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【短編ホラー】夜の海にて

 夜の海には引き込まれるような魅力がある。月明かりしか頼る光がないにもかかわらず、海の姿は何故かはっきり見ることが出来るのが不思議だ。

 街中とは明かりの質が違うのかもしれない。さざなみの音に囲まれながら、私はぼーっと海を見ている。




「肝試しに行こうぜ!」
 悟からいきなり電話が来たのが二時間前だ。夜中の十時。仮にも女の子を誘う動機に肝試しとは、正気の沙汰とは思えない。

「あんた、そういう所だと思うよ」
 心の底から出すことが出来た、『呆れてますよ?』という感じの声で私は返答する。

「いやいや、お盆だよ今。ぜっったい暇だろお前。丁度幽霊見れそうな時期だし行こうぜ!」
 悟は全く怯まない。お前と呼ぶのもやめてほしいとお願い…もとい注意しているにもかかわらず、全然やめる気配がない。

「世間一般で言う『頭が悪そうな人』の代表みたいな事言ってるよ?そろそろ自覚した方がいいよ」
 悟とは物心つく前からの付き合いだ。今回の帰省時に一緒にご飯でも食べながら近況を交換しよう思って声を掛けたのだが、中々の害悪っぷりを発揮している。

「だってお前、確か見えるんだよな?そういうの。飯奢るから行こうぜ!加奈子も来るらしいよ。」
 恐らく悪意がないであろう悟の言葉に心が少し重くなる。見えるんだよな、か。

「……もう見えないって言ったじゃん。っていうかもうご飯食べたし。加奈子は本当に来るの?」
 話を切り替える。加奈子も悟と同じくらい付き合いが長いのだが、データ移行に失敗して連絡手段を失って以来なんとなく疎遠になってしまっていた。
 
「来るよ。お前ここ最近全然連絡してないらしいじゃん。そういうとこズボラだよな。じゃ、今から迎えに行くから」
 私の返答も待たずに悟は電話を切ってしまった。加奈子が来るのであれば会わない理由はない。私は支度をして出る事にした。

「折角帰ってきたのに、こんな遅くに出るの?大丈夫?」
 母が心配する。父はというと、ソファの上でイビキをかいて寝ていた。

「加奈子と悟が迎えに来るんだってさ。最近あまり会ってないし、行って来るよ」
 母も二人の事をよく知っているので、「気を付けてね」とだけ言って送り出してくれた。



 悟と加奈子か。会うのは三年ぶりくらいになるけど、二人とも元気にしているようで良かった。
 家も近所だしすぐに来るだろうと思っていたら、案の定、悟の車が到着する。

「おっす久しぶり。元気にしてるじゃん」
 車から顔を出す悟は相変わらずの様子だ。ただ、社会人らしく髪が黒くなっている。

「悟が髪を黒く染めるなんてね。社会人になって日和ったんじゃない?」
 私は髪の色をからかう。中学の時に茶髪にして以来、髪が黒い悟を見ていないので新鮮だ。

「ばーか。これが大人の髪色だって。お前の髪が明るすぎるんだよ」
 
 悟は相変わらずの様子だ。と、そこで助手席に誰かが乗ってる事に初めて気付く。

「加奈子?」
 私が声を掛けると、助手席のドアを開けて加奈子が出てきた。

「つーちゃん全然連絡くれないじゃん。どういうこと?まさか悟からつーちゃんが帰って来てる事を聞くとは思わなかったよ!」
 わざわざ助手席の方から喋りながら歩いてくる。

「ごめんごめん。機種変した時に移行に失敗しちゃってさー。加奈子LINEでしか連絡してなかったじゃん?」
 私は加奈子を拝むように手を合わせて謝る。
 つーちゃんとは私の事だ。苗字の【塚田】に由来する。と言っても加奈子しかこの名前で私を呼ばないが。

「ほんと昔からズボラだよねそういうとこ。直した方が良いと思うよ?」
 悟に続いて加奈子にまでズボラと言われれ、辟易してしまう。あまり言われた事ないんだけどな。

「まぁこいつはそういうヤツだって。加奈子もいい加減諦めろ。さっさとファミレス行ってどこ行くか決めようぜ」
 悟の肝試しに付き合う気はあまりないけど、こんな所で文句言われているよりはファミレスで何かデザートでも食べたい。

