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身勝手(小説:23)

親とは身勝手なものである。別に僕ら子供は好きで生まれてきた訳ではない。頼んでもいない。

よく親に感謝しなさいという風潮があるが、それは間違っていると思う。親のエゴで生まれてきたのだから、できる限り子供の面倒をみることが責任であり、親が子供に産まれてきてくれてありがとうと感謝するべきだ。

この言葉だけ聞くと、「なんて恩知らずなやつだ、自分勝手な主張を親に押しつけているだけだ」と思うかもしれない。確かに文面通りに意味を取ればそうなる。

でも、僕もこの考えが全く間違っていると思わない。ただ、これは親にそうあるべきだと求めていると言うよりも、自分が親になったときにそのくらいの覚悟がなければ産んではならない、という言い聞かせに近い。

そんなことを考えていた僕にも子供が生まれた。

覚悟は固まっているのかと言われれば、そんなことはない。だからと言って子供を無かったことにすることはできない。


子供が生まれる前、僕は覚悟どうのこうのの前に子供はいらないのではないかと思っていた。

今よりも自分の時間が無くなるのは確実であるし、妻と僕は活動時間が異なっているため、子育てにも苦労することが容易に想像できたからだ。

僕の日々の流れに余裕なんてものはなかった。

21時に電車を降りる。駅のコンビニで残りわずかとなったおにぎりの中から2つと飲み物を1つ買い、それを食べながら帰路につく。

コンビニのおにぎりはいつ食べてもおいしい。ただ、家に帰って温かいご飯を食べたいとも思う。遠目に家が見える。電気は1つも付いていない。

暗闇に溶け込んだ家の扉を開け玄関の電気を付ける。ただいまとつぶやき、靴を揃える。

ダイニングのテーブルには置き手紙がある。冷蔵庫のポテトサラダを食べて良いらしい。冷蔵庫から缶ビールを取り、ポテトサラダを流し込む。

食事を終えるとシンクに溜まった食器を洗う。食器を洗うことは僕の仕事だ、その代わりという訳ではないけど、夜洗濯機を回してけば、朝妻が洗濯物を干しておいてくれる。

お風呂に入り、洗濯機を回し寝室へ向かう。妻を起こさないようにゆっくりベッドに入る。


「この生活が楽しいか」と聞かれると、自信を持って「はい!」とは言えない。でも悪いものとも思っていない。

休日になれば妻とよく出かけているし、仕事だってつまらないことばかりじゃない。ただ、淀みなく流れていく日常に変化を求めていたもの事実だ。

そんなときに子供が産まれた。妻から「変化を求めていたんでしょ」と言われたが、あまりに大きな変化すぎて「これはまた別だ」と思わざるを得なかった。

結局のところ僕は身勝手なのだ。それでもやはり子供はかわいいもので、今は覚悟がないけれど徐々に形成されていけばいいな、なんて軽い気持ちで思っていた。


あれから数年経った。今でも覚悟できているのかなんてわからない。

23時に電車を降りる。駅のコンビニで残りわずかとなったおにぎりの中から2つと飲み物を1つ買う。飲み物に付いてくるノベルティは子供の間で流行っている人気アニメのキーホルダー。おにぎりを食べながら帰路につく。

暗闇に溶け込んだ家の扉を開け玄関の電気を付ける。ただいまとつぶやきながら靴を脱ぎ、小さな靴の隣に、自分の靴を並べる。

ダイニングテーブルには置き手紙、冷蔵庫のカボチャの煮付けを取り出す。缶ビールが置かれていたところには缶ジュースが代わりに置かれている。

食事を終えるとシンクに溜まった食器を洗う。小さな茶碗にはご飯を一粒も残っていない。「ちゃんと食べてて偉いな」

食器を洗い終えるとさっさとお風呂を済ませ、洗濯機を回す。洗濯終了のメロディーがなり、洗濯物をベランダに干しに行く。この間まで着ていた服よりもだいぶサイズが大きくなっている。「子供の成長は早いな」

ここ1,2年は21時着の電車で帰ったことなど一度もない。平日は家と会社を往復するだけの生活になっている。でも不思議と悪くないと思っている。

僕は勘違いしていたかもしれない。親は子供に知らないところで、色々と助けられている。子供には感謝しっぱなしだ。

洗濯物を干し終わると寝室へ向かう。小さな寝息を聞きながら、そっとベッドに潜り込む。

「どんなことが起きても、自分の子供だけは幸せになってほしいな」なんて身勝手な思いを胸に眠りにつく。

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