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学歴とマッチョ思考の結びつき(6)〜ガチ鬱で 痩せてドレスが似合ったわ〜

ここまで数千文字もかけて、高学歴マッチョ男性、を批判していきたが、その彼らの特徴を、過去の自分も、存分に、兼ね備えていたのだった(性別以外は)。自分で自分のことを高学歴と思ってるのかよ!チェックのネルシャツを一番上のボタンまで止めて、三つ折りソックスはいてたのに!でも高3の夏休みには、食事時間以外の時間と、たまに漫画版のナウシカを読む時間と、もののけ姫と耳をすませば、を映画館で見た以外の時間は、ほぼすべて受験対策にあてていた。自分で考える力を一切育めない、偏った勉強ばかりをしていたので、価値観の偏りについては、ご容赦いただきたい。ある日、張り切って映画館で見た「もののけ姫」の、脚本の意味が、まるで分からなくて、必死にユリイカ?か何かの文芸雑誌の解説を立ち読みした。どうしてももう一度見たいと、放課後の英語塾をさぼって、もののけ姫を映画館に見に行った。普段、塾をサボるようなタイプの生徒ではなかったのに、ふとたまにはいいか、と思って映画館に行ったのだ。

自分では大したことだと思わず、携帯電話もない時代で、塾にも家にも何の連絡もしなかったので、塾の先生からも親からもガチで失踪したと思われてしまい、母親も涙を流す大事件となってしまった。

そんな、たった1回英語塾の授業をさぼることすら大問題になるほど真面目な高校生活だった。髪は近所のクルクル回る器具がおいてある床屋でちびまる子ちゃんのスピンオフ漫画「ももこのほのぼの劇場」の主人公のような髪型にしながら、三つ折りソックス(!)を履いて、ルーズソックス全盛時代に、膝下20センチくらいのクソダサいスカートをはき、冬が意外と寒いサイゼリヤが特別な店だったそんな地方都市で、ママチャリに乗り、痴漢に遭いながら自転車通学をして、寒さと血色の良さで頬を赤く染めながら真面目に取り組んだ受験勉強の日々は、大変だった。その結果、得たとおぼしき学歴や、10年以上仕事上であまり役に立っていなかった「ノンネイティブトシテハ・サイコウレベルノ・スコアヲホコル・ネイティブナミノ・エイゴリョク!」などを卒業して20年経った今、まだ誇るそのピノッキオよろしくにゅるりと伸びた鼻のごとく実態のないプライドにまみれた自意識に関しては、どうかご容赦いただきたい。

自分の場合は、長年、心身ともに病み続けたものの、奇跡的にサブカルマッチョ的な特徴が全くない、男性社会である日本では、稀有な、ツチノコ並みに稀有な、男性と結婚することができた。その後、子供が欲しいと全く思えないことが母親との関係や兄との関係にあると真剣に悩み、長年受けたカウンセリングの結果、それまでこだわってきた、学歴や美醜について、あまり気にならなくなった。大学時代に、学園祭のバザーで「それ、いいと思う」と売主に言われて買ってしまったEDWINのケミカルウォッシュのジーンズを、うっかり履いて友人たちに絶句される、などのダサすぎた自分の過去、男女双方から地味に受けてきた「いじり攻撃」の苦しみなどについても率直に語れる、優しくて面白くて魅力的な(それにしても大学には、綺麗な女性がやけに多かった気がするんだけど…。結局南極、綺麗で性格の良い育ちの良い女性たちにはかなわない!ルッキズムだよ人生は!)大学時代の友人や、先輩たち、優しい後輩たち(主に女性である)との濃ゆい濃ゆい、西郷どんの眉毛もしのぐ濃ゆい交流を経て、多くの呪縛から、解き離たれることができた。

