見出し画像

何かが「かわった」瞬間 ~東京大学日本史 1989年第3問~

「わかる」とは自分のなかの何かが「かわる」ことだ、としばしば言われる。

著名な学者たちがよく言うことだから、恐らく偉大な先人たちにも何かが「かわった」瞬間があったのだろう。
でも、大半の人はそんな瞬間を迎えることなく一生を終わるのだと思う。自分も学部で大学を出てしまったから、そんな瞬間が訪れることなく人生が終わってしまいそうだ。

そんな僕でも、大学受験の勉強をしている中で何かが「かわった」に近い体験をしたことがあったので、それを紹介したいと思う。現在僕は私立中高一貫校で教諭をしているが、その体験は間違いなく今の僕の原動力になっている。

話は小学生の時に遡る。下町生まれということもあり江戸時代の文化に少しだけ興味のあった小学生の僕は、ぼんやりとこんな疑問を抱いていた。

「なんで江戸時代に色んな農具が生まれたんだろう?」

江戸時代に備中鍬や唐箕、千歯扱などの農具が生まれて普及し、農業の生産効率が向上することは小学校や中学校で誰しもが習うことだと思う。これはこれでいいのだが、鎌倉・室町時代においても、農業技術の進歩という文脈で二毛作や牛馬耕の開始、刈敷や草木灰の使用などを習って、簡単に言ってしまえばそれらがごっちゃになってしまっていたのである。備中鍬は古墳時代から使用されていた鉄製の鍬と何が違うんだよって感じだし、千歯扱なんて頑張れば誰でも考え付きそうなものである。

備中鍬(いらすとやより)
千歯扱(いらすとやより)

不勉強な少年だった僕は、この時ぼんやりと抱いた疑問を特に消化することのないまま高校生になっていた。そして高3のある日、僕を東大に導いてくれた恩師であるM先生の日本史の授業にて、何かが「かわった」瞬間が訪れたのである。

M先生は授業の中で、「17世紀を通じて新田開発が進展し、以降打ち止めになること」「18世紀初頭における吉宗の新田開発は技術の高度なものであり、17世紀の残りカスを必死に絞っているようなものであること」「18世紀を通じて進む農業効率の向上は、小農経営にみあったものであること」「18世紀後半には商業的農業が浸透し、百姓の階層分化が進展すること」を繰り返し強調されていた。特に最後の百姓の階層分化の進展なんて、熱が入りすぎてただでさえ大きいM先生の声が倍くらいになっていたような記憶がある。

このあたりの授業を聞いて僕は「ほーん」としか思っていなかったが、これらの学習の集大成として解説されたのが東京大学 日本史の1989年第3問であった。問いとしては非常にシンプルだが解答者の腕が試される、所謂良問であると僕は思う。内容は以下の通り。

1989年 第3問
 江戸時代には、17世紀末に宮崎安貞の『農業全書』(1697年)が刊行された。この書物は中国の農書の影響を受けながらも、実際の観察と経験にもとづく農業の知識を集大成したものと評価されている。さらに19世紀になると、大蔵永常の『農具便利論』(1822年)や『広益国産考』(1844年)が刊行され、広く全国に流布した。

 このような現象から、江戸時代の農村社会では、どのようなことが起きていたと考えられるか。5行以内で記せ。

https://tsuka-atelier.sakura.ne.jp/ronjutu/toudai/kakomon/toudai893.html

簡単に要約してしまえば、「農書の普及からわかる、江戸時代の農村に起こっていたこと」が問われている。『農具便利論』・『広益国産考』の内容があえて明らかにはされていないこと、17世紀末の話をした後に18世紀をすっとばして19世紀の記述に入ること、の2点がこの問題のミソであると思う。

詳しい解説はつかはらの日本史工房を見ていただければと思うが、この問題をつきつめて考えていくとM先生が授業の中で強調していたことがとてもよくわかるのである。時期設定も含めてすごくシンプルに考えられるのがこの問題の良さだ。

一連の学習を通じて、江戸時代に登場した多様な農具は「新田開発が限界に達したなかで、小農経営にみあった形で土地あたりの生産効率を上げようとする試み」だったのだと、すごくスッキリしたのを今でも鮮明に覚えている。小学生の時にうやむやにしてしまった僕の疑問は、6年越しにめでたく回収されたのであった。

みなさんにも何かが「かわった」経験、あるいは何かが「かわった」一問があれば教えてもらいたい。今教えている生徒たちにも、そのような体験をさせてあげられるよう精進していきたいと思っている。(完)

8/27追記:拙いですが、解説動画をyoutubeにアップしてみました。
前半→https://youtu.be/jhc7yy9z3gg
後半→https://youtu.be/Ts52sBTCwU4

いいなと思ったら応援しよう!