない実態が明らかとなった。こうした実態について,都道府県等や厚生労働省は問題意識を持たずに制度を運用してきた。
このように,相模原市や東病院と同様の対応は,他の地方自治体や病院でも行われる可能性があると言っても過言ではない状況である。これは,現在の精神保健福祉法のもと,措置入院者の退院後の医療等の支援について,支援内容の検討や,支援を行う際の責任主体や関係者の役割,地方自治体を越えて患者が移動した場合の対応等が明確になっていなかったことが原因と考えられる。
こうした現状を改善し,入院中から措置解除後まで,患者が医療・保健・福祉・生活面での支援を継続的に受け,地域で孤立することなく安心して生活を送ることが可能となる仕組みが必要である。精神科病院,精神科診療所,障害福祉サービス事業所等の協力のもと,あらゆる地方自治体において,このような仕組みを整備することが,ひいては,今回のような件の再発を防止することにつながると考えられる。(pp.7−8)
国検証・検討チーム(2016)は,措置入院解除後の制度的不備について都道府県等や厚生労働省が問題意識を持たずに運用してきたと指摘し,措置入院解除後の医療等の継続支援の仕組みの整備を提案しています。もちろん不備のあった継続支援の仕組みの整備は重要なことです。しかしながら,このような仕組みを整備することが,「今回のような件の再発を防止することにつながると考えられる。」との見解は,あまりにも危機意識がなさ過ぎるというか,的外れと考えられます。逆に言えば,医療・保健・福祉・生活面での支援を継続的に受け,地域で孤立することなく継続支援の仕組みが整備されていたとしたら,容疑者植松聖は大量殺人予告とその実行を撤回したとでもいうのでしょうか。
また,措置解除後の通院は2回,それも退院後の社会生活に必要な診断書と就労可否等証明書が受領できる日に限定され,しかも医師—患者関係の中で退院のためにうそをついた可能性さえあり(「あの時はおかしかった。大麻吸引が原因だったのではないか」と発するだけで内省ができてると指定医は判断),治療動機のない容疑者植松聖が国検証・検討チーム(2016)の描く,措置入院解除後の医療等の継続支援の仕組みに乗ってくるとでも思っているのでしょうか。それとも医療・保健・福祉・生活面等の包括的継続支援といった美辞麗句の陰で,日本精神神経学会法委員会(2016)が反対しているような治安・保安的観点に基づく強制通院制度の導入の口火にしようとでもしているのでしょうか。
容疑者植松聖は,障害者に対する歪んだ思想と大量殺人予告を除けば,通常の社会的・職業的生活,それも障害者に最も近く,最も良き理解者であるはずの環境の中で障害者に対する歪んだ思想と大量殺人予告行為を培ってきたわけです。そういうことで,国検証・検討チーム(2016)の言う包括的な継続的支援環境は,責任能力があり,治療動機のない容疑者植松聖のような人物の改善には何の影響も及ぼさない,つまり再発防止策にはなり得ないと考えられるわけです。
残念ながら,これだけの論点のずれは,やはり,国検証・検討チームが事実関係の究明を避け,起こった事実をなぞっただけの対症療法的発想での再発防止策に走った歪みと考えざるを得ません。
詳細は裁判を通じて明らかになると思いますが,容疑者植松聖には性格の偏り(パーソナリティ障害)がないとは言えませんが,周囲の人たちの容疑者植松聖に対する評価は障害者に対する歪んだ思想の発言を除けば,精神や行動の異常性についての指摘はまったくと言っていいほどありません。このように容疑者植松聖の障害者に対する歪んだ思想と大量殺人計画・予告は,通常の社会的・職業的生活の中で独断的に醸成してきたもので,その予告も凶行も通常の精神機能の中で計画的に実行されたものと考えられます。容疑者植松聖は,傍目には障害者に最も近い支援者の職についていながら,誰はばかることなく狂信的思想を培い,その思想の障害者大量殺人予告を行った行為自体に,周囲がバイアスをかけ過ぎた結果,本事件を阻止することができなかったと考えられます。
3. 神奈川県検証委員会が指摘したやまゆり園の対応の問題点の再検討
県検証委員会(2016)は,措置入院解除後を中心としたやまゆり園の課題として4点あげ,それぞれに対する委員会の見解を述べています。(pp.16-17)
【課題1】津久井警察署の助言を受けながら対応していた共同会が,県に報告をしなかったこと
園は被疑者が措置入院解除となり,千木良に戻ってきていることを確認し,津久井警察署の助言の下で,防犯カメラの設置や特定通報者登録への登録,注意喚起文書による職員への周知など,被疑者に対する対策を講じている。特に,特定通報者登録への登録の際に総務部長が提出した上申書には,被疑者が「障害者の方の大量殺人を行うという個人的思想を持っている」「そのようなことをしに当園に来る」と書かれており,手紙をそのものの開示を受けていないことを前提としても,共同会は,その内容の重要な要素は,津久井警察署を通じ認識していた。
共同会は,指定管理で預かる施設の利用者の生命に関わる危険情報を認識していたのであるから,それを県に報告しなかったことは,指定管理者として非常に不適切であった。
【課題2】県が共同会から提出された防犯カメラの設置に係る協議文書に対し,設置理由等を園に確認しなかったこと
県は,その前々年に共同会の他施設で同じく防犯を理由に8台のカメラを設置することについての協議があったとしても今回の防犯カメラの設置目的について,改めて共同会に確認するなど,些細なことに見えることであっても施設管理の状況について十分に意思疎通し,把握しようとする姿勢・体制が必要である。
【課題3】防犯カメラの設置・特定通報者登録の目的に関する認識
