2017年最後の営業と挨拶回り
早いものでもう2018年の足音が聞こえ出している。本日は営業と、写真集を取り扱ってくださっている書店へ版元のふげん社さんと挨拶回りに行って来た。9月26日に出版して約3ヶ月、なんとなく次作の形が見え出してきた。それと共に、今まで色々な方々から頂いた書評の意味を再度噛み締めている。
中沢新一(文化人類学者)
日本の都市は少しも構築的に作られていないので、真実に近づくために、脱構築の方法はおよそ有効ではない。新納氏はそこでPEELINGという方法を考え出した。鋳鉄のもろくなっている上皮がはがれること、剥脱(はくだつ)することという工業用語だ。東京にこの方法をラジカルに適用すると、はがれた上皮の下からすぐにピンク色の皮下質が出てくる。粘液がにじみ出てくる。写真は気配を撮るものという通念を超えて、彼は都市の上皮の下の唯物論的運動を撮ろうとしたのである。
飯沢耕太郎(写真評論家)
山谷や築地市場に密着して撮影した写真で知られる新納翔の新作写真集は、東京を中心に、一回り大きな視点で撮影されたスナップショットを集成したものだった。東京オリンピックへ向けて、急速に変化していこうとする都市の表層を引き剥がし、欲望のうごめきを引き出そうとしている。的確なカメラワーク、巧みな写真の配置は、高梨豊の1960年代の名作「東京人」を思い起こさせる。「TOKYO1964」から「TOKYO2020」へ。新納と高梨の写真を比較してみると、2つの時代の「差異と反復」が、シンクロして浮かび上がってくるのではないだろうか。na
NADiff
大西みつぐ(写真家)
「山谷」、「築地」と、東京の潜在的な質感を入念に撮ってきた新納翔さんの「PEELING CITY」(ふげん社刊)を拝見した。「皮をむく」などという表現よりも、中沢新一氏が印象を記すように、「剥奪」されていく(現在進行形として)都市のイメージが、写真家の疾走感とともに再現されている。同じように都市と時代を走り続けていた故吉村朗を思い出した。彼の作品をまだじっくり検証できていないのが恥ずかしい。ともあれ、新たなシューターの意欲的な仕事をうれしく思うと同時に、路上でシャッターを押すことの確信を、まだ私もしっかり共有していたいと思った。
baiten 東京都写真美術館
田村彰英(写真家)
昔々、サロンピクチャーと言うのが流行った 散々バカにされたもんだ。今のSNSで2段飛ばしと言う白茶けた無内容な写真がそれにあて嵌る。SNSで最近輝く超新星のような写真を発見した新納翔。アクチュアリティーのあるシヤープでコントラストの強い作品である。西日が人物を魔法のように浮かび上がらせ私の心が躍る、ビルの上に重い黒雲が見える作品が私の心を明るくする・・・。輝く新しいドキメントの誕生である。
タカザワケンジ(写真評論家)
都市とは何かと考えたとき、人間の集合と、彼らを受け入れる器としての建築や、移動のためのインフラ、情報の集中と拡散といった要素が挙げられる。 『PEELING CITY』 はおそらく撮影時には無意識だったであろう写真が、思索を続けることによって1冊の写真集になっていったと思われる。そう感じさせるだけの「厚み」のある写真集である。
■新年の個展
昨年9月26日にふげん社より刊行しました写真集「PEELING CITY」の第2回目となる個展を吉祥寺の「book obscura」さんにて開催いたします。前回とは展示の仕方も変えて、また違う観点から楽しめる写真展にいたします。
1/25(木)〜 2/5(月)
営業時間:12:00 - 20:00
定休日:火・水
トークイベント 2/3(土)
ゲスト:中藤毅彦(写真家) タケザワケンジ(評論家)
お時間ありましたらぜひご覧くださいませ。在廊予定などは追ってお知らせします。