私のこじらせた自意識のゆくえを見守っていてくれた、私の結婚式で、動けなくなるほど号泣してくれた友人たちには、本当に感謝している。あの時は、ガチで鬱まっさかりで、正常な判断が何もできず、結婚式を準備するにはまったく向かない時期だった。新卒でうっかり入ってしまった残念な職場において、すでに十分に鬱なまま卒業した自分は、朝起きられない、遅刻を繰り返すなどの、新卒の若手として最悪なスタートを切った。体育会系思想が強い、元大手金融機関出身の中途採用の男性と、広告代理店出身だった中途採用のオッサンがたに散々「気が利かない」「英語はできるのかもしれないが、使えない」「慇懃無礼だ」などと声高に言われ続けた。何か意見を言えと言われたから、ミーティングで張り切って意見を言えば一言一句すべて揚げ足をとられてこき下ろされ、目の前に座っていた大手航空会社のCAを経て中途採用で入ったルッキズム思想の強い女性(松本伊代似)には、5軍、いや8軍くらいの女性の扱いをされ、一挙一同、息をはくごとくに全てをダメ出しされた。画鋲がたくさんついているコルクでできた掲示板に残っている画鋲が汚い、見苦しい、と、言われ、画鋲を取りに行かされた。全ての業務において、まともな引き継ぎも説明もなく、あらゆる部署の人の顔と名前も全く一致しないので何をするのも辛かった。〇〇部署の誰々さんに〇〇を持って行って!とか言われても誰々さんも〇〇(マルマル)もモリモリも聞き取れないので何もやり方がわからない。聞き返すと、「全く使えないな、こいつは」と言うような態度をいつも取られた。そんな人間関係と、何人もの友人たちの急逝が重なった。仕事への適性もなく鬱になり、仕事に行けなくなった。

給与水準は決して悪くない職場だったと思うが、仕事のストレスが辛くフェスに行きまくり、CDなどを爆買いしていたのでお金はほとんどなかった。手取り18万円程度の給料から、コツコツ月2万円ずつ積み立てた銀行口座の残高は、仕事を休み始めた途端に加速度的に一気に赤字になった。当時の私の総資産は、大学の所在地の駅名が支店名の、赤い有名な銀行の24万円。当時、大家さんに頼み込んで少し安くしてもらった家賃59,000円を月々払って、奨学金という名の借金を細々と返済しながら住んでいたワンルームの和室のアパートの家賃と光熱費などを計算すると、仕事を休み4ヶ月もすれば、完全に赤字となり、夕張市並みに財政破綻をし、このままだと、ホームレスにもなるかもしれないと真剣に恐怖を覚えた。結果的にとんとん拍子にパートナー(笑)と一緒に暮らさざるをえなくなった。一緒に暮らしてみたらあまりストレスもなく、どえらく気楽に生活していけることが分かり、かなり早いスピードで、結婚が決まった。

古い価値観が根強い地域に生きる実家の両親は、受験勉強をあんなに頑張ったはずの娘が、仕事で役立たずの扱いを受けて精神を病んだことを受け入れられず、まともなアドバイスをくれなかった。なんならその事実を、いまだに受け入れてくれていない。

結婚が決まった当時、私は体重が39キロだった。死にかけるほどに痩せていた。結果的に、鬱のせいで、脳内の機能の半分くらいが麻痺した状態で開催された結婚式において、ウエディングドレスがよく似合っていたと高く評価されたが、「(まさか結婚するとは思われていなかったねすぎの)衝撃写真」として、写真が勝手に御三家的な、またそれに類する高い偏差値を誇る有名校出身の知人の間で「回覧」されていた。勝手に写真を回覧するなんて失礼だわよ。私が、個人的に送信したメールを内輪の「優秀な」同じ中学・高校の友人たちとの盛り上がりのネタに使うなど他人に見せる癖、結構やられた方は本当にびっくりするんで、やめた方がいいんじゃないかな?そこの優秀な中学・高校を出たと思っている(特に)男子校出身の方々!一言、「このメール、面白いから、自分と同じ中高にいる(優秀な)友人たちに回覧していいですか?」と聞いてほしいよ。特に、個人的な内容を勝手に自分の知らない人の間で回覧されるっていいうのは、割と不愉快ですよ。びっくりするんですよ。まぁ、それに近い行動を一切やったことがないかと言われると自分もちょっと怪しいかもしれない。メールの内容を勝手に転送するのは、やったことないけど。。

結婚式の席で、満面の笑顔で「ウエディングダイエットをされたんですか?」と兄の奥様に言われた。兄は結婚後、奥様のおかげで別人のように優しくなり、ずっと連絡を絶っていた両親に海外出張のお土産を送ってくれたりするようになった。目の大きな兄の奥様は優しく綺麗な女性だった。「ウエディングダイエット」(!)と言われたときは、そんな単語が脳内にないよ!と内心、苦笑してしまった。私は目の大きな外見至上主義の兄の連絡先を知らなかった(今も知らない!)ので、兄が結婚式があることを知ってくれ、時間や場所についての情報を得てくれて、休まずに出席してくれたことに、心から安堵した。実家と距離を置いていた兄とは何年も会ったことも話をしたこともなく、来ないんじゃないかと本当に心配だったのだ。

当時は、鬱過ぎて、夕方まで寝ていて、唯一の活動は、Wiiの「ドンキーコングたるジェットレース」をやることと、レンタルしてきたM-1グランプリを真剣に見ることであった。1日1食未満(パンとコーヒー)の、イギリスのユースホステルの朝ごはんのような食事の日が多かったから、痩せたんです!とは言えませんでした!