設置の目的,設置後の運用について,助言した津久井警察署が意図していたものと当初からずれがある。夜間の警備体制が重要である旨は,2月時点で園側に伝えられていたにも関わらず,夜間就寝が前提の宿直室にモニターを置いても監視としては意味がない。常時監視は人的・物的双方の面で負担が大きく,いつ起こるかわからない事件の発生に備えてそれを行おうとすること,継続するのは不可能であったということは想像に難くないが,だからこそ,早い段階での県への報告・相談が有用であったと言える。
【課題4】津久井警察署が提供した本件の危機情報に係る共同会のアセスメント
共同会が講じた被疑者への対応は,被疑者が実際に障がい者の大量殺人を強行してくるのを防げるほどの対策にはなっておらず,津久井警察署から提供された危機情報に対するアセスメントが適切に行われなかった。仮にアセスメントが適切に行われていれば,本事件の発生や被害拡大を防止できた可能性も否定できない。
時間の経過とともに危機意識は薄れがちである。危機意識の低下を防ぐためにも,前項の監視カメラの運用状況やその時々で収集し得た情報を共有するためにも,定期的に関係機関と協議する場を持つことも有用であったと考えられる。
なお,5月30日に被疑者が退職の手続きに来園した際,正面玄関から入ってきたことをもって,園が,何も警戒せずに,通常の扱いで被疑者を園内に入れたことについては不可解である。
課題2と3についての再検討
かながわ共同会は施設入所支援4施設を運営基盤にしていますが,4月7日付けで16台もの防犯カメラの設置に係る協議文書を県に提出した際に,その設置理由として「園において,利用者様の安全を確保し,不審者の侵入,備品の盗難等を防ぐ必要があるため」(p.14),と記載したということです。これが本当なら,(設置予定施設名もなく:冒頭の「園」の表記がやまゆり園を指しているのかもしれませんが)この一般的な理由で(大量殺人予告への件もなく)協議文書を提出する,かながわ共同会もあまりにもずさん過ぎます。
また,(設置予定施設名さえ確認もせずに:報告書の「園」がどこの施設を指すのか判然としないので括弧で表記します)16台もの防犯カメラを承認した神奈川県の当該決済ルートは,少なくとも財政的にはずさんな気もしないわけではないですが,逆に言えば当たり前の防犯対策には速やかに予算を執行するということでもあるので,早い段階で県への報告・相談があれば,事態の理解のため,当然,津久井警察署から手紙を入手するでしょうし,リスクマネジメントの鉄則である「最悪の事態を想定し,最善の策を講ずる」危機意識があれば,当然のことながら犯行予告文書3枚目の作戦内容1行目「 職員の少ない夜勤に決行致します。」に反応し,経費がかかっても速やかに侵入可能性の高い窓を侵入不可にする対策(例:打ち破りにも強い防犯ガラスと防犯ブザーの設置)や,夜間の寝ずのモニター監視体制等を整えた可能性が高かったと考えられます。
他方,容疑者植松聖は,3月31日(木),生活保護の相談・申請のため相模原市の福祉事務所に行き,4月4日(月)に相模原市から容疑者に対する生活保護支給が決定され,4月から5月にかけて3月分,4月分,5月分までの生活保護費を受給しました(失業給付の受給を確認後,4月1日に遡って廃止)。そして3月31日付けの就労可否等証明書等を踏まえ、ハローワーク相模原へ行き,4月から7月にかけて計90日分の失業給付を受給しました。しかし,容疑者植松聖が失業給付条件としての求職活動以上の再就職活動をしていそうな記述はないことから,90日分の失業給付が終わる7月中旬以降が決行日として選ばれやすいことが推測されます。
しかしながら,容疑者植松聖の各関係機関からの情報を統括する役割を担うものがいなかったため,このような推測もできなかったと言えましょう。この点,神奈川県庁は,神奈川県警,社会福祉法人かながわ共同会・やまゆり園,相模原市,北里大学東病院の情報等も統括しやすい立場にあると考えられるので,指定管理者のため県への報告義務のある社会福祉法人かながわ共同会が早い段階で県庁へ報告さえしていれば,おおよそその決行日の予測ができ,より万全な防犯対策を講ずることができた可能性もあながち否定できません。
県検証委員会報告書には,特定通報者登録の上申書作成について,次にような見解が述べられています。
園の総務部長が「障害者の方の大量殺人を行うという個人的思想を持っていることが分かり」などと記載した上申書を作成していることに照らせば,津久井警察署は必要な情報提供は行っていたと評価でき,問題があったとすれば,その情報の受け止め方,ないしその情報提供を受けての対応であったと考えられる。津久井警察署から提供された情報や助言内容に加え,退職前の被疑者の言動を踏まえれば,被疑者の危険性を認識することは可能であったと考えられるが,園は,総務部長が当日コピーを持ち帰ってきていたにもかかわらず,上記上申書の記載文言には注意を向けていなかった。この点については,危機管理上,問題があったと言わざるを得ない。 (p.28)
他方,特定通報者登録の上申書作成について,こういう記述もあります。
総務部長は、特定通報者登録の手続きに当たって、津久井警察署の助言を受けながら「今回、当園で勤めていた植松聖が、障害者の方の大量殺人を行うという個人的思想を持っていることが分かり、すでに退職はしているものの、そのようなことを実行しに当園に来るのではないかという不安が消えません。もし植松が当園に来るようなことがあったら恐いので、有事の際に早急に対応してもらいたいので、110番登録をよろしくお願いします。」との上申書を作成の上、提出した。(p.13)
