蘇る感覚 - あの時は写真家だった
今日はたくさん歩いたせいか、懐かしい記憶が蘇ってきた。
高校一年生くらいの時だったと思う。たまに予備校をさぼっては、名前も分からない街を一人彷徨っていた、ひたすら目的もなく。当時は写真もやっていなかったので、ただただ歩くのみである。目的もなく歩いているうちに、自分がどこにいるのかさえ分からなくなり、ゲームセンターで所持金の大半を使ってしまい、残ったのは缶ジュースが買える100円だけがポケットに入っている事もしばしだった。昼間ならともかく、夜の街というのは一回迷ってしまうとスパイラル状態に陥ってしまう。
ただ、どこかでそれを望んでいる自分がいた。
それが僕にはちょっとした冒険だったのだ。
帰るという行為より、全てのものが新しい未知なる場所で迷路のような道を歩いていくのが爽快だった。喉は乾くし足は棒のようになるけど、それでもてくてく歩いた。時折通り過ぎるバスの行き先表示や電柱の住所だけが頼りで、コンビニでよく地図を立ち読みしたものだ。
しかし、何かをみつけた時の喜びはひとしおで、自販機で喜び、遠くに見える町灯りに喚起した。あの時はカメラすら持っていなかったけど、今よりずっと写真家だったように思う。
思い立ってジュース一缶分のお金だけ持って撮影に出かけてみた。今は百円玉だけだと厳しいので二枚、それにスマートフォンは家に置いて昔の冒険の続きをしてみた。なんか独り非常にわくわくしてしまった。今は写真家だから時折写真を撮る。この道が合っている保証なんてありゃしない。この写真を撮った時、上っていくように見えた車がスリーナインの様に、希望に満ちて見えたが、案の定全く反対方向であった。
どうしようもないと思って歩いていた事が今にリンクしている。ただ街を彷徨う事が冒険だと一人歩いていた事は無駄じゃなかった、今ならそう断言できる。当時の感覚、視線を持って写真を撮れば、もう少しいい写真が撮れそうに思う。
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