やりたいと 思ったことは なかったよ〜 地獄のピアノ発表会(2)〜
絶望しかなかった、幼少期のピアノ教室の思い出について書きたい。
小学校2年生の頃、急に母親に手を引かれて、家の近所のピアノ教室に通うこととなった。そもそも母親からは何の説明もなく、何でやらなければいけないのかも分からなかったが、あらゆる物事が自分に選択権がないことには、すでに気づいていた。とりあえず、母親の言われた通りにやり過ごさないと、母が不機嫌になったり、殺人鬼のような眼(まなこ)でこちらを睨みつけて、癇癪を起こしたりするのでとても面倒なことになる、という経験を豊富に積んでいたので、諦念によってやり過ごすという所作を身につけていた。特に反発することもなく、ただただ、言われた通りに練習をし、先生の言うことも、ひたすら従順に聞いていた。
1年ほど習った後の3年生の頃に、初めて、ピアノの発表会に出ることになった。ピアノを弾きたいとも全く思っていないのに、発表会に出なければならないのだった。普段練習している曲よりも難易度の高い発表会用の曲を、弾かなければならない、ということも段々とわかってきたが、発表会というのはそれなりに精神的な重圧がかかるものだった。発表会では、楽譜を見ることが許されないのだ。ピアノを弾くモチベーションが「ゼロがいい!ゼロになろう!もう一回!」とマイクを握りしめて、おひさまのロゴの入ったピタピタのショートパンツをはいてくるくる回りながらハイトーンボイスで歌えるくらいにゼロだった自分にとっては、普段より難しい曲を、楽譜を見ずに人前で弾く、というのは非常に難易度の高い所業であった。
地獄のピアノ発表会(3)に多分続く…!
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