「おっけ。行こ!」
 渋々歩く加奈子を助手席へと押し込んだ私は、助手席の後部座席に乗ろうとして窓を覗き、手を止める。

「あー…やっぱり社長席にするわ。身分高いから」
 わざわざ回り込んで悟の後ろに座る私を、二人は特に不審がる事もなく受け入れる。

「やっぱ高貴な方は違うわ」
「だな」
 二人の軽口に笑顔を見せつつ、私は隣の座席をチラッと横目でみる。

 やっぱりアレがいる。黒くてよく見えないけれど、女の子っぽいな。私は気にしない事にした。




 【レビー小体型認知症】幽霊が見えるようになる病気の名前で、文字通り認知症の一つだ。物忘れも伴うらしい。
 あまり激しい物忘れこそないものの、私は自分がこれなのではないかと自分を疑っている。いや、諦めている。

 私は小さな頃から極めて鮮明に幽霊が見えており、「ひょっとして安倍晴明的な何かになれるかも?」のような事を考えているイタい子供だった。
 しかしネットで調べれば調べる程、選ばれた人間とは程遠い病名ばかりが出て来る事に気付き、勘違いが出来なくなった。

「お前いつから幽霊見えなくなったの?この車にも乗ってたりする?」
 しばらく近況を交換した後、流れるように悟は聴いて来た。
 ある意味鋭い質問だが、質問が矛盾している事には気付いているのだろうか?悟は私の生きる黒歴史の一つだ。

「見えないのに分かるわけないでしょ。それに、いつからって聞かれても分からないよ。最初から見えてなかったかもしれないじゃん」
 私は窓の外を見ながら答える。私に見えているものが幽霊なのであれば、死んだ人に対して数が少なすぎる。幽霊であるわけがない。

「そうかー?俺は何か見えてたんじゃないかって思うけどな」
「あたしもそう思う。つーちゃん嘘は言わないしね」
 そういえば加奈子も黒歴史だった。二人の言葉は嬉しいけれど、私はもう諦めている。

「嘘はってなんだよ。いつも本当の事しか言わないっての。っていうかそこでよくない?桃フェアだって」
 私の言葉でとりあえず行く所が決まった。



 ファミレスに到着した私達は揃って桃のパフェを頼んだ。ドリンクバーは「あまり長居しないし要らなくない?」と悟に拒否されている。

「え、マジで肝試しに行くの?なんで?幽霊より変なやつがいたらどうするのよ?」
 パフェを食べ終わった加奈子が悟を問い詰める。確かに幽霊が出るよりも人間がいる方がよっぽど怖い。

「大丈夫だって!俺ほら、空手結構強いしさ。それに今日は木刀持ってきてるから人間は大丈夫でしょ」
 悟が私を見て「な?」という顔をする。何だその顔は。

「え?私をあてにしてるの?馬鹿なの?」
 他力本願過ぎてびっくりする。確かに私は剣道でそこそこ強い方だったが、それとこれは別問題だ。

「つーちゃんに守って貰おうなんて世も末だね」
 加奈子も呆れている。悟にプライドのようなものを期待するのは無駄なのだろうか。

「ごめんごめん。行く場所はお前が決めて良いからさ!」
 悟は頭を下げる。何でそこまでして行きたいのだろうか。不思議だ。

「……海なら見たいかも」
 あまり考えていなかった筈なのに、そんな言葉が自然と出てきた。今は内陸に住んでいるからだろうか。海が見てみたい。

「海かー。良いかも。見晴らしが良いからちょっと安全でしょ」
 加奈子も賛成してくれる。そうか、安全か。そこまで考えてなかった。

「海か。決まりだな。行こう!」
 悟はどこでも良かったのだろうが、取り敢えず乗り気だ。私達は近くの海へと向かう事にした。



「めちゃくちゃ真っ暗じゃん。怖!」
 海に着いた私達はその闇の深さに怯える。一寸先が本当に闇だ。

「しばらく目を慣れさせないと何も見えないな…」
 さっきまで元気だった悟もすっかりトーンを落としている。私達は少しの間、車の近くにいて目を暗闇に慣らすことにした。