大変に大人しかったせいか、なんの理由もなくクラスで権力を持った女性に悪者にされてしまい、集団によるいじめを小学生のときに経験したことで、女性らしい女性の集団全般に恐怖感を持って生きてきたパートナーと、クラス内で権力を持っていた男性に「なんかムカつく」というような理由で嫌われてしまい、権力をもった運動が得意な足の速いバイオリンも弾けた男性の指示を受けた、猿にそっくりな手下の男子に休み時間に背中を蹴りとばされた経験などがずっと忘れられない私は、マッチョな男性や、声の大きい女性とそういう人が率いる女性の集団が、とても苦手であった。パートナーのすばらしさには日々心打たれる日々だが、まだ結婚する前に一度、”高学歴な男性方と合コンをしたが、あの開始30秒で認定された「こいつらは、無し」というような目線に、辛くて死にたくなった”という経験を話した時には、パートナーがかつて経験した合コンと新卒で入った会社の上司に連れていかれたキャバクラがいかに地獄だったかという思い出の話で意気投合し、こんなに話が合う男性がいたのかと衝撃を受けた。

ずっとずっとコンプレックスだった、私の女性性の欠落を魅力的だと思ってくれた、家庭的な、男性社会に無数に傷つけられてきた、ジブリ漫画の主人公のように優しい男性と結婚したことで、私の人生は変わった。

Let it Go!ありのままで!少しも寒くないわ!シャツの一番上のボタンも外せるわ!都心の美容院にも行けるわ!ケミカルウォッシュのジーンズも捨てるわ!ウエストポーチも寒くないわ!

激鬱だったにもかかわらず、自分と結婚するという暴挙に出てくれた、当時道端に落ちてたキノコなど、悪いものでも拾って食べて正常な判断を失ってしまっていたかもしれない(そこまで言わなくてもよい?)サブカルマッチョ的な特徴が全くない男性でありスーパーマリオに酷似している、自分のパートナー(フェミニスト的に「パートナー」と言わせてください!)と出会い結婚したことで、日本の男女の役割分担の異様さや、日本にはびこるルッキズムの闇、学歴偏重主義の病などについて考えさせられることが、とても増えたのだった。

ちなみにこのあたりの箇所はノロけのように思われるかもしれないが、自分は命懸けだったので、どうかご容赦ください。

マッチョ的な思想がまるでない男性と結婚したことと、日々の仕事での辛さを紛らわせるべく吉本のお笑いを浴びるほど見ていたことで、私は生き延びた。鬱真っ盛りの当時、オリエンタルラジオとハリセンボンが爆発的な人気を得ていた頃で、私は自分と同世代のハリセンボンの箕輪はるかの存在に本当に驚いた。ブサイクいじりなどものともせずに圧倒的に面白い大喜利に衝撃を受け、100回は見たかもしれない。千原兄弟のライブDVDをレンタルし、千原トーク!をDVDで一つ一つ見ていた。お兄さんはうなずいてばかりでちょっとイマイチだなあ、と思っていたが、千原ジュニアの著書「14歳」を読んで衝撃を受けた。引きこもっていた千原ジュニアをうなずいてばかりのお兄さんがお笑いの世界に誘ったのだという。千原ジュニアは、てっきりクラスの中でウェイウェイしている人だったに違いないと思っていたので、その境遇に驚き、自分の職場での経験と照らし合わせて、泣きながら読んだ。

その頃は、マリッジブルーが高じて、大学の寮の後輩とM-1にも出た。2000年代の一桁後半の時期だった!コンビ名は「ロストジェネレーション」ネタはほとんど有名な芸人さんのネタのパクりだった。観客は3人ほど。3人のうち一人は平日に北陸地方から渋谷までかけつけてくれた相方の友人で、携帯に笑笑笑笑笑!と感想をもらった。当時携帯はまだガラケーだった!

