
母親の育った環境過酷すぎ…戦争時代を生きた祖父母たち…実はホントに厳しすぎたよ(1)
さて、自分の身近にあった苦悩をぼそぼそとつぶやく拙noteですが、地元の公立小学校・中学校のパワハラ・セクハラ・いじめだらけの地方都市の車窓から…、難関男子高、女子高、出身者と大学で遭遇し、彼らの高い・高い・高すぎる!自己肯定感に(背も低くて歌もそんなにうまくないのにミュージカルの主演ができるその自己肯定感はマジですごいことなのだけど!※皮肉)カルチャーショックを受け、さらにはもっと自己肯定感の高そうな(いろんな経験により、卑屈な人もいたので、個人差あり!)帰国子女の存在に大変に驚き、さらに、働き始めてからは、閉塞的な組織で辛酸をなめてきました。
ルッキズム志向の強い元ヤン人事女性OTSUBONE(自称:某郊外の都市では彼女のことを知らぬものはいない社長令嬢、地元のドンとつながりがありベンツ乗り、なぜか繰り出される子供自慢、子供たちは全員空手有段者)が人事権を握っていたせいか、ガチで厳しい部署に配属されてしまいました。ラグビー部出身の元(中堅)広告代理店の頭のオカシイ男性(中堅大学卒)が、ウェイウェイと覇権を握る部署で、息をしているだけでいじられる、死ぬほどいじられる日々が始まってしまいました。当時、組織全体を牛耳っていた、体育会出身の若いころに足の速かった人々(全員中堅大学卒)には、まっすぐに嫌われ抜きました。
スパルタ思想の強い松本伊代似の人材育成会社勤務経験ありの方(※バブル期育ち・中堅大学卒)とも、あらゆる要素がかみ合わず、それこそ、ほんとに彼女の気に入らず、全面的にいじられ続けた結果、10年くらい鬱になってしまった…、そんな、輝かしい、「ハイパーキャリア」の車窓から…2025年の”クール日本”に生きる人々の生きづらさは、地域、家庭、学校教育、部活動、受験、(今やだれも見て無さそうな)テレビ番組、(今やだれも読んで無さそうな)雑誌メディア、少女漫画、少年漫画、すべての要素が、有機的に絡まりあった結果の産物だと思っています。
そもそも、家族問題の専門の先生たちによる、カウンセリングを受けるまで、長年、気づいていなかったことなのですが、母親の異様なスパルタや精神的な不安定さのもととなったのは、生まれ育った農村部での過酷な経験と、祖父母の教育方針の影響だったと思われるのでした。地方の農村部で、し烈ないじめを受けた祖母と、軍隊を経験した祖父による、家庭での精神的なDVが母に与えた影響は深刻でした。祖父母は、二人とも亡くなったため、直接、戦時中の話を聞くことはできなかったのが悔やまれます。私にとって祖父母はひたすら優しく、怖い印象は全くなかったので、若いころとても厳しい祖父母だったことが想像しづらいのですが…。
母が今でも昨日のことのように思い出すエピソードとして、小学校時代の思い出があります。学校でつくった作品がとても褒められ、美術の成績がとても良かったという母。母は、大喜びだったのですが、祖母が、その成績に疑問を抱いたというのです。「うちの娘にそんな能力はあるわけがない、この成績は間違いだ、下げるべきだ」と、わざわざ、学校の先生に抗議をしにいったというのです。成績が悪くて抗議ならまだしも…。その「逆モンスターペアレント」エピソードは、母--トーク(※アメトーーク風)の中に、折に触れ登場していたのですが、最近になって、自分の息子が学校で描いた絵などを嬉しそうに持ち帰ってくるたびに、幼き息子がどれほど純粋な気持ちで先生から、親から、褒めてほしいと思っているかが、濃厚に漂っているのを感じるのでした。たとえ、学校では成績が悪かったとしても、親が子供をフォローするべきではないのか…地方の村で、成績が良いことを抗議された母の心中を思うと、そのエピソードが(地味だけど)相当に、心の傷として残ってしまっているのを感じるのでした。
そして、幼いころ何一つ褒めてくれる様子がなかった母に私も傷つけられた、と思っていたのですが、モンペを着ていた逆モンペ(モンスターペアレント)祖母から、母親もあまり褒められたことがなかったことは想像に難くありません。学校への逆抗議は、幼少期の経験としては、厳しすぎますし…。また、叔母からも、祖母は、農村部で労働力としてのみ嫁ぎ、相当な虐めにあっていたらしいとも聞いたことがあるので、当時の貧しく暴力にあふれた生活環境は、誰にとっても、相当に厳しかったのではないかと、思いいたるのでした。
そんな中で、自らの美貌(笑)と、子供の勉強(特に英語)に苛烈なほどの熱心さを見せていたこと、さらに日々料理に熱心だった母は、本人は勉強および英語力によって農村部を抜け出すことができ、美貌(笑)によって父と結婚することが可能になって、料理力により生活費もしっかりと管理し、生活を安定させたわけですから、美・勉強(特に英語)・料理、それだけに注力していけば生き延びて行けるという、狂人な、いや強靭な自負のもとに子育てをしてきていたのだと、思いいたるのでした。
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