 子供の頃はもうちょっと目が慣れるのが早かったと思うんだけどな。
 私が暗い海が少しずつ鮮明になる様子を眺めていると、スッと誰かが横を通り抜けた。

「…え?」
 悟と加奈子は両脇にいる。前に進んでいく影は誰だろうか。

「どうした?」
 悟が声を掛けてくる。
 心配そうに振る舞っているけど、声が掠れている様子がおかしくて私は少し冷静さを取り戻す。

「あるんでしょ木刀。貸してくれない?」
 悟はどうやら木刀を手に持っていたらしく、サッと渡してきた。木刀が見えているという事は、大分目が慣れて来たのだろう。

「海、行こうか」
 私はそう言いながらチラッと車の中に目を遣る。想像通り助手席の後部座席には何も居なくなっていた。

 アレって動くんだ?海でも見たかったのかな。なけなしの勇気をふり絞って進む悟の後をついていきながら、私はのんびり考える。
 『ひょっとして私は病気なんかじゃないのでは』
 いつも頭をよぎる希望。アレが動いている事実に、少しだけ私の胸は高鳴っていた。



「夜の海って引き込まれるような気がするよね」
 ここ二時間くらいの事を振り返りながらぼーっと海を眺めていた私に加奈子が声を掛けてくる。

「そうだね。私も同じ事を思ってた」
 加奈子に私は笑顔で返す。
 車から出たあれが見当たらないが、海と混ざり合って溶けていったのだろうか。海の暗さとアレの暗さはとても似ている。

「何もいないな」
 悟は元気一杯海に何かを投げ込んでいる。水切りのつもりだろうが、見えているのだろうか。

「悟は結局何しに来たのよ。幽霊なんていないって!」
 私は笑顔で悟に話し掛けるが、悟は憮然とした表情をしている。

「……お前さ、中一くらいの時に一時期学校来なくなったろ。幽霊関係で嘘吐き呼ばわりされてさ」
 悟の言葉に思い出す。確かにそんな事もあった。何やかんやで三日程度だった気がするが、そこから私は何も見えない事にしている。

「…あったね。仕方ない事だと思うよ。私がおかしかったんだし」
 苦い思い出だが、そこから処世術を学んだ気がする。私は人と違う事を受け入れる程強くなかった。

「つーちゃんがおかしいなんて事ないよ!私が同じ学校だったら相手全員引きずり回してやったのに」
 過激な事を言う加奈子に私はちょっと笑う。
 加奈子は名家の一人娘だ。親の意向で中高一貫校へ進学していたので、私とは休日くらいしか会っていなかった。

「俺さ、あの時なんで俺には幽霊が見えないんだろうって思ったんだよな。見えてたら形とか一緒に説明出来るじゃん?」
 悟が意外な事を考えていた事にびっくりする。悟が私の言うことをそこまで信じてくれていたとは思わなかった。

「ありがとう。それ素直に嬉しいわ」
 私の言葉に加奈子がニヤニヤしているのが暗がりでも分かる。何か言ってやろうとしたその時、

「おい、あれまずくないか!?」
 悟が何かを指差して叫ぶ。その方向を見て私の背筋に冷たいものが走った。
 さっきのアレだ。海の中を沖へと向かって歩いている。悟にも見えているんだ。

「え?何かある?」
 加奈子は訝しげな声を上げるが、悟は「あそこだって!おーい!!」と指差しながら興奮気味に叫んでいる。

「悟…待って」
 上手く声が出ない。悟は今にも海に行きそうな様子だ。

「待って!!」
 ようやく大声が出て悟が動きを止める。こういう話は聴いた事がある。
 これは絶対行っちゃダメなパターンだ。確信がある。

「悟、あれは多分人じゃないと思う」
 私の言葉に悟が固まる。加奈子の方を見ると、加奈子も怯えたような表情をしていた。

「だってあんなにはっきり…あれ?」
 恐らく悟の指差す方向にはいないのだろう。
 なぜなら悟の横にその影がいるからだ。古典的な登場方法だなって冷静に考えている自分がいる。