しかしながら,特定通報者登録も上申書の記載内容も津久井警察署の助言によるものである以上,「園は,総務部長が当日コピーを持ち帰ってきていたにもかかわらず,上記の記載文言には注意を向けていなかった。」ということも,それだけ危機意識を抱く必要のない伝え方しかしていない可能性も否定できなくなり,県検証委員会の見解はここでも崩れてしまいます。
ここで最も大切なのは,本件は一貫して治安・保安上の問題であるにもかかわらず,津久井警察署が当初から,または軌道修正すべき好機に威力業務妨害罪等に切り換えることなく,大量殺人予告先も大量殺人予告者もやまゆり園の関係者であることをいいことに,その都度その対応をやまゆり園に押しつけていたことです。その結果,やまゆり園の予告通りの対象に対して,予告通りの手口で,予告通りの大量殺人の犯行を,許してしまうことになったということです。
課題1と4についての再検討
指定管理者制度では,協定に基づき,指定管理者は県に対して利用者に関することや運営の状況等を報告することが義務づけられています。課題1について指定管理者の共同会がやまゆり園への大量殺人予告の件を県に報告すべきチャンスは3回あったと思います。1回目はやまゆり園園長らから報告を受けて理事長が知り得た2月16日,2回目は措置入院が解除された後で法人事務局が特定通報者登録を行ったことをやまゆり園から報告を受けた3月7日,3回目は防犯カメラの設置にかかわる協議文書を県に提出した4月7日です。この協議文書の提出に際しては2回もチャンスがあります。一つは電話ないしは口頭での本件の報告,もう一つは防犯カメラの設置理由に本件の特定通報者登録の上申書に書いた文言を記載することです。都合4回も報告すべきチャンスがありながら,すべてを怠ったことになります。これは口頭での概要説明で本件の手紙の内容の重要な要素は認識していたと判断し得る(県検証委員会,2016)という前提に立てば,指定管理者の指定を受けていた社会福祉法人としては,あまりにも無自覚すぎます。
併せて,この1回目にも2回目にも,やまゆり園またはかながわ共同会が津久井警察署に手紙をみせてもらうことやコピーの提供を申し出ることさえしないところにも,当事者意識のなさや無自覚さが現れていると考えられます。
他方,県検証委員会報告書(2016)には,課題1において,被疑者が「障害者の方の大量殺人を行うという個人的思想を持っている」「そのようなことをしに当園に来る」と書かれており,手紙をそのものの開示を受けていないことを前提にしても,「共同会は,その内容の重要な要素は,津久井警察署を通じ認識していた。」「共同会は,指定管理で預かる施設の利用者の生命に関わる危険情報を認識していた」と述べています。また,課題4において,「共同会が講じた被疑者への対応は,被疑者が実際に障がい者の大量殺人を強行してくるのを防げるほどの対策にはなっておらず,津久井警察署から提供された危機情報に対するアセスメントが適切に行われなかった。仮にアセスメントが適切に行われていれば,本事件の発生や被害拡大を防止できた可能性も否定できない。」と述べています。しかしながら,これは同時に,県検証委員会が本件を大量殺人予告と認識しておきながら,容疑者植松聖を逮捕どころか任意の事情聴取さえせずに,大量殺人予告者がやまゆり園職員であることをいいことに,治安・保安問題をやまゆり園に押しつけた津久井警察署を支持・擁護し,不備を押しつけやすいやまゆり園にその責めを負わしている可能性さえ示唆するものと考えられます。
Ⅳ.大量殺人予告文書通りの手口での凶行
1. 事件発生当日の事実関係(平成28年年7月26日)
容疑者植松聖が平成28年2月15日(月)に手渡した手紙に書かれていた「職員の少ない夜勤に決行致します。」「職員は結束バンドで身動き,外部との連絡をとれなくします。」「260名を抹殺した後は自首します。」)といった障害者大量殺人予告通りの手口で,凶行に及ぶ日が遂に来てしまいました。県検証委員会(2016)による夜勤職員,共同会,ならびに県の対応についての事実関係と,それぞれに対する県検証委員会の見解を以下に示します。
1.事実関係
1)夜勤職員の対応
午前2時頃,被疑者は,東棟1階はなホームの居室の窓ガラスを割って侵入した。はなホームの夜勤職員は,廊下で被疑者と遭遇したが,利用者が出てきたものと思い警戒はしなかった。被疑者は夜勤職員から全ホームの入口と居室の扉を開錠できるマスターキーを奪いホーム間を移動した。夜間,ホームの入口は施錠しているが,どのホームもマスターキーで開錠が可能であった。被疑者は次々とホーム間を移動し犯行に及んだ後,管理棟に向かい,通用口から園を出て行った。(容疑者植松聖は,同3時過ぎ,予告通り警察署に「私がやりました」と出頭した:毎日新聞,2016.7.26; http://mainichi.jp/articles/20160726/k00/00e/040/116000c)
夜勤職員から連絡を受けた同僚職員など4名がそれぞれ自身の電話で110番通報を行っている。当日の夜勤職員からの聞き取りでは,どの職員も夜間に外部から不審者が侵入するとは予想もせず,また,被疑者は鍵を開けて入ってきたことから,職員が入ってきたものと思い,警戒心を持たなかったとのことである。そのため,ほとんどの職員が気付いたら被疑者が目の前におり,逃げることが出来ずに拘束された。(予告通りに,職員は結束バンドで拘束した:ウィキペディア,2018;https://ja.wikipedia.org/wiki/相模原障害者施設殺傷事件)園を退出するまで,被疑者は8ホーム中6ホームを移動して46名を殺傷した。
