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紙芝居作家になるまで


初めての作品

これがいちばん最初の作品『わたしのいろ』
きっかけになったひとり旅からはじまり、絵本の制作費用のためにクラファンから実際カタチになるまで、当時高校2年生の自分にしたらとても大きなチャレンジでもありました。

多様な生命体が溢れるこの時代に、マイノリティと呼ばれる側が〝当事者〟と言われがち。
だけど本当にそうなんでしょうか。

人は産まれた時の体を自分で決められない。
だけど、自分がどうやって生きていくか、どんな風に自分を表現するかは自由じゃないかと。

それぞれに自分の表現の仕方があるはずで、誰もが自分の”好きなカタチ”で生きていけばいいと思うのです。

そんな想いを抱き、自分が見たことのある景色だけが当たり前にならないように、一人ひとりが当事者だとおもえるように『色』をテーマにした絵本にしました🌏

多様な性を知る

きっかけの一言

高校生になり、社会課題を学ぶ機会が増え、特に人権や差別について興味を持つようになりました。その人権や差別の問題の中で、日本でも多く見られるセクシャルマイノリティ(性的少数派)と呼ばれる人たちに焦点を当てました。

そんなタイミングで
『自分は女とも男ともいえない。自分の性別がいまいちわからないんだよね〜。』
友達が何気なく言った一言でしたが、その言葉がわたしにとって深く考えるきっかけになったんです。

性の多様性については認識があったものの、身近で性に対する悩みを抱えている人を目の当たりにしたわたしは、もっと知りたいという思いがますます強くなって行きました。

一枚の写真から

最近は、セクシュアルマイノリティと呼ばれる人たちに興味があるんだということを何気なく母に話すと、母の周りにはトランスジェンダー(生まれつきの身体的性別と自分が認識する性別が異なる人々)と呼ばれる方が数人いるということを教えてくれました。

数日経ったとき、母から一枚の写真が送られてきました。
それは、母の友人が自分の性についてをカミングアウトするという形で、地方新聞に掲載されたものでした。
こんな田舎のとっても小さな町で、自分の性をカミングアウトするということ。
どれだけ勇気のいる行動だったでしょうか。
なんとも言えない気持ちで胸がいっぱいになりました。

それと同時に、
こんなにも身近にあったことをどうして今まで知らなかったのか。
どこか他人事にしてしまっていたのだろうか。
私の周りにはいないと勝手に思い込んで、みえない差別に加担してしまっていたのか。
もっと広い視野で、想像力を働かせないと。
そんな溢れ出す想いが、自分を見つめ直す瞬間にもなったと思っています。

名前や肩書きを超えて

わたしは、母が教えてくれた新聞に載っている方に、会って直接お話を聞きたい、気持ちを知りたいと思い、長期休みを利用して、彼に会いにいきました。
その日は、セクシュアリティに関心を持つきっかけになってくれた友人も一緒に。

地元のゲストハウスで働いていた彼は、そこのコミュニティスペースでわたしたちが来るのを待っていてくれました。

初めましてをしてから帰るまで、何時間そこに居たんだろう。実際に性的少数者として生きる苦悩や大変さを聞かせてもらうのはもちろんだったけど、世間話、くだらない話なんかもたくさん。その時間が楽しくて、心地よくて、どんどん彼の人間性に魅力を感じていきました。

わたしはそのとき、間違いなくひとりの人間、ひとつの命としてその人が大切だと思ったのです。
心から、性別なんかどうだって良くて、わたしが素敵だと思うのはその人自身でした。

想いがカタチになるまで

新たな出逢い

16歳の夏、東北ひとり旅をしていた時のこと。岩手県一関市でお世話になったご夫婦がいました。ご縁あってお家に泊めていただき、わたしに一関という町のたくさんの景色を見せてくれたんです。

滞在中、なんやら和歌山から一関に旅をしにきた高校生の女の子がいると聞きつけたご近所さんが、よく会いにきてくれたりもして。

その中の一人に、内田先生という以前学校長をされていた方がいました。
その方は朗読が得意な国語の教師だったそうで、一関の歴史や、岩手の文化や方言などをわたしに教えてくれようと紙芝居を読んでくれました。