鬱で死にかけた自分は、優しいパートナーと吉本のお笑いと優しい友人たちのおかげで、なんとか生きながらえることができた。しかし、そういった自分のパートナーのような男性が、幸せを喜んでくれるような優しい女性の友人たちと深い友情を築くことが、いかに日本社会において稀有で困難であるかを、いまだに女性だけが家事や育児を行なっていると言う周囲の知人の話や、スペック競争ばかりに明け暮れてしまう女性が多いという実態から、なんと生きづらい世の中なのかと、感じるのである。

自分のパートナーに関して、驚いたことはとても多いのだが、パートナーの父親は現在60代で、世代的には一切子育てにかかわらなくてもおかしくない世代なのに、子育てに真剣にかかわっていた方だった。少し手伝っている、などというレベルではなく、常に暖かい言葉をかけ、日常的に丁寧に言葉を尽くして話しかけ、コミュニケーションをとり、時には厳しく注意し、時には優しく諭し、まるで空気のように子供たちを日常的に褒め称え続けている様子は、椅子から転げ落ちてズコー!とかいってしまいたくなるほどの驚きだった。

パートナー(笑)は幼少期から、父親ととても仲が良く、深刻な悩みも打ち明けることができるようだ。今でも定期的に家族同士でzoom飲み会をしている、そんな父と息子…、父親が送ってくれた誕生日のメールのメッセージが素晴らしい文章で、息子であるパートナーがPC画面を見ながら、涙を流している(しかも息子は30代の時!)というような衝撃的な親子関係の現場を日々目の当たりにした。最初は自分の家族とのあまりの差に打ちのめされたのだが、そんな父と息子がこの日本に実在している、というのはとてもとても(∞)衝撃であった。

パートナー(笑)がどうしてこれほどに温和で落ち着いていて、自己評価が高く、周囲がどう思うか、というようなことをまったく気にせずに、自分の人生を自分で切り拓き、所属組織や役職の格などに頼らず、自分らしく生きられているのか、ということを考えた際、間違いなく父親との関係が良好であり、常に褒め称えられて育ってきたことが大きな要因であったと思われる。

自分の目の大きな年の離れた兄が、最も身近な例であるのだが、父親が不在の家で育った場合(帰りは早かったので、物理的に家にはいたのだが…)自意識をこじらせて、マッチョ化してしまい、自らの価値を学歴などに過剰に置いて、女性に対する異様な攻撃性を強めてしまっている。「父親との情緒的なつながりがない」家庭に育っていることで、健全な男性性が育たず、母親に対して異様に依存しつつも、時に差別する目線を強く育んでしまうことが多いのではないか、と思うようになった。

日本社会で生きるほとんどの男性は、激務すぎて、多忙すぎて、家に帰れない。とってつけたようなノー残業デーなどを利用して家に早く帰ってきたとしても、子供との関わりは、全て母親の管轄となっていて、子供ともどう関わっていいのかわからず、家庭に居場所がない、そんな男性は多いだろう。
女性が男性から外見的な魅力や料理力、を品定めされるのと同様、女性も男性の学歴、年収、勤務先企業の安定性、(社会的な)格、などを存在価値の基準とみなしてしまうことも当たり前のものとなっており、それがうまいこと行っている家庭もあることとは思うのだが、母親としか関わらない子供たちが多くなり、その影響はかなり深刻であると感じる。

父親が常に不在の家で育った多くの日本人男性たちは、母親の価値観だけに支配されることになり、ますます重いものは全く持ってもくれないのに女性に対する目線が厳しいメイド・イン・ジャパンの独自な進化を遂げた(→皮肉)「繊細ネチネチめんどくさ、ただようプライドが発酵し、そのくさみが、「くさや」なみの高学歴マッチョ男性(筋肉なし、くさやにはあるえも言われぬ独特の旨味もなく、臭いだけ)」と化していく。しかし、くさやとなった干物が自らの臭みに気づかないのと同様、バザーで買ったケミカルウォッシュの500円のジーンズが、とっくに時代遅れだと気づかずに履いていた大学生時代の自分と同様、自分たちを俯瞰する目線がないので、その臭みは、周囲にいる立場の弱い男女や若者たち、時には彼らの子供たちや家族へと向けられ続ける。

メディアなどの影響か、母親の子育ての最大の成功が「子供の学歴」「子供の就職先が大手企業であるかどうか」であると確信している母親は、いまだに多い。その軸で頑張り続けて成功をおさめている人たちもいるだろうから、必ずしも悪いことばかりだけでもないが、父親が不在すぎた故に、その学歴や職歴の価値を過信してしまいつつ、自意識が変な形でマッチョ化してしまう日本の男性が(女性も)多く存在するのだと思う。

手首が腱鞘炎になりそうなほど長くなってしまったが、最後まで読んでくださった方がいたら、本当にありがたく思います!

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