通常,ホーム間では支援員室の内線電話で連絡を取り合っているが,どの夜勤職員も拘束される等したため,ホーム間で非常事態を知らせることができなかった。園では,8ホームにそれぞれ1名ずつの夜勤職員と,管理棟に警備員を配置していたが,警備員は宿直であったため,事件当時は休憩をとっており,事件に気付かなかった。特定通報者登録に登録した電話は警備員室に置かれていたため,使われなかった。被疑者は,東棟1階エレベーター付近のカメラに,また,犯行後玄関から出る際,管理棟に設置してあるカメラ3台に映っていたことを,後日共同会が確認した。
2)共同会の対応
3時17分,園長は職員からの電話で事件を知り,園の幹部職員を緊急招集するとともに,共同会の幹部職員に連絡した。4時,園長が園に到着する。5時,消防により,園の駐車場に災害対策本部が設置された。8時,19名の死亡が確認され,負傷者は順次病院に搬送された。12時,15時15分,18時,共同会が死亡した利用者の家族に状況を説明した。
園内会議室で津久井警察署による検視が行われ,当日,死亡者全員の検視が終了したのは23時過ぎであった。出勤した職員は,被害状況の確認,負傷者の搬送先への付き添いといった被害者への対応とともに,被害に遭わなかった利用者については,体育館と被害のなかったホームに移動し支援を継続した。事件発生時,共同会からの県への報告はなく,県は事件発生から約3時間後に障害福祉課担当職員(以下「担当職員」という。)が報道で事件を知った。共同会からの連絡は,担当職員が園長にメールで連絡をした後であった。
3)県の対応
4時46分 担当職員は,報道で事件を知り,園長にメールで事件にかかわる報告を求めた。5時00分 担当職員は障害サービス担当課長に電話で事件について報告した。5時08分 園長から担当職員に電話が入り,状況報告があったため,担当職員は障害サービス担当課長にメールで報告した。 5時25分 障害サービス担当課長は障害福祉課長に事件についてメールで報告した。5時50分 障害サービス担当課長が登庁。6時00分 障害福祉課長が登庁,障害福祉課職員も順次登庁し,情報収集及び報道関係者に対応した。
9時20分 障害福祉課職員3名を園に派遣した。派遣職員は,死亡者,負傷者の状況,事件発生後の経過等を確認し,随時,障害福祉課に報告した。10時00分 知事が記者会見を行い,コメントを発表した。14時35分,知事が園を訪問し,共同会理事長,園長,家族会会長と面会した。16時00分 保健福祉局長が記者会見を行い,その時点で把握した事件の概要を説明した。22時40分 障害福祉課は,派遣職員の現地対応を終了することとし,翌日の職員派遣を決定した。
2.県検証委員会の見解
1)夜間の職員配置体制について
本事件は,職員が少ない夜間帯を狙われた。現行の夜勤体制は,何もトラブルがなく利用者が全員就寝していることを想定した基準であると思われる。園では防災関係のマニュアルを作成し,夜間想定の避難訓練を実施していたが,実際に危難が生じた場合,この施設規模にあって,各ホーム1名ずつ,合計8名の夜勤職員と1名の警備員とで対応するのは不可能である。
また,福祉施設においては過去に今回のような侵入者が利用者に危害を加えるというような事例がなく,このような危難を想定しての安全管理体制は全く講じられていなかった。今後は,防犯機器を導入する等,設備やシステムによる補完も併せて検討する必要がある。
2)園の対応について
今回共同会が講じていた防犯対策は一般的な社会福祉施設に比べ,高い水準のものであった。しかし,夜勤体制を含めた園の内部事情をよく知る元職員が利用者の殺害を目的に侵入してくるという危難に対しては,侵入防止・侵入後の被害拡大防止の双方の点において,いずれも不十分であった。改めて,社会福祉施設における防犯の視点からの施設規模に見合った安全管理体制を見直すとともに,犯罪の情報があるような緊急事態に対応する危機管理についても十分に検討しておく必要がある。
3)設置者である県への緊急時の連絡体制について
事件当日,共同会から県に事件に係る報告(電話)があったのは,5時過ぎであった。共同会は,負傷者の対応,職員・利用者の家族やマスコミからの問い合わせ対応に奔走していたことはうかがえるが,このような緊急事態が発生した際には,直ちに施設設置者である県に報告すべきであった。本事件の一連の経過を通じ,共同会は,指定管理者としての県への報告義務について十分に認識していたとは言い難い。また,緊急時に備え,日頃から県との緊急時の連絡体制や,連絡担当者の役割を明確にしておく必要がある。
2. 大量殺人予告通りの凶行:侵入後の被害拡大防止を中心として
県検証委員会の指摘,すなわち「夜勤体制を含めた園の内部事情をよく知る元職員が利用者の殺害を目的に侵入してくるという危難に対しては,侵入防止・侵入後の被害拡大防止の双方の点において,いずれも不十分であった。」は,もっともだと思います。侵入防止対策については先述したのでここでは触れません。しかし侵入後の被害拡大防止については,県検証委員会も国検証・検討チームもその原因について何の指摘もしていません。侵入後の被害拡大防止がなされなかった最大の原因は,次に示すように,施設内の情報共有がまったくなされていなかったことにつきると思います。
3月8日,園は課長級以上の職員(15名)に「植松元職員に係る対応について」を,それ以外の職員(常勤128名、非常勤80名)に「休日・夜間等の防犯対策に係る対応について」(被疑者の氏名は記載せず)を通知し,不審者に対する注意喚起をした。(神奈川県検証委員会報告書,p.13−14)
夜勤をする当の職員たちには容疑者植松聖の件はまったく知らされず,不審者に対する一般的な注意喚起しかなされませんでした。それは夜勤者に動揺や不安を与えないことだとは思いますが,それを知らされずにいることが,いかに無防備で危険なことなのか,誰一人気がつかなかったのでしょうか。不可解極まりないところです。