「えぇぃ!!」
 全く可愛くない気合いと共に、悟の横にいる影を思いっきり木刀で叩く。
 手応えこそ無かったものの影が吹き飛んでいった事がわかった。

「今ので飛んでったぽい!今の内に帰ろう!」
 自力で立てなさそうな加奈子の手を引っ張って悟と共に車へと走る。
 車に乗った瞬間、シートベルトも確認しないで悟は車を走らせ始めた。

「安全運転!」
 私はシートベルトを着けつつ叫ぶ。

「無茶言うな!すげぇ怖いんだけど!バックミラーも見たくない!」
 悟の言う事も尤もだ。運転は任せよう。私は大人しく座ってる事にする。



 悟にもアレが見えたんだ。人心地ついてようやく頭が追いついてくる。恐怖よりも安堵が勝る気持ちだ。
 私にアレが見えるのは病気が原因じゃなかったと思って良いのではないか。アレは多分幽霊だ。私は心が躍るのを感じた。

 けどあの幽霊、酷い軽さで吹っ飛んでったな。私は緊張感から解放されて笑い出す。

「つーちゃんどうしたの!?」
「麻理!大丈夫か?」
 二人が心配する。というか悟が私の名前を呼ぶなんて久しぶりじゃないだろうか。
 
「大丈夫、おかしくなったわけじゃないよ。面白かったんだ。私あれくらいの霊ならいくらでも倒せるみたいだわ」
 私は木刀を握り締めた。原理は分からないけど、私になら倒せる。

「幽霊怖いっしょ。悟の家に送ってくれれば良いよ。そんな遠くないし、加奈子は私が歩きで送ってから帰るから」
 私の言葉に悟は何か言い掛けたが、結局は「すまん。助かる」と言って悟の家へと向かった。

「相変わらずわかりやすい家だよね」
 悟の家を見て私は悟に声を掛ける。

 【竹田】と表札に書かれた悟の家は、表札横に竹が生えている為、初めての人でも分かりやすいと評判だ。

「郵便物には困らないのが気に入ってるよ」
 そう返した悟の顔からは、言葉とは裏腹に疲れのようなものが見える。加奈子もほぼ無言だ。

「ゆっくり休んでよ。帰って来てる間にまた三人でご飯行こう」
 私の呼びかけに頷き、家に入りかけた悟が急にこちらを向く。

「俺は今回麻理に守られちまったけど、これからはちゃんとお前を守りたいと思ってる。やっぱりお前は霊能者だったんだな」
 悟のこれは告白だろうか。判断がつかないが…

「今日の活躍を見たでしょ?私は霊能者じゃなくて退魔師って感じ!いつか本業にして人助けしてみるよ。軌道に乗らなかったら養ってね!」
 と返事して私は悟の家をあとにした。

「つーちゃんやるじゃん。あれはプロポーズだね」
 加奈子は力が抜けたような表情からようやく元気が戻りつつある。

「やめて。今すごい恥ずかしい。何かしらのハイになってた」
 顔から火が出るような気分だ。まさか悟にそんな…。

「もしそうなったら、苗字がつーちゃんじゃなくなるのかな?つーちゃん、悟の家の表札好きだもんね」
 確かに竹田家の表札は好きだが、それとこれとは別問題な気がする。

「そうだな、今更だけど麻理ちゃんにしようか?けど私達ももう大人だもんね。麻理さんにするよ」
 加奈子は大分先走っているが、麻理さんか…。呼ばれ方としては悪くない。

 そうこうしている内に【星野】と書かれた加奈子の家に着く。

「じゃあまたね!近い内に連絡する!」
 加奈子は手を振りながら見送ってくれた。そうか、退魔師か。小さい頃に憧れてた安倍晴明そのものだ。

「よし!頑張ろう!」
 暗い夜道を私は元気に歩く。
 困っている人を助けて行こう。それで少しは世の中が良くなるはずだから。

 加奈子の連絡先を聴きそびれた事に気付かず、私はのんびりと家路についた。

ー了ー

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