差別する側には自覚がまるでない!だって…悪気はまったくないから…。
私は人生のほとんどを「毒舌キャラ」として生きてきた。毒舌であった理由は、家族同士の会話が「ほぼ、誰かの悪口やイジり(芸能人に対してや身の回りの誰かに対して)」であったため、そういう話題が面白いものだと、信じていたのである。どうかしていたが、本当にそうだったのだ。
毒舌は、盛り上がるものだと長いこと信じて疑わなかった。高校、大学の頃の若かりし時代は90年代で、なんとなくの感覚ではあるが、物事を、はすにかまえて冷笑的に見ることが、カッコ良いものだと思い込んでいた。実際のところ、自分のその様子を、面白いと思ってくれる友人たちもそれなりにいたし、自分が拙noteで書いているものの中には、そういった「毒舌」意識がふんだんに取り入れられているとも思う。自分のことを書かれたと思った方には大変申し訳ないのだが、自分の中でのこのnoteのテーマが「自分自身のコンプレックス」なので、どうかご容赦ください。
もちろん私が繰り出す悪口や批判、に眉をひそめる人たちもいたのだが、そのことは、あまり気にしていなかった。とにかく圧倒的に自分に自信がなかったため、面白がってくれる人がいることが嬉しく、それしか考えていなかったのである。
不思議なことに、毒舌なことを日常的に話しているのにもかかわらず、自分に対して何かを言われることは耐え難いほど不愉快だった。
毒舌な人は、そういう特徴がある人が多いと思うのだが、人のことは平気でけなすのに、いざ自分のことをイジられると、嫌で嫌でたまらないし、割と深く落ち込んでいた。
毒舌化は、自分のことをイジられる前に人をイジることで、イジりの矛先が、自分に向かわないように防御した結果なのかもしれないと今は思っているし、毒舌は100害あって一利なし、という気も、2023年6月の今は、思っている(noteの過去の記事については今の自分が書いたものではないので価値観が変わっているのだ!)。
毒舌、には差別的なものや、差別されていると感じている側がそれに抗う意味を持って毒を含んでいるものなとがあると思うのだが、大抵悪気は全くないし、自覚もないのである。
ただ、思ったことを話しているからである。
差別的なことをいつも言う人たちというのが男女問わずオッサン社会にはたくさんいるが、本当に悪気はないのだと思う。
50代の後半にさしかかり、更年期で長きに渡り寝込んでいた母は、枕元に、幼少期の兄と、若かりし頃の母が2人でうつる写真を置いていた。今の自分より若い頃の母である。今ではどこでも手に入らないようなデザインのワンピースを着て、いったいどこなのだろうと思わされる植物園のようなところで写る母と兄。兄は、戦隊ものの絵柄がかかれたキャップと、つなぎのジャージのような服を着ている。兄はとても可愛く、母はとても美しい。母にとっての人生のピークはこの時代だったのかと思わされるのだった。兄はもう、家族と距離を置いていて、母からの電話には一切出なくなった。親族の集いにも全く顔を出さなくなったし、帰省で帰ってくることも全くなくなっていた。私は兄が家族と距離を置いていることに、全く気づいていなかったのだが。
母がその時代の写真を大切にしている様子は、なんだかとても耐え難かった。
「兄とだけ写っている写真を大事にしているその様子が辛い」ということを母にそのままつたえた。
私は当時かなり深刻な鬱だった。仕事も休んでいた。経済的にも困窮していた。特に兄との関係性のまずさや母親からうけた強烈な癇癪による八つ当たりに怯えていたことなどを思い出して、とてつもなく具合の悪い時期であった。人生が完全に詰んでいることへの怒りがとめどなく押し寄せて、時々過去の出来事を引っ張り出しては、感情を爆発させて、両親を戸惑わせることがあった。
母はとてもびっくりしていた。
そのような、兄との写真だけを枕元に置くような行動に、何か問題があると、まったく考えたこともなかった、というようなキョトンとした顔をしていた。まさに鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていたのだった。鳩だって、豆鉄砲をくらったら、痛いし、びっくりするだろう。豆鉄砲をくらった鳩の顔を見たことはないので想像の域を出ないが、鳩よりもずっとキョトンとしていた。とにかく、とても驚いていた。
そして私は続けた。長年に渡り、兄のことが苦手で仕方がないと。幼い頃から、嫌なことばかり言われてきたと。実の兄だが、あの威張った態度や、人を見下すような目線や、それなのに、両親が兄をずっと崇める様子が、本当に、本当に、ずっと嫌だったと。涙ながらに訴えた。
母の目は「無」だった。考えたこともなかった、そんな顔だった。
兄のことばかり注目して、2人でうつる昔の写真を大事にするような態度が、妹である私にとっては、とても不愉快であるなどという自覚は母にはまったくなかったし、恐らく、悪気は、まったくなかったのである。兄を特別扱いすることは、母にとって、あまりにも当たり前のことだったから。
差別をしている人たちは、本当に、自覚も悪気もないのである。差別をされたと感じた側は、忘れられないのに。
自分にもそういうところがまったくないとはいえない。とりあえずSNSに子供の写真をあげるのはやめようということは夫とずっと決めている。子供が幼いころ、記事の中に子供の発言をかいたら物凄い数のいいね!がついた。やめられなくなるのもわかる。SNSに子供の写真をあげる場合、必ず本人に、あげてもいいかその都度きかなければ、とは思っている(と言いつつ知人の書いたもののシェアなどは、あまり許諾はとっていないが)。
もちろんSNSに子供の日常をアップして、楽しんでいる人がたくさんいることはよくよく知っている。滅多に会えない人にも近況が伝わる便利なツールであるからして、すべての書き込みを批判したいわけではないし、自分もその書き込みを楽しんではいるのだが…。
でもやはり、少し、気にはなってしまう。写真や子供が書いた作文や、恋愛模様や、そのほか部活動の結果などを、日常的にSNSにアップされているお子さんたちは、これらの日常の様子を、無数の親の友人たちが読んでいることをどれほど知っているのかなと。アップするたびに、子供達に、ちゃんと許諾はとっているのかなと。私は、本当に嫌だったから。母が母の友人に、わたしの受験結果や、学校での活動のことや写真を見せたり、触れ回る様子が、身の毛もよだつほどに嫌だったから。いつも、その行動に関して、許諾など、とってはもらえなかったから。いつも、勝手に親の友人の話題のネタにされていたから。
小学校四年生の時、少し年上の従姉妹と私のキャンプ場でのツーショット写真が、なんの許可もなく母の友人への年賀状の写真に使われていたことは、今思い出してもゾッとするほど嫌だった。どうして私の確認を取らずにこんなことをするのだろうと、心の底から嫌気がさした。そして今、母と接することを全力で避けている。待望の孫に会わせる機会を全力で制限している。母が孫にとても会いたがっていることは、重々知っているけれど。
私がどう思っているかを一切気にせずに、わたしの人生を母を輝かせるためのネタにされたことへの怒りは、40過ぎても、まったくおさまらない。母親が、待望の孫に会いたいことは十分に分かった上で、私は、孫に会わせることを、全力で制限している。
自分が子供の頃、どんなに願っても、自分の感情をまったく考慮してくれなかった母親への、真剣な復讐である。
以上です!
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親といるとなぜか苦しい -「親という呪い」から自由になる方法
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