その結果,「どの職員も夜間に外部から不審者が侵入するとは予想もせず,また,被疑者は鍵を開けて入ってきたことから,職員が入ってきたものと思い,警戒心を持たなかったとのことでした。そのため,ほとんどの職員が気付いたら被疑者が目の前におり,逃げることが出来ずに拘束された。」というような事態を避けられなかったと言えましょう。
職員が容疑者植松聖が辞職したという事実(2月19日)をどの程度知らされていたかわかりませんが,すべての夜勤者はなすすべもなく,また大量殺人予告文書の3枚目に書かれている「職員は絶対に傷つけず」といった考えがなければ,犠牲者はさらに増えていたことでしょう。
また,津久井警察署に提出した上申書の理由には,容疑者植松聖の大量殺人予告文書のことを知らされていない係長以下の職員(夜勤者)の意向は全く反映されていない訳で,施設と法人幹部の独断専行か,警察の助言・誘導のいずれであれ,一時的には恐怖・不安・混乱を招くでしょうが,真摯に支援会議等を開催し,集団守秘義務の下で情報の共有と議論を尽くすのが,侵入防止・侵入後の被害拡大防止の最善最良の対策の一つであったと考えられます。
Ⅴ.再発防止策に向けて
1. 書簡に書かれている内容は解釈を交えずに読み取る
2008年6月8日の「秋葉原通り魔事件」以降,ネットでの犯行予告に対してはいたずらも含めて厳罰に処されるようになりました。しかし,いたずらも事情聴取後ないしは逮捕後にはじめてわかるもので,いたずらか否かは事前に判断(解釈)すべきものではありません。
容疑者植松聖の書いた信書本文の68%が犯行動機,犯行目的,犯行規模,犯行の協力要請,犯行後の要望からなる犯行計画であり,3枚目の「作戦内容」の頁は100%が殺人予告を主とした犯行計画になります。それにもかかわらず,津久井警察署はその書簡の記載内容が犯行予告と言い難いと捉えました。しかしながら,この書簡の中に,犯行予告を否定できる根拠になるものは何一つないことから,それ以外の要因として,本人が顔も名もあらわにしていることに由来する誤った解釈,施設職員に対する善意にもとずく先入観,障害者差別による事態の軽視などが考えられることを先に指摘しました。
よって書簡等の内容判断についての再発防止策としては,当たり前のことですが,書かれている内容そのものを解釈を交えずに読み取るとともに,予告が否定される確たる根拠が明確になるまでは,犯行可能性はあるという危機意識が必要と考えられます。
筆者が臨床心理学の大学院教授時代に某県知事の特命で,高校入学当初,喘息治療で遅刻したら教科担任教員から「治ってから来い」と言われ,それが契機としたクラスのいじめによって適応障害を来した休学中の生徒の支援をしたことがあります。その生徒は,休学中に大検で取得した単位の読み替えで同校を卒業したいという意向をもち,高校に相談に行ったが全く取り合ってもらえず,その窮状の訴えとそれがかなわなかった場合には卒業式に乱入し,そこで自害するというものでありました。書状は文部大臣宛てにも送ったが取り合ってもらえなかったので,県知事に出したと言うことでした。ご自宅で家族面接をさせていただきました。本人が階段から降りてきたときには抗不安薬を増量されたらしく焦点の定まらないボウーッとした状態でしたので,抗不安薬のことから話し始め,幸いなことに一週間ほど後,知事宛に礼状が届いたことで終結になりましたが,依頼を受けてから数日間の間,納得できるまで数枚の手紙を何十回も繰り返し読み返したものです。少なくとも私にとってはそれぐらいしないと見えるものが見えてこなかった次第です。そしてある種確信のもと,面接の枠組みを決めてご自宅を訪問させていただいた次第です。通り一遍の読み方での理解など知れたものだと思います。
2. 水際での治安対策
津久井警察署は「手紙の送り先が衆議院議長であることなどから脅迫等に当たるとは断じにくいことなどを踏まえ,立件できるような内容ではないと判断した。」(神奈川県検証委員会報告書,p.9)と言います。国検証・検討チームも神奈川県検証委員会も津久井警察署の判断をなぞっただけで,この判断を追認しています。
個人に宛てた信書の扱いですが,衆議院議長は公人であり,その三権の長がその信書を犯行予告と判断したからこそ,即刻,警視庁に通報したものと考えられます。その内容はわが国の公共の福祉を真っ向から否定する障害者抹殺計画の予告であるにもかかわらず,本人または親族に対する脅迫行為でないため,本信書が国家・国民を預かる三権の長に対する「脅迫罪等」にあたらないとするなら,殺人犯行予告に一番適用されてきた「威力業務妨害罪」こそ適用すべきであったと考えられます。
また,脅迫罪で立件できないため,本事件を未然に防げなかったとするならば,国検証・検討チームも神奈川県検証委員会も公人への犯罪に関わる信書の扱いについての法改正を,再発防止策の最優先課題にあげるべきと考えられます。
障害者抹殺計画の予告といった問題を突きつけた容疑者植松聖に対して,津久井警察署は直接向き合うこともなく,治安上の問題を殺害予告先の施設や精神科医療に委ねました。これは,警察が事情聴取も逮捕もしないのは,容疑者植松聖にとっては本音では国家も同じあるいは,障害者抹殺計画に暗黙の同意が得られたという可能性さえ否定できない心的効果があったとも考えられます。ましてや初めて警察官に連行されたと思いきや,緊急措置入院から措置入院を経て,退院を意図した曖昧かついいかげんな一言(『あの時はおかしかった。大麻吸引が原因だったのではないか』)で,わずか13日間で解放されたのですから,その思いは一層強まった可能性さえあります。
