はじめに

突然だが、私はアイドルが好きだ。2次元3次元問わず、色んなアイドルを見つけ出しては勝手に感情移入して、勝手に追体験した気になり、勝手に応援して、勝手に金をつぎ込んでいる。そんな生活もかれこれ20年以上になる。そんな独身おばさんだ。

最初の記事なので軽くドルヲタ遍歴を遡ることにしよう。興味がなければ飛ばして貰っても構わない。こんなアイドル大好きおばさんは、こんな時代と周りの人々が相まってちょっとしたバグのようにして生まれた、その程度の軽い気持ちで読んでくれれば幸いである。

まずひとつ、これを語るに欠かせない人物がいる。母である。うちの母は現在アラ還。独身時代は田原俊彦の追っかけをしており、遠征上等、トシちゃんの行くところに私あり、の気合いの入ったヲタクであった。(らしい)

そんな母も子供を産み、母親になると、今までのようにはいかない。それでも母と見るテレビはずっと、顔のいい男たちの住む箱だった。その環境下で育った幼少期。ホームビデオにはテレビの中で笑っていいともに出ている中居くんにブチュブチュと唇を画面に押しつけに行く3歳児がいた。それが後にこのアイドル大好きおばさんになるのだから血は争えない。どう考えてもイケメン好きの母の血と英才教育の賜物である。まぁなんと末恐ろしい。(他人事)

そんな中でジャニヲタ予備軍の私もすくすくと育ち、TOKIOとV6がデビュー。そして愛LOVEジュニアの放送開始、KinKi Kidsのデビュー。8時だJが始まる頃には、予備軍だった私も独り立ちしたジャニヲタになっていた。Jrの黄金期に母がタッキーと山Pにメロメロだったのだ。言わずもがな顔のいい男が好きな母が、東の滝沢と天使期の山下智久を見逃すわけが無い。バックにつくJrを穴が空くほど見つめるその目は、さながら狩人のようだった。もちろんそれは私にも受け継がれ、そして毎日見ている顔のいい男たちの住む箱の中に櫻井翔を見つけた。私のジャニヲタ人生において初めての担当である。いわば初めての男だ。(違う)

初めて自分で買ったCDも、初めて買った円盤(当時はVHSだが)も、初めて買ったグッズも全て嵐だった。処女をいくつも捧げた(語弊)。無けなしのお小遣いも、誕生日プレゼントも、クリスマスプレゼントも、お年玉も、嵐になって手元に返ってきた。ヲタ友もできた。KinKiのヲタクだった。そしてこの出会いで、私はジャニヲタの階段をまたひとつ登る事になる。担降りだ。今しがた階段を登ると書いたのに、(担当を)降りると表現するのはなんとも矛盾しているなという気がするが、9割のジャニヲタが経験することなのではないだろうか?例に漏れず、私もその担降りを、KATーTUNが現れたことにより経験することになる。

幸運なことにポップジャムの録画を全て見せてもらった。確かに見せてもらったのに、記憶はKATーTUN初登場時からしかない。だが、そこからの記憶は昨日のように鮮明で、それまで可愛い感じの子がいるくらいにしか思ってなかった赤西仁がマイクを持ち歌う姿にイナズマが走った。私の声フェチの片鱗はこの辺りから見え隠れしていたのだろう。とにかくドツボだった。それから嵐とKATーTUNを両方追う生活を続け、「いざッ、Now」辺りで完全にKATーTUNに担降りした。別に嵐が嫌いになった訳ではなく、今まで通りに好きなのだが、眩しすぎるほどのKATーTUNのギラギラ感から目が離せなくなってしまったのだ。この先もっとギラギラするごくせんが待っているとも知らずに。

私がKATーTUNが好きだったからそう思っているのかもしれないという疑惑はぬぐえないが、あの頃のKATーTUNは凄かった。とにかく凄かった。(語彙力)破竹の勢いとはこの事かと。バラエティにドラマに歌番組にと毎日忙しかった。(主にHDDが)今までのジャニーズとは経路の違う彼らが、ジャニヲタ以外にも認知され、男性も彼らを真似したり曲を歌ったり、あまつさえアイツかっこいいよな!と言う。そんなことがありえていいのかと夢を見ているようだった。私のようなジャニヲタが男性には気持ち悪がられていた時代は、KATーTUNの出現によって薄れ、共通の話題で盛り上がる友達となり、王道ジャニーズから逸れた彼らが、先輩からもバックにつかなくていいと言われた彼らが、光を浴びた途端に弾けだした。あぁだめだいけないこれでは長くなりすぎる。割愛するが、KATーTUNの露出が増えるということは、Jrの露出も増えるということだ。察しの言い方はもうおわかりであろう。担降りのターンです。(ギャグではない)

しばらくは赤西担をしていたが、赤西が抜け、ポロポロと人数が減り、亀の謝り続ける姿やたっちゃんの涙ぐましいキャラ変(私が勝手に思ってる)、変わらない努力を惜しまないなかまうも、当然好きだが正直見るのが辛かった。留学あたりから徐々に追わなくなって、結果的に現場は赤西が留学から帰ってきたコンサートが私のKATーTUN担卒業魂になった。

その頃から個人的に私の人生の中で一番多忙な期間が始まっていたので、特にこれといって熱を入れて応援していたグループがあったわけではなかったが、合間をぬいつつチェックはしていた。時系列は前後するが、キスマイとエビジュが合体するとは思ってなくて1グループに担当が2人いる謎に陥ったり、妹が本格的に橋本担になった途端にABCにZがついたり、前述GたちやWESTがデビューして泣きべそかいたり、クエスやMADや推してたGはことごとく無くなっていったり、慎太郎と丈はいきなりでかくなったり、次々辞めジュだけならともかくデビュー組からも脱退やらが相次いで、おいおいどないなってんねんジャニーズさんよお!!と思っていた。

ジャニーズにとってのここ10数年は激動だったように思う。ジャニーさんは気づいた時からもう既におじいちゃんだったし、何だかずっとおじいちゃんのまま、漠然と死なないような、2億歳くらいまで生きそうな気がしていた。私より先に死ぬなんて思ったこともなかった。ネタにして歳のことを言うことはあっても、なんの根拠もなくジャニーさんに死は無縁だと思っていた。何を言っているんだこいつはと思う方もいるとは思うが、これはきっと私だけではないと思う。亡くなった今も、なんとなくまだ居そうな気がするのだから彼はすごい。

ジャニーズ事務所激動の2016年頃から今、事務所内外の勢力図やマネジメント面も随分と変わり、ジャニーさんから引き継がれたタッキーと、私が1番ジャニヲタとして熱を上げていた時期からずっと諦めないでいてくれたふっかたち、もといSnow Manについて、次の記事で語りたいと思う。まだ終わらんのかと思っただろう?これでもかなり、とくに後半は割愛したのだ。私を舐めないで欲しい(何の話)

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