この出逢いが、わたしの人生を大きく変えてくれたんです。

作家になる予定などさらさら無ければ、物語を描いたことも無い。
にも関わらず、内田先生が紙芝居を読み終わる頃には、もう紙芝居屋さんになると決めていました。
その土地の言葉と、その人にしかできない表現にとてつもなく魅了され、衝撃を受けて。

紙芝居の魅力

内田先生の紙芝居を聞いて、なぜこんなにも心を動かされたのか。なぜここまでの感動が紙芝居にはあるのか。

それは、文字が書いてあるか、一人で読めるかどうかの違いではないかと思います。

紙芝居は、読み手と聞き手がいなければ成り立たない。
そして、聞き手が見る側、表には文字がなく、絵の情報しかありません。
読み手側、裏には台詞やナレーションが書かれてあります。
読み手は台詞などを読み上げて作品を演じることで聞き手に作品の世界を伝えていきます。

だからこそ、全く同じストーリーであっても、読み手の想いや表現の仕方によって伝わるものはきっと変わり、物語が変化していく。

それが、生き方を表現する人間のようだと感じたのです。

わたしはずっと、自分が抱えた想いや、ひとりひとりの大切な人生、繋ぎ続けたいもの、声なき声、など、これらをカタチにしたい、届けたいという夢がありました。
世界中の人たちに届けたい、だけど、どのような手段を選ぶのかというのを悩んでいました。

そんな中、東北の旅で出会った内田先生と紙芝居。
紙芝居は、聞く人の心を動かす力があると強く思いました。そんな紙芝居を通して、何か伝えられることがあるのではないか。そう感じずにはいられませんでした。
利便性ばかりを求められている時代だからこそ、私は紙芝居で伝えていきたいのです。

主人公

紙芝居の構成を考えていく中で、性別や人種というある意味デリケートな部分を子どもたちにもスッと落とし込めるように届けるという部分がとても難点でした。
人間で構成してしまうと難しく考えすぎてしまったり、中には傷ついてしまう人もいるのではないかと思ったからです。

実際に、この問題に関しては多くの意見があり、正解もありません。
そして、世界ではまだまだ差別や分断が続いています。

そんな中でわたしは子どもたちに何を伝えられるのか。そう考えた結果がこの主人公、りんごだったんです。

りんごと聞いて大抵の人が思い浮かぶのは、"赤くて丸い"りんごです。
しかし、よくみてみると、りんごは一言で表すことができないほどたくさんの色が混ざり合っています。

同じように、人間もたくさんの色で溢れています。誰一人として、同じ色の人はいません。まるでりんごのようだと思いました。

りんごは「赤」だと決めつけてしまえば、ずっと赤いりんごのままであり、決して他の色には見えないでしょう。

だって、りんごもよく赤いりんごと青いりんごの二つに分けられるでしょう。まるで女と男みたいに。

人間だって、"男だからああでないといけない"、"女だからああでないといけない"と決めつけられてきたことがたくさんあるかと思います。
決めつけられたままでは区別されることで苦しんでいる人がいつまでも救われません。

りんごも人間も、よくみればいろんな色があり、一つひとつ、一人ひとり違う色を持っている豊かな存在だということがわかります。

つまり自分の世界を広げれば、今まで見えていなかった部分に気づくことができます。そのときに人は初めて、相手を受け入れることができるのだと思います。

というのも、今まで、区別されるのが当たり前の中で生きてきた人達が急に、相手の個性を受け入れろといわれても難しい話かと思いませんか。

頭では理解していても、どこか自分の中で壁を作ってしまったり、見えない差別に加担してしまっていないでしょうか。

子どもの頃から、〝色んな人がいて当たり前〟という感覚を持っていれば、
大人になって差別をすることや、分断を産むことは無くなるのではないかと思います。

そんな想いから〝表現したい自分自身でいてもいいんだ〟そう思えるような紙芝居を私はつくりたかったのです。

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