こういう事態を避けるためにも,最優先の再発防止策は,殺人予告については文面上の最悪の事態を想定し,水際での対策を講ずることこそが必要と考えられます。
3.情報共有について
情報共有について,県検証委員会(2016)は,手紙そのものの開示を受けていなくても,「共同会は,その内容の重要な要素は,津久井警察署を通じ認識していた。」とか,「共同会は,指定管理で預かる施設の利用者の生命に関わる危険情報を認識していた。」と判断しています。そしてそれを前提に多くのことを指摘しています。「共同会が講じた被疑者への対応は,被疑者が実際に障がい者の大量殺人を強行してくるのを防げるほどの対策にはなっておらず,津久井警察署から提供された危機情報に対するアセスメントが適切に行われなかった。仮にアセスメントが適切に行われていれば,本事件の発生や被害拡大を防止できた可能性も否定できない。」とか,特定通報者登録の上申書の作成を行ったとされる「総務部長が当日コピーを持ち帰ってきていたにもかかわらず,上記上申書の記載文言には注意を向けていなかった。この点については,危機管理上,問題があったと言わざるを得ない。」と述べています。そのうえで,起こりうる状況の想定,当事者意識を持つこと,危機対応時の組織体制づくり,ならびに時間の経過による危機意識の低下に対する対策等について提案をしています。
しかしながら,前述のように,やまゆり園が危険情報を認識していたことの根拠にされている特定通報者登録も,上申書の記載内容も,津久井警察署の助言によるものである以上,「園は,総務部長が当日コピーを持ち帰ってきていたにもかかわらず,上記の記載文言には注意を向けていなかった。」ということも,それだけやまゆり園が危機意識を抱くような伝え方をされていなかったという可能性さえ否定できなくなります。
また,特定通報者登録の上申書の中には,最も肝心な大量殺人予告である「職員の少ない夜勤に決行致します。」の趣旨の文言がないことからも,津久井警察署が大量殺人予告の中でも最も重要な点を当初からやまゆり園に伝えていなかった可能性とともに,上申書作成助言の時には失念していた可能性さえあります。
容疑者植松聖の殺人犯行予告が撤回された形跡はまったくない以上,決行の日まで何ヵ月にも及ぶ可能性もあります。退職後,生活保護受給とそれに続く4月中旬〜7月中旬までの90日間失業保険給付金が途絶えるあたりから犯行の危険性が高くなると考えられますが,逮捕や任意の事情聴取もせず,殺人犯行予告のコピーも渡さず,その一切をやまゆり園に押しつけた津久井警察署のあり方こそ猛省すべきと考えられます。
口頭説明と手紙のコピーとでは,大きな違いがあります。口頭説明を受けるだけでコピーを要求しなかったやまゆり園も当事者意識や危機意識がなさ過ぎますが,標的にされているやまゆり園にはコピーを渡さず,相模原市や緊急措置入院先の指定医にはコピーを渡すという,何かしら福祉施設を低く見ているような津久井警察署のあり方こそ問題であります。
本件から逮捕の選択肢を除外したとしても,容疑者植松聖の最も肝心な決行予告である「職員の少ない夜勤に決行致します。」の文言,ならびに生活保護受給とそれに続く90日間失業保険給付金の途絶える時期( 7月中旬)の2つの情報を掌握できていさえすれば,事態は大きく変わっていたと考えられます。それを妨げたのは,大量殺人予告文書の軽視,犯行先への非開示,ならびにサービス受給手続きの動向の無視があると考えられます。
本件の犯行予告文のコピーがやまゆり園に渡されたとしても指定管理者としての県への報告義務を果たす確証はないが,少なくても口頭での説明よりは具体的な根拠があるので,指定管理者としての県への報告義務を果たす可能性は高くなると考えられます。県が関与しさえすれば,この程度の必要な情報の集約はスムーズにできるとともに,防犯対策等の一元化が可能となりやすく,本件を未然に防ぐこともできた可能性は否定できません。
よって,本件のような殺人予告があった場合には,速やかに関係機関で予告文を共有し,情報提供や情報共有をし合う協力体制づくりを,初動の最優先事項にする必要があると考えられます。
同様のことは施設内部にもあてはまり,夜勤を行う第一線の支援員たちには容疑者植松聖の大量殺人予告のことがまったく知らされていなかったため,防げるものも防ぎようがなかった一面があります。よって,今後にあっては,一番知っていなければならない第一線の関係者の会議等を開催し,情報の共有と議論を尽くすのが,被害拡大防止の最善最良の対策の一つになると考えられます。
4. 犯罪予告は司法・警察の対象であって精神医療の対象ではない
本件に限らず,犯罪予告は司法・警察の対象であって,精神医療の対象であるか否かは逮捕・起訴後の問題です。精神保健指定医は措置入院不適当として身柄を警察に引き渡すべきであったし,警察こそ当初から任意の事情聴取(この段階で犯行予告が撤回されればそれにこしたことはない),ないしは威力業務妨害容疑で逮捕すべき事案であったと考えられます。
このことを前提とした上で,本件の措置入院過程の問題点として,容疑者の普段の様子を知る人からの情報もなく,精神障害と見なされ不本意に連れてこられた診察室の一場面で,しかも一時間にも満たないなかで,治療動機のない人とのやりとりのみで信頼性のある診断などできるわけがないのに診断し,その結果,不適切な言動をすべて精神症状や行動症状のレッテルを貼って診断名にあて嵌めるといった総花的レッテル貼り診断に陥っていることです。そして犯行計画と診察室での植松聖の言動を,ことごとく躁病ならびに精神症状や行動症状にマッチングさせてしまい,犯行動機,犯行目的,犯行規模,犯行の協力要請,犯行後の要望からなる犯行計画としてまとめられた殺人予告を,すべて思考奔逸(躁病に特徴的)や妄想で片付けてしまいました。そして尿中大麻が検出されると「大麻使用による精神および行動の障害」と診断し, 1日以内,ないしは2-3日以内には消失すると言われる程度の大麻使用障害で,「入院時尿より大麻が検出され,『国から許可を得て障害者を包丁で刺し殺さなければならない』との妄想が認められた。」という所見でありました。
