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8月の櫻前線
何も響かなくなる時がある。
大好きだったはずの音楽も、大事にしている言葉も、心の中で行き場を失っているのに、簡単には手放せないから好きでいようと頑張り始める。まだ好きでいたい、大事にしたい、置いていきたくない、置いていかれたくない。
好きなものを好きでいる理由には、近くで一緒に気持ちを共有する誰かの存在があった。同じものを好きで繋がる人間関係はすごく新鮮で大切でわたしの毎日のほとんどを支えてくれている時期すらあった。だけどきっといつからかどこかで自分自身の気持ちを見失って、気付いたときには何も響かなくなっていた。好きって言うからには詳しくいなきゃいけない、好きって言うにはこんな人でいなきゃいけない、初めて聴いた時の「なんだかすごく好き」はあまりにもいろんな言葉で装飾され続けて今さらいくら探しても埋もれて見つからない。
今まで聴いてきた、毎日の支えだった音楽と少しだけ離れてみることにした。
なんか好き、ってまた出会い直せる時までいろんなものに興味を持って、自分だけの気持ちで言葉でなにかを好きでいたい。
そんなふうに始まった夏に、櫻坂46と出会った。
今さら!って思うけど、今でよかったなあとも思うから、きっと今の今でよかった。
小さい頃からアイドルにはそんなに馴染みがなかった。家族がみんな興味を持っていなかったし、自分自身は1人でギターを持って歌うような女の子に憧れていた。
小学生の時まわりの友達がAKB48の曲を歌ったり踊ったりしていても「昨日テレビで聴いた曲だ〜」くらいの反応だったし、中高生になって坂道のグループが出てきても有名な曲のサビを知っているくらい。
少しだけ自分の生活と交わったのは、高校1年生の頃。勉強についていけない、容姿や人間性にも自信がない、まわりの友達と比べて自分の駄目さが情けなくなっていた時期に登下校の電車で欅坂のMVを見てた。アイドルを好きになるっていう選択肢があの時の自分にあったら、もっと早く生活の一部になっていたかもしれない。
大学4年生、今度は櫻坂の曲に出会って、少しだけ前を向けた。
メンバー一人ひとりの表情が好きで、どんな子たちなのか知りたくなった。
気付いたら、みんなの名前を覚えていて、番組を見て、毎日曲を聴いて、ブログを読んで、ライブに申し込んでいた。「なんだかすごく好き」を取り戻した自分の毎日がきらきらしてる。まだ何も詳しくはないけれど、誰かの好きに合わせずに、自分のペースで知って、自分の言葉で応援して、なんだかすごく好きなこの子たちを好きなままでいたいな。
今が過ぎる足音が聴こえなくて
目の前の景色に意識を奪われて
こんな今もいつの日か輝くんだ
今は3期生のドキュメンタリーを見て泣いたり、MVを見て泣いたり、(3期生に心動かされ人間!)しています。
夢を見るなら先の未来なんだね