『捜神記』と『アズールレーン』をはじめとする諸文化にみる、中国における辺境のイメージ
中国、あるいは中国人には中華思想というものがあることはよく知られている。簡単に言えば中国が世界の中心であり、その文化や制度が最も優れたものであるとする考え方である。このような発想は周囲の異民族が野蛮であり劣ったものであるとみなすことにもつながっており、エスノセントリズムの一種であると考えられる。中華思想は古く古代中国から存在したとされるが、この考え方は極めて自然なかたちで中国諸文化に溶け込んでいると言えるだろう。本稿ではまず志怪小説集である『捜神記』を例にそれを確認する。加えて、今日における諸文化、ここでは中国のビリビリ動画の子会社「芜湖享游网络技术有限公司」に開発され、日本でも配信されている艦船擬人化を題材としたSTGアプリゲームである『アズールレーン』にも触れ、現代においてもその影響が見て取れることを確認していきたい。
『捜神記』は、4世紀に中国の東晋の干宝が著した志怪小説集である。志怪小説というのは六朝時代に書かれた奇怪な話のことで、後の唐代に書かれた伝奇小説が筆者の創作や情景描写などでよりいわゆる小説に近いものに発展していったのとは異なり、志怪小説は見聞きした話をそのまま書きとめたもので、素朴な文体で、長さも短いのが特徴である。ここではそれが事実か否かということは論議しない。『捜神記』は全部で二十巻あり収録された話は数百編に及ぶが、そのうちいくつかは中央からみて地方についてである。ここで注目したいのは(怪奇な話を集めたものなのだから当たり前と言えば当たり前ではあるのだが)そこで描写される人間たちが異形、ないしは半人として描かれているという点である。十二巻においてそれが顕著であろう。例えば306話は秦の時代南方に住んでいた落頭民と呼ばれる人々についてである。日本でいうところのろくろっ首に近い、あるいはモデルになった話だと思われる。概要は以下の通りだ。
朱桓という将軍の侍女は毎晩寝たあとで頭が飛び去るといい、飛んでいくときは耳を羽のようにして天窓などから出入りしていたらしい。夜中に明かりを灯して見ると頭がなく、体は冷たくなっていて呼吸もしていないという。これを覆っておくと夜明けに帰ってきた頭が戻るところがなく、二三度地に落ちて嘆き、体の方の呼吸が激しくなって死のうとするようなありさまであった。そこでかぶせてあったものをとってやると、頭がくっつき平穏に戻ったのである。この時期南征した軍隊はしばしばこの民を得たという。ある人は銅盤で首を覆ったところ、頭がくっ付くことができずについに死んでしまった
また、続く307話では江漢の地域に住むチュ(けものへんに区)人についてである。この人々は虎に変化する。虎として捕まって檻に入っていたところ、実はそれは赤い冠の村長で「雨宿りをしていたらこんなことになってしまった、出してくれ」というので外に出してやると、再び虎になって逃げていってしまったという話である。人になった時は踵がなく、虎になった時には五本の指があるのが特徴だという。他にも捜神記には蜀の西南の高山地帯にいるという、人間に子供を産ませ育てさせる猿の話や、南海の外にいるという鮫人の話、口江の大きな山の間にいて人に似ているが裸で生活し身の丈が四・五丈にもなるという「山都」の話など、奇妙で不思議な人々のエピソードには事欠かない。
前述した通り、これらの人々が住まうのはどこも地方、奥地であり、辺境である。『捜神記』自体に各地域のめずらしい風習や習慣、出来事を書き留めておくという性質も認めることができるが、自国の周辺に住む人々が、言ってしまえばまともな人間ではなく異質なものとして描かれていることに、自分たちの住む中国が世界の中心であり、そこから遠く離れていくとだんだんと人の形からかけ離れていく、不完全なものになっていくという思想を見て取ることができるのではないだろうか。
さて、『捜神記』を例に古代中国で中央からみた周辺がどのように描かれているかを見た。では、現代中国に目を向けてみよう。ここでは『アズールレーン』というゲームを取りあげる。『アズールレーン』は旧日本軍の艦船を二次元美少女に擬人化したブラウザゲーム『艦隊これくしょん-艦これ-』にインスパイアを受ける形で、中国で制作されたゲームである。世界観としては、「突如現れた謎の海洋勢力「セイレーン」に対して人類は「ユニオン」、「ロイヤル」、「鉄血」、「重桜」の四大国家を中心とした軍事連合「アズールレーン」を結成し反抗を開始したが、やがて「セイレーン」に対する方針の違いから対立が生まれ、鉄血と重桜はアズールレーンを離反し、もうひとつの軍事連合である「レッドアクシズ」を結成。対立するふたつの陣営は、やがて本格的な武力衝突へと至る。セイレーンたちも自らの「本来の目的」を果たさんと暗躍を開始。人類の運命はますますその混迷度を深めることとなった」というものになっている。ストーリーはユニオン視点で進行し、主に重桜との戦闘が中心となり、それぞれの陣営は軍艦を擬人化した美少女、「艦船少女」を兵器として戦わせている。モチーフは第二次世界大戦の世界情勢で、それぞれの国家はアメリカ、イギリス、ドイツ、そして日本がモデルになっている。ゲームシステムやその他に関しては割愛するが、ここで私が気になったのは、日本をモデルにした重桜の艦船少女たちの姿である。彼女たちには「「セイレーン由来の力を肉体そのものに宿す」という方法でセイレーンから得た技術を自軍に取り込んでおり、その影響で所属艦の肉体には獣耳や尻尾等の人外的な器官が生えている特徴がある」という設定がある。アメリカやイギリス、ドイツの艦船少女にもそれぞれ特徴づけがなされているが、日本の艦船少女にこういった人外的要素が付け加えられたのは、おそらく中国からみた周辺国である日本に対するイメージが(意識的にしろ無意識的にしろ)反映されているのではないかと思われる。この点は『アズールレーン』が日本で配信された際、連合国視点で日本軍をモデルにした敵艦船と戦うことへの違和感や反発と併せて一部から批判されたが、おおむね良好な反応をもって受け入れられたことも併記しておく。
もちろん、自分たちのフィールドの周辺にいるものや未知のものを、未開のもの、不完全なもの、不可思議で不気味なものとして考えるのは何も中国に限ったことではない。日本においても近代以前、渡来してきた西洋人たちを天狗や鬼として描いていたりすることや、また西洋においてイスラム圏の人間をモチーフにエルフなどの空想上の生物を想像していたことからもわかる。自分たちとは異なる存在に対するアプローチのひとつとして、イマジネーションを働かせ、想像の世界で異国のイメージを形作っているのだと理解できるだろう。