そして,最長に見積もってもわずか13日間の間に「あの時はおかしかった。大麻吸引が原因だったのではないか」(退院を意図した曖昧かつ巧みな一言)と容疑者植松聖が言ったことで,内省ができ,思考奔逸や妄想も消失し,他害のおそれはなくなったと判断され,措置解除になったわけです。しかしながら,容疑者植松聖の発話内容は,退院したいがための作り話の可能性さえあり,障害者に対する歪んだ思想や犯行予告を撤回したという事実は一切ありません。
よって,今後にあっては,改めて犯罪予告は司法・警察の対象であって,精神医療の対象であるか否かは逮捕・起訴後の問題として対応すべきであるということを重ねて強調しておきたいと思います。
併せて,精神保健指定医が措置入院不適当として身柄を警察に差し戻すことをスムーズにできるシステムも必要と考えられます。そうでないと精神保健指定医も,警察官の通報義務に端を発した緊急措置診察に対して適正な精神医学的所見書を書くことが困難になってしまい,そのため総花的レッテル貼りといった過誤に陥ってしまいかねない可能性さえ否定できなくなるからであります。
5.社会福祉施設における安全管理体制のあり方
2001年 6月 8日,突然の乱入によって 8名の児童が殺された附属池田小事件は,全国の教育機関をそれまでの「地域に開かれた学校」から,防犯対策を重視しなければならない「学校」に一変させる契機となりました。
厚労省(2016)は,今回の事件を受けて,9月15日,全国の障害者施設等に対して防犯体制の強化に乗り出しました。また,県検証委員会報告書(2016)においても,「社会福祉施設における安全管理体制のあり方」として5ページも割いて,再発防止に関する防犯対策として,防犯環境設計の手法,すなわち建物や街路の物理的環境の設計(ハード的手法)と防犯活動(ソフト的手法)とを合わせることによって犯罪の機会を減らすだけでなく,犯罪不安を軽くし,人や社会の生活の質を向上させるという総合的な防犯環境の形成をめざすべきと述べています。
今回の事件は犯行予告で「職員の少ない夜勤に決行致します。」と書かれているわけですから,本来,やまゆり園はそれを阻止し得るだけの防犯環境は整備すべきであったと言えましょう。しかしながら,本件は犯行予告のなかった附属池田小事件と異なります。過剰反応は避けたいものです。
6.障害をもつ人への偏見や差別的思考の排除
現代の社会福祉理念の一つであるノーマライゼーションは1950年代,旧来の大規模入所型施設中心の福祉サービスは人間性の阻害や一般社会からの隔離を招き,知的障害者の差別や排除を再生産し続けていたことに対する反省から生まれてきた考え方で,障害をもっていても地域社会で普通の暮らしを実現する脱施設化など,社会環境の変革に寄与してきました。国連の国際障害者年(1981)を契機に認知度を高め,現代社会福祉の基本理念として,国連の「障害者権利条約」(2006年に採択)にも大きな影響を及ぼしました。
「障害者権利条約」は,人類が2千年かけてやっと獲得できた金科玉条の一つと言えます。日本は翌年の2007年に署名し,2009年には国内法の整備もせずに批准しようとしましたが,この条約を誠実に守れるようにとの障害者団体の反対により,国内法の整備,特に2011年8月の「障害者基本法の一部を改正する法律」,2013年6月の「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(通称:障害者差別解消法)等の制定をした上で,2014年1月20日に国連の「障害者の権利に関する条約」(通称:「障害者権利条約」)に批准しました。世界で141番目の批准国です。158番目の批准国であった「児童の権利に関する条約」(1994年4月22日)同様、国内法令を条約の求める水準まで整備するのに手間取った結果とは言え、将来に向けて大いに評価し得るものであります。
条約の批准は,国が正式に条約の拘束を受けることに同意することであります。条約は憲法よりは下位に位置づけられますが,法律よりも上位に位置づけられます。わが国の憲法には,障害者の権利を具体的に言及した規定がないため,具体的な規定を設けている条約が非常に重要な意味を持つことになります。
「障害者権利条約」は,障害者への差別禁止や障害者の尊厳と権利を保障することを義務づけた国際人権法に基づく人権条約であり,この批准によって「障害者権利条約」は憲法と法律との間に位置づけられたことになるため,法的拘束力が増すだけでなく,同条約に反する国内法の作成は許されなくなると言う意味でも,大きな価値があります。
ただ1つ残念なこととして,当時,メディア,特にテレビ各局は「特定秘密保護法案」(2013年12月公布)が大事であるとは言えそればかり報道し,「障害者権利条約」の第8条(意識の向上)で社会全体の意識の向上を謳い,すべての国民に周知徹底する必要のある衆参両議院において全会一致で可決された本条約が,ほとんど報道されなかったことがありました。そういう偏った報道姿勢や情報の恣意的な取捨選択こそ危険,無責任と思っているのは私だけではあるまいと,思っていました。
