十代初期

思考に膜が張っている。
「今日のことは忘れよう」が毎日。
他人の言葉、体験、思い出全てが羨ましい。
私の節々から出る育ちの悪さが恥ずかしい。
俯いてマフラーに頬をすり当てる、そんな仕草さえ人に笑われていると思う。
イルミネーションが一段と輝く街に住んでいる。
ひねくれた見方をしない貴方ならこんなものも綺麗と言えるのだろうか。
貶されて安心した。魚が殺される動画を見た。
元の形が無くなれば怖くないと思い、ついに私は私の輪郭すら分からないことに気付く。
インターネットの数字にしかなれない感情は風に揺らされる木の葉の情緒にすら劣る。
土に還りたい、胎内へ戻りたい、海になりたい。
鳥は駅に住む。憧れが憎しみに腐る。
言葉だけにならないように言葉を誰かに託す浅ましさを勇気と言いたい。
モニターの熱、涙みたいなヌクモリティ。
あなたの目の奥を見ることが出来ない。

水滴がひとつにまとまるみたいな人間の作ったコミュニティに散々苦しめられた。
私が触ったものは全て腐敗するという設定で盛り上がるクラスに属していた。ずっとランドセルを壊したかった。クラスTシャツをゴミ箱に投げ捨てて泣いた。不登校だったのに卒業式の黒板アートには私の名前があった。私は私が混ざっていることが許せなかった。形だけのクラスの一員にされている事が気持ち悪かった。自分のこと全部みんなに忘れて欲しかった。

してきたことを考えたらもうニタニタ笑えないはずなのに。それでも誰かの腕に縋って、誰かの大きな手で罪に蓋をする。
本当に私たちって生きることを許されているんですか?
関係を壊したいし築きたいし、全部好きになって全部嫌になって、そういう往復を日々散々、浮かんでは消えてを繰り返す。
みんなの言うように、言葉通りに死ねばよかった?
馬鹿みたいに空回る、浪費してすり減るほどの重みももう無い言葉が。


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