女性の肖像(1)
※この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
前回のテスト投稿記事から随分と時間が経ちました。
今度こそ定期的に更新しますよ♪
軽く宣言してみたものの、それまでもこれからも延々と虚無な日々。何か起こることを期待しちゃいけない。何故ならば自分の中にも他人の中にもロクな「何か」は存在しておらず、それはYouTuberやインフルエンサーの投稿ネタという形で世界中で証明されており、ペットや家族とともに何も起こらない日々を過ごさなければならない。それは何より優先すべき「幸せ」である。幸せを維持するにはお金も健康も必要である。
ノートを始めたキッカケはその時の生活におけるトラブルから追い詰められて、生活を支える為のメンタルがダメにならないように、文章で自分自身の思考や行動を肯定しようとした。しかし、自分にとってあまりにも酷すぎて今の段階ではフィクションでも形にしたくない。心の中で別の形に出来るまで眠らせるしかなく、ひたすら現状打破の為に行動した。
もちろん家族であるネコを第一に考えたら望まない引っ越しであったけど、それ故のもどかしさに耐えられることが嬉しく思えた。
引っ越しして荷解き前の大量のダンボールに囲まれて、カセットコンロで作ったウィンナーと目玉焼き、何週間ぶりの自炊だろう。それとその後のワンプレ自炊で満たされてしまった。ネコが食欲と元気を取り戻したのが最高の引っ越し祝いだった。
訳アリでささやかな引っ越しを終えてしばらくしてから母が一枚の絵を引っ越し祝いとして持ってきてくれた。風呂敷に包まれたその絵は私が20歳を過ぎた頃まで住んでた一軒家に飾られていた小さな風景画だった。
父親は自営で不動産関係の仕事をしていたそうだ。一軒家に住む前はその仕事関連で住む人が見つからないようなボロい元借家に住んでいた記憶と写真が残っている。
その頃から両親は絵画と画家さんに縁があったらしく、夕日に染まる森林を描いた別の絵の話のほうを良く聞いた。わざわざ横須賀の不便なところまで自ら届けて挨拶をしてくれたらしい。母は関心すると同時に申し訳なく思ったららしいが、後に聞いた話しでは、その画家さんにとってそれはむしろ必要なことであり当然のことだったそうだ。自分の作った作品を必要とするところや人を知る機会に恵まれたのでまた作品を買えではなかった。特に昭和の頃は強気で強引な訪問営業や販売が多かったので、この人の感覚が不思議に思えた。
そこまで思い出したところで、母が私のアルバムもこの部屋にあったほうがいいから持ってこようかと言った。単純に重いからムリしなくていいよと断ったが、そのアルバムにある学校行事や旅行、万博、お稽古ごとの発表会よりも、私の身長や体重よりも、もっとずっと気になっていたのに誰にも打ち明けられず眠り続けている記憶が築年数が太陽の塔と競っている新居の部屋の光に当てられてよみがえるような気がした。
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