こういう歴史的に大切な節目に,容疑者植松聖は共同会非常勤の日中支援補助職員として雇用され(2012年12月1日),その3ヵ月後には常勤職員(2013年4月1日)として採用されました。容疑者植松聖の志望動機は,「学生時代に障害者支援ボランティアや特別支援実習の経験および学童保育所で3年間働いていたこともあり,福祉業界へ転職を考えた」(神奈川県検証委員会報告書,p.5)ということを考えると,容疑者は衆議院議長公邸へ手紙を持参する(2016年2月15日)までの約3年の間に,入所者への支援活動に従事しながらかくも歪んだ思想を決定的なものにしたことになります。その萌芽がいつごろどのようにしてできあがり犯行計画の内容までに至ったのかは裁判で明らかになることを期待することとして,知的障害もつ子どもや大人の支援活動にかかわる多くの人たちは,意思疎通に著しい困難を有する重度の方々に対してもかかわりの中で心の琴線に触れたり,意思の疎通ができるようになるとともに,生きることのすばらしさや内面的価値に気づかされたりして,よき理解者になっていくわけです。しかしながら容疑者植松聖は,利用者とのかかわりの中でそのような人間的なあたたかい「まなざし」をもてなかったどころか,利用者を独断的に「生産性のものさし」だけで見ては人格否定や存在否定を肥大化させ続け,歪んだ思想・信念に陥ったとも考えられます。
利用者が安全・安心に暮らせる施設において,そこの施設職員であった容疑者が差別的思想に基づいて,犯行予告通りに夜間に侵入して,多くの利用者を殺傷したというこの事件は,社会に大きな衝撃を与えました。特に障害をもつ方やその家族,施設職員,関係団体をはじめ多くの人々に,言いようもない衝撃と不安を与えました。さらに事件の発生以降,容疑者の差別的な思想に同調する意見なども散見されました。
本事件をきっかけに,社会の中で障害をもつ人に対する差別や偏見が助長されるのではないかと強く懸念されたりもしています。しかしながら,こんなことで,障害をもつ人にとっても生活しやすい共生社会の環境づくりの推進が微動だにしないことは,国内外のリーダーや関連団体からの哀悼のメッセージや追悼の決意表明文等(Wikipedia,2019)からも明らかであると思います。多くの国民がしっかりとした人権思想を共有できるように,特に日本においては障害についてだけではなく,すべてのマイノリティーにかかわる人権教育を行っていくことこそ重要と考えられます。
他方,差別の撤廃には不断の努力も必要になります。特に社会的影響力のあるポリティシャンとかが障害をもつ人々に対して人権侵害発言をすることもないわけではありません。そのうえそれ相応の処分や社会的制裁さえ受けずに済んでしまうという場合も少なくありません。差別撤廃に向けてさまざまな啓発活動とともに,差別や人権侵害発言に対して実効力のある法整備も必要と考えられます。併せて,マスコミは国民に大きな影響を与え得るからこそ,人権問題に対する適切な啓発,ならびに人権侵害発言等に対する事実の報道の堅持を特に期待したいと思います。
事件後,警察は「家族の意向」などを理由に,19人の犠牲者を匿名で発表する異例の対応を取りました。事件から2年半たった今も名前は公表されていません。今後,はじまる裁判の審理も匿名のまま行われるとみられています(NHK NEWS WEB, 2019)。障害者を「線引き」せず,名前を伝えてほしいと願う障害のある当事者もいれば,今の社会では匿名にせざるをえないかもしれないと考える家族もおります。この世に生まれこの世を生きた証として,故人の実名を大切にして欲しいと切に願いますが,生きた証としての実名公表をためらうほど,家族が差別・偏見のつらい経験を余儀なくされてきた,あるいはその恐れの大きさの証なのかも知れません。
「障害者権利条約」や「障害者差別解消法」を土台にした共生社会の構築,ならびに人権教育と社会啓発活動を通じて,いち早く,家族ともども平安な日々においても,実名とともに堂々と生きられる社会環境になることを願ってやみません。それとともに実名とともに堂々と生きることで,よりいっそう望ましい成熟した共生社会をともにめざしたいものです。
【参考文献】
デジタル毎日(2019). 相模原殺傷 20年1月初公判で調整 被告の精神状態が焦点に. https://mainichi.jp/articles/20190319/k00/00m/040/112000c(March,19, 2019)
Internet Watch (2008). 秋葉原事件以後のネット上犯行予告,検挙事例一覧
https://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/07/01/20102.html (July 14, 2016)
共同通信ニュース(2018). 相模原障害者殺傷, 責任能力あり 起訴後の精神鑑定も「人格障害」. 2018年9月4日(共同通信社). https://this.kiji.is/409392843116545121 (September 10, 2018)
ニュース速報Japan (2016). 植松聖Twitter アカウント自撮り写真の画像@tenka333 うえまつさとし
https://breaking-news.jp/2016/07/26/026092(August 1, 2016)
NHK NEWS WEB (2019) . 実名と匿名のはざまで---相模原障害者殺傷事件 ( 2019. 3.23) https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190206/k10011805421000.html (March 23, 2019)
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